私は親からも学校の先生からも体罰を受けたことはない。
が、体罰は見てきた。
私は中高校は私立を卒業しているが、
父の仕事の関係で香川県高松市に住んでいた一時期、公立小中に通った。
小学校のときは体罰はなかったが、中学では先生が生徒を殴るのは日常茶飯事だった。
宿題を忘れただけで、黒板の前にその忘れた生徒を並べて往復ビンタする先生もいた。
私は、それを見るのが嫌で、登校拒否になりかけた。
が、その往復ビンタする先生も、比較的優等生だった私などには非常に優しくていい先生だった。
が、家でも、親にも殴られたことなど一切なかった私は、
殴られているのを見るだけで竦んでしまって学校に行きたくなくなったのだった。
その後、中学2年のときに編入学した中学校は私立の女子校だったせいもあって、
まったく体罰はなかった。
私は、その後は、安心して学校生活が送れた。
が、学校での体罰は、私の上の子供たちのころも横行していた。
上の2人の子の小学校時代、
娘は女の子なので叩かれることはなかったと思うが、長男は叩かれることがあった。
いま思えば、そんな叩くことではないのに叩く先生だったと思う。
が、それよりなにより、私が子供を叩く母親であった。
自分が親から叩かれたこともなかったのに、私は、自分の子供は叩いた。
あれはどうしてだったろう?
近所のママ友達たちも、よく叩いていた。
一種のムードだったのだろうか?
自分では愛の鞭と思って叩いていたが、果たして?
上の2人の子は年子であったので、子育てに馴れない私には毎日が悪戦苦闘だった。
実家は遠くて、助けてくれる人もいないから、疲労がたまっても休むことはできなかった。
その上、よく来てくれる義母が、来ると姑風を吹かすので、その鬱憤もたまった。
そんなこんなで、よく叩いたように思う。
一番叩かれたのは長女である。
一番最初の子だった長女には必要以上に厳しくしたかもしれない。
期待も大きかったのだ。
だから、長女は私のことが嫌いかもしれない。
体罰がよいか悪いかと聞かれたら、必ずしも悪いとは言えない。
子供には、たしかに叩いてでもわからせる必要があるときはあると思う。
が、いったん暴力を振るうとエスカレートするということはある。
私の場合はそうだった。
少し怒ればよいところを、
怒ることによって、それが口火になって怒りが炎上することがあった。
こどもは可愛くてたまらないのだが、
一人で子育てしていると、息抜きもできなくて、
夕方、体力が切れそうになったころに、私の気持ちも切れることが多かった。
周りを見ていると、近所のママ友達たちも、そういう傾向が見られた。
親が近くに暮らしていて、
ときどき息抜きができていた人は、そんなことはないように見えたから、
一人で頑張っていたお母さんたちは皆そうだったと思う。
言い訳にもならないが・・・。
私の短歌の先生だった河野裕子さんの歌にも、
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
というのがあったから、あのころの子育てには、そういう傾向があった?
河野裕子さんも、
若いころは、経済的にも大変で、心身ともに限界に達することも多かったのだろう。
私も、大阪のマンションを買ったころは、夫も若くて、経済的にも苦しかった。
それも多少は関係したかもしれない。
まあ、そんなこともあったが、子供たちは、みな立派に育ってくれた。
*
★あのころはよく子供らを叩いたり叩くほどではなきことまでを
★子育てに必死でありしあのころのわたしの若さあるひは未熟
★愛の鞭だけならよいが叩かねばならぬことでもなきときもありて
★いま孫が子に叱られてゐるを見ることは辛くて見たくなきわれ
★暴力は連鎖をすると言はれをり子への暴力連鎖するかも
*
昨年のクリスマスに長男の家に行ったとき、長男が、
「鬱は爆発する」というようなことを言っていた。
鬱勝ちな私も、あのころは、一人で奮闘していた子育てに、
鬱が爆発していたのかもしれないとも思う。
が、体罰は見てきた。
私は中高校は私立を卒業しているが、
父の仕事の関係で香川県高松市に住んでいた一時期、公立小中に通った。
小学校のときは体罰はなかったが、中学では先生が生徒を殴るのは日常茶飯事だった。
宿題を忘れただけで、黒板の前にその忘れた生徒を並べて往復ビンタする先生もいた。
私は、それを見るのが嫌で、登校拒否になりかけた。
が、その往復ビンタする先生も、比較的優等生だった私などには非常に優しくていい先生だった。
が、家でも、親にも殴られたことなど一切なかった私は、
殴られているのを見るだけで竦んでしまって学校に行きたくなくなったのだった。
その後、中学2年のときに編入学した中学校は私立の女子校だったせいもあって、
まったく体罰はなかった。
私は、その後は、安心して学校生活が送れた。
が、学校での体罰は、私の上の子供たちのころも横行していた。
上の2人の子の小学校時代、
娘は女の子なので叩かれることはなかったと思うが、長男は叩かれることがあった。
いま思えば、そんな叩くことではないのに叩く先生だったと思う。
が、それよりなにより、私が子供を叩く母親であった。
自分が親から叩かれたこともなかったのに、私は、自分の子供は叩いた。
あれはどうしてだったろう?
近所のママ友達たちも、よく叩いていた。
一種のムードだったのだろうか?
自分では愛の鞭と思って叩いていたが、果たして?
上の2人の子は年子であったので、子育てに馴れない私には毎日が悪戦苦闘だった。
実家は遠くて、助けてくれる人もいないから、疲労がたまっても休むことはできなかった。
その上、よく来てくれる義母が、来ると姑風を吹かすので、その鬱憤もたまった。
そんなこんなで、よく叩いたように思う。
一番叩かれたのは長女である。
一番最初の子だった長女には必要以上に厳しくしたかもしれない。
期待も大きかったのだ。
だから、長女は私のことが嫌いかもしれない。
体罰がよいか悪いかと聞かれたら、必ずしも悪いとは言えない。
子供には、たしかに叩いてでもわからせる必要があるときはあると思う。
が、いったん暴力を振るうとエスカレートするということはある。
私の場合はそうだった。
少し怒ればよいところを、
怒ることによって、それが口火になって怒りが炎上することがあった。
こどもは可愛くてたまらないのだが、
一人で子育てしていると、息抜きもできなくて、
夕方、体力が切れそうになったころに、私の気持ちも切れることが多かった。
周りを見ていると、近所のママ友達たちも、そういう傾向が見られた。
親が近くに暮らしていて、
ときどき息抜きができていた人は、そんなことはないように見えたから、
一人で頑張っていたお母さんたちは皆そうだったと思う。
言い訳にもならないが・・・。
私の短歌の先生だった河野裕子さんの歌にも、
君を打ち子を打ち灼けるごとき掌よざんざんばらんと髪とき眠る
というのがあったから、あのころの子育てには、そういう傾向があった?
河野裕子さんも、
若いころは、経済的にも大変で、心身ともに限界に達することも多かったのだろう。
私も、大阪のマンションを買ったころは、夫も若くて、経済的にも苦しかった。
それも多少は関係したかもしれない。
まあ、そんなこともあったが、子供たちは、みな立派に育ってくれた。
*
★あのころはよく子供らを叩いたり叩くほどではなきことまでを
★子育てに必死でありしあのころのわたしの若さあるひは未熟
★愛の鞭だけならよいが叩かねばならぬことでもなきときもありて
★いま孫が子に叱られてゐるを見ることは辛くて見たくなきわれ
★暴力は連鎖をすると言はれをり子への暴力連鎖するかも
*
昨年のクリスマスに長男の家に行ったとき、長男が、
「鬱は爆発する」というようなことを言っていた。
鬱勝ちな私も、あのころは、一人で奮闘していた子育てに、
鬱が爆発していたのかもしれないとも思う。