関東電友会 関東中支部ブログ

このブログでは関東電友会関東中支部の活動状況を載せています。

電気通信の源流 東北大学 9.電気学会と電気通信学会

2023-12-11 11:30:15 | 投稿
電気通信の源流 東北大学 9.電気学会と電気通信学会

 電気学会は明治21年(1888年)の創設で、134年もの長い歴史を有する。初代会長は榎本武揚だが、実質的な創立者は志田林三郎である。志田は設立総会において将来「電話、映像・音声記録、テレビ等の新技術が出現する」ことを予言したことで知られている。ここで、志田について若干の紙面を割きたい。
 郵便の父は前島密であることは周知の通りである。電電公社時代、事業推進に大きな実績をあげた方に「前島賞」が贈呈された。今日でもICTに関し功績のあった方に同賞が贈られている。
 しかし通信に限って言うならば、その先駆者というべき人は志田林三郎である。三原種昭氏が九州支社長を務めていたとき、熊本県出身で郵政事務次官、参議院議員を務めた守住有信氏から、NTTの社員が志田について疎いことを叱責された。三原氏は志田の歴史を詳細に調べ、小冊子を作っている。
 志田は安政3年に佐賀県多久で生れた。幼少時から学問に優れ、藩費により明治5年に工部省工学寮(現在の東大工学部)に入学、ウィリアムウ・エアトンから電信学を学んだ。明治2年に電信科を主席で卒業、翌年にグラスゴー大学に留学して、ケルビン卿の下で物理学や数学などを学んだ。
 帰国後は工務部電信局で働きつつ、幅広い研究を行った。中でも明治17年に隅田川の水面を用いた導電式無線通信実験は、マルコーニの無線実験よりも9年前に行われたことから高く評価されている。明治21年に日本初の工学博士となった。
この年、逓信省大臣だった榎本武揚を会長に据えて電気学会を創設した。第一回総会において、先見性に富む講演をしたことは前述の通りである。
筆者は志田林三郎について、以前にアンリツの元社長、田島一郎氏からお話を伺っていた。田島氏は、安立電気と呼ばれていた同社を現在の姿まで発展させた功労者である。同氏は北原安定氏と同じく昭和15年に早大電気を出られた、筆者の大先輩である。そして、田島氏は林三郎の孫であった。
 田島氏の娘さんがグラスゴー大学に留学された時、彼女と一緒に同大学を訪問されたが、接客担当から林三郎の成績表、卒業論文などを見せて頂いて、感激したという。三代も離れた子孫が留学をされることを、大学も喜んでいたらしい。
 何しろ大昔の記録が大学に残っている。早稲田大学では教授が退職をされるとき、過去に提出をされた卒業論文の始末は担当した教授に任されるしきたりである。私の担当教授はご丁寧にも手紙をそえて私の手元にまで送り返して下さった。グラスゴー大学とは過去を大切にする考え方が違っている。
 ところで、榎本武揚の次の第二代会長は逓信省内信局長林菫氏。外交官で、伯爵でもある。
 第三代は、佐賀県出身の電気工学者で東大教授を務めた中野初子である。名はハツネと読んで男性である。
 第四代の浅野慶輔は東京大学工科大学教授の後、電務局電気試験所(現在の電子技術総合研究所)の初代所長となった。明治36年には、自身の開発になる通信機で長崎―台湾間の通信に成功したという。
 第十二代会長の稲田三之助は、工学部出身者としては初めて逓信省の局長になった方である。それまでは、局長になれるのは法学部出身者だけであった。
 ところで電信電話学会は、当初は逓信省内の私的な研究会として発足をした。昭和2年に社団法人の認可を受け正式な学会となった。昭和11年に電気通信学会と名称を改めたが、電気通信という言葉は八木が最初に使い始めたものである。
 その翌年、電気通信学会に功績賞が新設されると、八木は第二代逓信省工務局長梶井剛と共にその第一回受賞者となった。
 さらに昭和13年、八木は電気三学会(電気、電気通信、照明学会)連合大会の特別講演において
「半導体の諸現象が新しい物理学によって証明されていくと、半導体は非常に有望な材料になる。将来は電気工学全体が材料に支配されるだろう」
と指摘した。「半導体の将来性」、「材料時代の到来」は今日の状況から見ると、恐ろしく鋭い予見であったといえる。
 余談を述べる。筆者が早稲田の電気通信学科に入学したとき、教授から電気通信学会の学生会員になるよう勧奨された。多くの学生は先生の言葉に従った。その多くは卒業後に正会員になったであろう。こんなことは電気学科だけの他大学では経験しないかもしれない。電気通信大学がどうであったかを筆者は存じない
 また、筆者が電電公社の技術局総括調査役であったとき、半分は職務として電気通信学会の調査幹事を務めたことがある。調査幹事の任務に学会の庶務的な雑用も含まれていた。こんな所にも逓信省お抱えの学会のなごりがあった。この頃、電気通信学会の会員数は約四万人で、電気学会と会員数を競っていたと記憶する。


<8.学会誌の占領
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 電気通信の源流 東北大学 ... | トップ | 電気通信の源流 東北大学 ... »

コメントを投稿

投稿」カテゴリの最新記事