ホリエモンの有罪確定
「ライブドア」元社長の堀江貴文氏の「有罪」がほぼ確定した。彼は昨日(4月26日)、「上告棄却の記者会見」において、次のように語っている。【※「産経ニュース:ホリエモン上告棄却」より「原文」のまま。「下線」や「太字」は筆者】。
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――ベンチャー企業は、とんでもない若造が考えるから面白い。一般企業はヒエラルキーで頭を押さえられ、生まれるのは凡庸凡百。
しかし、ベンチャーはアグレッシブにどんどんイノベーションする。(中略)ベンチャー企業なんて、はっきりいっていかがわしい。知っている企業で、いかがわしくない方が少ない。例えばたった3人の会社で、法律なんて知らないのは当然でしょう。
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『たった3人の会社で、法律なんて知らないのは当然でしょう』と断言して憚(はばか)らないホリエモン。
自らを『とんでもない若造』と呼び、その企業を『いかがわしい』と言う。彼が「企業」を立ち上げた “時点” で、今日の彼の姿は “予見” することができたといえるのかもしれない。
ともあれ、「ごく普通の社会」は、『とんでもない若造』も『いかがわしい企業』もある程度 “容認” する。
だが『法律なんて知らない』という人や企業は “容認” しない。“法” という最低限度のルールすら守れない御仁は、彼特有の言い回しによれば間違いなく “想定の範囲外” だからだ。
確かに「ベンチャー企業」の中に、「眉唾物」が多いのは否定できない。彼らにとって『アグレッシブ』とは、“行き過ぎ” の代名詞であり、『イノベーション』は、えてして “秩序の破壊” を意味する。それを一部の「評論家」が持て囃したのはまずかった。
問題が起きたとき、これら評論家は「経営者が若い」とか、「既存の価値観に馴染みにくい分野」と言った “免罪符” を与えて来た。堀江氏が登場した頃、そういう評論家が数多く存在していた。無論、彼らを “用いた” のは自己を正当化する「マスコミ」だった。
ホリエモンは続ける。
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――若者は、“野蛮、野心、金持ち、いい車、いい家”。それでもいい。
そうなってから、立派なこと考えてやればいい。金も人脈も地位もなく、立派なことなんてできないでしょう。社会はある程度許容するべきだが、日本にはそれがない。大相撲の不祥事だとか、なんでもそう。ちょっとでもチョンボすると徹底的にたたいて、二度と立ち上がれないようにする。危ない社会です』
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首都圏を見下ろす超高層ビル。若くして成功した「IT企業」の経営者達。一等地の豪邸に並ぶ何台もの外車。「億ション」クラスの超高層マンション。
一時期、『IT企業』の若き経営者達が、「サクセス・ストーリー」の代名詞のように持て囃された。堀江氏はその一人として、マスコミにより “時代の寵児” として祭り上げられて行った。
だが “大喝采” ではなかったのは、「ごく普通の社会の大人」達が、この青年を “悪しき市場主義” の “拝金主義者” として眉を顰(ひそ)めたからだ。
“立派なこと” をしてくれとは、誰も頼まなかった。ただ “法” という最低限度のルールを守って欲しかったにすぎない。
ともあれ、「マスコミ」特に「TV業界」は彼を欲した。「お笑い系」とはちょっと違った「バラエティー系のキャラ」として重宝したようだ。創業当時の『とんでもない若造』仲間や「美人秘書」とやらとともに、「旅行」から「グルメ」番組まで実によく起用していたように記憶している。
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今回の「収監」は、彼自身をそして周りをどのように変えていくだろうか。
だが簡単には変わりそうにもないようだ。「TV界」は、これからも彼を何らかの形で登場させるだろう。彼に続く『若造』や『企業』を秘かに期待しながら。
あるいはさりげなく “培養” しながら。「新たなるとんでもない若造」が現れたそのときには、無論、すぐさま切り替えることができるようにと “抜かりなく” 待ちながら……。
そのため、平穏な生活を望む「ごく普通の社会」は、“容認” し得ない“チョンボ”を犯す『若造』や『企業』から身を守るため、これからも膨大な “時間と手間と費用” をかけるだろう。
2年4か月少々は、はたして長いのか短いのか。だが獄中より「メルマガ」を発信したいとする彼にとっては、“脱メタボ” のためのほどよい時間なのかもしれない。
ここはひとつ、「ごく普通の社会の普通の大人」の“責任”として、『限りなく不透明に近い、とんでもない哲学』とやらの “帰趨” を見守りたい。