こんにちは。
日本は和の国です。つまり,私たち日本人は,和の国の住人と云うことになります。
その和の国には公共と云う概念が存在しますが,太古の昔と現代とを比較するとどうなのでしょう。
わたしが思うに,日本人と云うのは,公共の福祉や公共の利益を考え,行動に移せる民族だと思っています。つまり,和の民。大和民族です。しかし,公共と云うとお役所が先導して行うものだと云う想いも少なからず抱いているのも事実です。中には,公共なんて興味がないと言う人も居るかも知れません。公共とは「自分を含む自分以外」と云う意味ですから,自分も他の人も云うことになります。他の人の福祉,利益「ここで言う利益とは経済だけではありません」と分かり易く行ってしまえばそう言える訳です。
ですが,言葉では何となく解かりますが,具体的にとても解かりにくいもの「公共」と云う概念でありますが,いま現在,私たちが課せられる待ったなしの公共の福祉が存在します。それが,超高齢化社会であります。既に,超高齢化社会に日本は突入していますが,国家の政策として具体的にどうやって乗り越えて行くかまでを国民目線で理解できているかと云うとそうとは言えない気がします。現在の税収で,これからの超高齢化社会で必要になる「社会福祉費」を賄って行けるのかどうか?当然,税収で賄って行けないとなると国家もさらに借金を繰り返して行かなければなりません。増税も新種税も避けては通れないでしょう。
宗教法人への課税もされて行くでしょう。本当はしたくても与党内にいる宗教団体の存在を気にしているのではないでしょうか?そもそも論としても与党にしがみ付く姿はみっともないです。それと,神社本庁や日本会議の存在もあるのかも知れません。宗教家は祭祀に主体性を見出すことが本分であるのに,何故,政体「統治」に口を出して行くのか?私は,宗教家が政治に口を出すことに凄く違和感があります。つまり,宗教家が権力者と結託したり,権力そのものを手に入れようとすることにです。
選挙が近くなると良い話ばかりを言い続ける政治家はもう一般人になってもらった方が国家国民の為ではないでしょうか?たとえば,国会議員一人あたりに支払われる年間のお金はいくらでしょう?大よそ1億円です。毎年1億円を私たちの税金で払っているわけです。本当にそんな価値がひとり一人の政治家にあるのか?国会議員の本当の仕事は議員立法にあるはずなのです。
しかし,議員立法をしている国会議員は全体の何パーセントくらい存在するのか?ほとんどいないでしょう。地元に国家予算を持って来ることだけが国会議員の仕事だとは思えません。前回の衆議院選挙で与党の女性議員さんが,自身のホームページで「私の実績」と題して〇〇費〇〇円などと地元の有権者にアピールしていましたが,残念なことに議員立法のことは何も書かれてはいませんでした。その与党の女性議員さんは落選してしまいました。国民を舐めていたのかも知れません。反省が必要なようです。
お金だけで有権者を引き付ける時代ではないのであります。もうそう言った悠長なことは言ってられないギリギリの時代であるのですから,国会議員としての本分を思い起こして頂きたいと願います。モリやカケの話しもよいのですが,もっとこの国家にはやるべきことが山積ています。その山積している様々な問題の中でも少子高齢化対策や食料自給率等の農業問題は凄く重要政策であります。原発問題もそうですし,経済格差も貧困問題も同様に重要な政策課題です。今の政治は本当に解かり難いと感じています。
公共とは何か?公共の福祉とは何か?公共の利益と個人の利益の違いは何か?
それを国民に説明できる政治家もいません。どこかの官僚に教えてもらった知識を無理やり詰め込んで,自分で理解もせずに国民へ説明しても国民を説得することは出来ない訳です。政治家の言葉に魂が宿っていません。仏つくって何とやらの状態です。
公共とは自分を含む自分以外,つまり,自分が嫌いな人や会ったこともない人の福祉や利益を優先して考えて行きましょうと云うとても厳しいで考え方でもあります。人のことなどどうでも良い,自分が社会の中心なんだと云う考え方とは違うのであります。自動車を運転しているとき,自分が右折しようと停車していると直進車が車を停止させ優先させてくれる場面を想像してみて下さい。それが公共です。とても小さな公共的行為ですが,立派な公共的行為なのです。政治家の方は本当に公共を理解していますか? 拝
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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。
私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。
又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。
それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。
そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。
そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。
観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝