電気通信の源流 東北大学 17.半導体研究所
昭和36年、渡辺寧と西澤潤一は、両者の特許料収入を見込んで、財団法人・半導体研究所を設立した。西澤は国内特許278件、米英等の9か国に157件の特許を取得している。他者の追随を許さぬ数である。
大学の先端的な研究と産業界を結び付けることを目的に、東北大学の一隅に創設された研究所には、若手の工学博士や企業から送り込まれた技術者が集まって、研究に没頭した。
毎週土曜日には定例検討会が開かれ、西澤の前でそれまでに得られた研究成果を発表し、西澤からの辛辣な質問を浴びながら、長時間の討論が行われた。厳しく鍛えられるので、弟子たちはこの検討会を西澤道場と称した。
壁には西澤の三原則
一、まだやられていないことでなければならない
二、他所より早く発表しなければならない
三、やり直しをせねばならない様ではならない
が大きく貼られている。第一項の「独創」。 これこそ八木の「指向性アンテナ」、「松前の無装荷ケーブル」へと、連綿と受け継がれてきた東北大学研究者の血統に違いない。
昭和59年、神戸で「固体素子・材料国際学会」総会が開かれ、米国やソ連などから第一線級の科学者約一千名が集まった。会議の冒頭の特別講演で西澤は、新しい半導体「ガリウムひ素」の結晶化に成功したと発表した。これこそ、従来のシリコン半導体を用いたコンピュータの速度を100倍に高める、画期的な半導体の登場である。
半導体講演が終わると、多くの聴衆が西澤の許に駆け寄って、さらに深い情報提供を求めた。西澤は一人一人に親切に対応していた。学生を指導していたときの厳しい顔から一変し、微笑みを浮かべた穏やかな研究者の姿がそこにあった。
「日本は真似をするだけの国ではない。今後は注目して見ている必要がある」
聴衆の多くが抱いた印象である。
50年以上も前の昭和3年、八木がIRE総会で講演したときの驚愕した聴衆たち、そのときの光景を彷彿とさせる状況であった。
ここで筆者の余談を少し述べる。電子通信学会の元会長・功績賞受賞者と現役員との懇親会が年に一回開催されるしきたりがあった。ときどき西澤教授の姿を見かけたが、他の出席者たちと親しげに会話をしている様子はなかった。しかし、ある高名な方の告別式で出棺を見送るとき、たまたま西澤教授と隣り合わせた。筆者の顔を見覚えて下さっており、四半刻の短時間であったが四方山の雑談をする機会があった。そのときには「特別な人」という違和感はなかった。
<16.独創の科学者 西澤潤一
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます