電気通信の源流 東北大学 8.学会誌の占領
大正13年の電気学会総会では、東北大からの弱電に関する論文数が議論になった。電気学会雑誌の編集委員会から前年に「当雑誌は貴校からの弱電論文の多数寄稿により内容が一方に偏し一部の会員より不満の声があがっている。ついては貴校よりの寄稿を少しご遠慮いただきたい」旨の通知があり、この点について八木委員から反論したのである。
電気学会はこの頃、全国に正会員2,600人、準会員2,200人を擁していたが、会員のほとんどが強電分野の研究者、技術者で占められていた。それは、逓信省が通信事業を独占していたため、企業や大学、専門学校等で弱電の研究が育たなかったのであった。
編集幹事から、最近退会者が増えていることについて、あらためて事情説明があった。これに対し八木はAIEE(米IEEEの前身)など数冊の外国電気学会の機関誌を取り出し、
「これら米国の学会機関誌の中身は弱電の論文が大部分を占めている。ヨーロッパ先進国の電気学会誌も同様だ。世界の電気工学の流れは弱電の方に向っている。我々に迷惑だと言われるのは如何なものか」と反論した。さらに、
「弱電部門の学会誌というものがあれば、そこで発表したい。逓信省に電信電話学会というものがある。弱電の学会そのものである。しかし、外部の者が会員になろうとしても、入れてもらえない。論文を投稿しようとしても、受け付けてくれない」と苦情を述べた。
電信電話学会は、逓信省の私設学会だった。明治45年に逓信省電気試験所の弱電研究部門が作った研究会が大正3年に電信電話研究会と改称し、さらに大正8年に学会へ名称を改めたものである。事務局も逓信省の中にあった。
八木は、東北大の工学部を開設した時に、電信電話学会誌のバックナンバーの購入を申し込んだ。しかし、それも断られていたのである。電気学会の編集幹事は逓信省の技術系幹部であったので、八木の苦情に対し
「今後は外部の方々にも電信電話学会に参加できるようにしていきたい」
と答えざるを得なかった
<7.東北大学工学部電気工学科の創設
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