花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

天川行ったらこっちも寄ってよ。丹生川上神社下社。2

2019年10月16日 05時37分41秒 | 美しき水の国

こんにちは。

わたしが個人的に感じている丹生川上神社下社は古神道の祭祀場です。

古から伝わる古神道(自然崇拝に祖霊祭祀)を伝える神社もそして宮司さんも神職さんもすっかり存在しなくなってしまいました。神社に行ってもお寺に行っても御利益の話しや祈祷の受付ばかり大きくなって行き寂しい感じもしています。もうこれ以上,任せてはおけぬとすべての衆生を救うまで我,仏界には戻らずと救済の為に,山を下りた観世音菩薩は今でも裸足だと云うのに・・・。しかし,その様な中でも希望もあります。それは,最近の若い人たちが本来の日本信仰に目覚めはじめて来ていると云うことです。もしかすると,現在の宗教家よりも一般社会に居る若い人々の方が宗教家と云えるのかも知れません。わたしは個人的に古神道系の神社に期待している部分もあるのです。古神道を後世に伝えることで日本人の魂に再び息を吹き込めるのではないかと真剣に考えてもいます。このままでは日本人としての誇りだけではなく,民族そのものが存続できるかと云うくらいのところまで来ているように感じています。勿論,そんなことがあっては絶対にいけません。しかし,私たち日本人は少し資本主義に浸かり過ぎた感じもします。

それでは,昨日の続きです。

龍は,人間どうしの争いをとにかく嫌います。どうやら騒がしいのが苦手なようなのです。心優しい龍は,争いを嫌い里山の奥深くにその身を隠していると云う伝説もあります。人間が放つ憎しみや恨みや辛みの気が龍の身体を傷つけているようなのです。龍は,清らかな水を好みます。しかし,人間の激しい気が水の結晶を壊してしまっています。すると,龍は清らかの水を呑むことが出来なくなると云うわけです。丹生川上神社下社を数千年も前から守護している龍神も同じようにその身を隠してきた龍かも知れません。

龍は,清らかな水を呑むと書きましたが,正確には水の結晶を食べているのであります。

ですから,人間の争う気などで水の結晶が破壊されてしまい,龍は水の結晶を食べれなくなってしまうのです。

その後,数か月後にふたたび天河神社から今度は正式に参拝をさせて頂こうと予め予定して丹生川上神社下社へ向かいました。予定通り,神社の参拝者駐車場に車を止めて鳥居から境内に入ると「これか!」と思わず息を呑んでしまったのです。それは何かと申しますと龍神の正体が解かったのです。龍神の正体は建築物にありました。わたしは神社の建築物を撮影することができないので残念ですが写真はありませんが,龍神の正体は建物全体が龍神の身体になっているのです。つまり,拝殿が龍神の口に相当します。

そして,拝殿から裏手にそびえる御神体中腹に御鎮座される本殿まで続く階段が龍神の同体になります。したがいまして,拝殿の中に入ると龍の口の中へ,そして,本殿へと続く階段を登ると龍の同体の中に参拝者はいる事になります。これを観たときは正直,ビックリしたと云うか古来の宮大工の棟梁の霊性と霊格の高さを目の当たりにしました。さらに,完全(観世)に音霊を上手く観て建築されたと感服しました。ここまで正確に音霊「波動」を観れる人は,今では滅多に存在しません。ただ御見事の一言です。

まさに「世」の「音」を「観」る。観世音菩薩です。

わたしも若気の至りで棟梁に負けじと神社から放たれている音霊「波動」を集中して観てみました。すると,現在の拝殿の建築は比較的新しく,元の拝殿は今のような形状ではなく,龍神が大きな口を開けているような唐破風の拝殿であると確信しました。そして,後日,昔の拝殿を調べてみたところやはり,昔の拝殿は唐破風の構えをされていたようです。神社の建築物にも神さまの祈りが籠められております。丹生川上神社下社では大きな龍神が大きな口を開けて真の前の川をの水を呑みに行く姿を宮大工の棟梁が感じ取って建築されました。又,天河神社でも建築物に天河神社の神さまの祈りがちゃんと籠められています。天河神社の拝殿と本殿は親が子供を見守る姿を建物を通して表現して居るはずです。ですから,天河神社へ参拝すると母性を感じてしまうのでしょう。

そんなことを感じさせてくれる神社がこの丹生川上神社下社であります。

明日に続きます。



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