昨夜はダンナの友人宅に泊めていただき、今日の午後まで遊ばせてもらった。
ダンナとその友達は、大学時代の昔話や近況についての話で盛り上がり、娘たちは、下の娘と同い年のダンナの友人の娘と
遊んでいた。
私たちが、今はフランス、その前は日本に住んでいたという事で、色々と異文化についての話も出たが、私が面白いなと
思ったのは動物が鳴くときの“鳴く”という動詞について。日本語では猫も犬も牛もニワトリも“鳴く”という一つの動詞しか
ないが、ハンガリー語では、全部違う動詞があるそうだ。恐らく日本は農耕民族なのに対し、ハンガリーは狩猟民族で昔から
動物や家畜と密接な繋がりがあったのが原因だろう。
一方、内陸国で海が無いハンガリーは、今でこそ流通の便が良くなり海産物もスーパーなどで売られるようになったが、
昔は魚と言えばコイやナマズなどの川魚しか無かった。その結果、“貝”を指す名詞は一つしかなく、種類が違っても
全部“貝”と呼ばれるそうだ。
日本人的感覚でもっとひどいと思うのは、“蟹”と“海老”を指す名詞も一つしかなく、会話の中で蟹や海老が出てきても、
それが“蟹”なのか、“海老”なのか、どんな種類の物なのかさっぱりわからないそうだ。
これも言葉が文化や習慣を色濃く映し出しているという事なのだろう。
ご馳走になったイタリアの白ワインがとてもおいしかった↓
夕方はまたダンナの実家のある村に戻り、馬に乗った。今日も2時間のコースだったが、ダンナはホッケーに行ってしまったので
一人で行ってきた。途中野生のシカなども見かけて楽しい乗馬だった。
私たちがホッケーと乗馬に行っている間、娘たちはおばあちゃんの家でお留守番↓
ダンナとその友達は、大学時代の昔話や近況についての話で盛り上がり、娘たちは、下の娘と同い年のダンナの友人の娘と
遊んでいた。
私たちが、今はフランス、その前は日本に住んでいたという事で、色々と異文化についての話も出たが、私が面白いなと
思ったのは動物が鳴くときの“鳴く”という動詞について。日本語では猫も犬も牛もニワトリも“鳴く”という一つの動詞しか
ないが、ハンガリー語では、全部違う動詞があるそうだ。恐らく日本は農耕民族なのに対し、ハンガリーは狩猟民族で昔から
動物や家畜と密接な繋がりがあったのが原因だろう。
一方、内陸国で海が無いハンガリーは、今でこそ流通の便が良くなり海産物もスーパーなどで売られるようになったが、
昔は魚と言えばコイやナマズなどの川魚しか無かった。その結果、“貝”を指す名詞は一つしかなく、種類が違っても
全部“貝”と呼ばれるそうだ。
日本人的感覚でもっとひどいと思うのは、“蟹”と“海老”を指す名詞も一つしかなく、会話の中で蟹や海老が出てきても、
それが“蟹”なのか、“海老”なのか、どんな種類の物なのかさっぱりわからないそうだ。
これも言葉が文化や習慣を色濃く映し出しているという事なのだろう。
ご馳走になったイタリアの白ワインがとてもおいしかった↓
夕方はまたダンナの実家のある村に戻り、馬に乗った。今日も2時間のコースだったが、ダンナはホッケーに行ってしまったので
一人で行ってきた。途中野生のシカなども見かけて楽しい乗馬だった。
私たちがホッケーと乗馬に行っている間、娘たちはおばあちゃんの家でお留守番↓
他にも、囀る(さえずる)、歌う、春を讃えるなど、鳥の鳴き声もいろいろに表現される。
やっぱり驚きです。しかもそれが日常的に使われている点でも、文化の違いを感じます。
意味は「鳥が仲良く鳴くこと」「鳥が友を求めて鳴く」 だそうな。