花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 20

2018年02月11日 06時23分55秒 | 美しき水の国

こんにちは。上の動画は「エコの作法」と言う資生堂さん提供の番組からです。お借り致しました。合掌

さて,外宮さんでの参拝を終え続いて,内宮さんであります。

テレビや雑誌でもよくお見えする五十鈴川に掛る宇治橋が印象的であります。ちょうど,今の季節,特に早朝の宇治橋は滑りやすくなっているので注意しながら渡って頂きたいと思います。焦る気持ちも解かりますが,転んでしまったら大変ですからワクワク感を抑え込みながら五十鈴川のせせらぎの音を確認しながら良い思い出になるのではないでしょうか。内宮には幾つかの鳥居が建立されております。宇治橋にも渡る手前と渡り終えた箇所に御座いますが,実はこの両鳥居は前回の式年遷宮において撤下された御用材なのであります。ちなみに,渡る前に建立されている鳥居の柱は外宮の棟持ち柱として20年間も外宮の御正宮を支えていた柱で,宇治橋を渡り終えた場所に建立されている鳥居の柱は内宮の棟持ち柱をいただいた柱であります。つまり,再活用です。

内宮では天皇家の皇祖神をお祀りされていることで有名でもありますが,水を神さまをお祀りしている御社殿も御座います。

又,五十鈴川の伏流水がおかげ横丁で販売されております。神棚の神さま,御先祖さまの供養,御自身の疲れた身体の癒しに如何でしょうか。なんだか,おかげ横丁の広報担当みたいになっていますが,回し者では御座いません(笑)。

今日の狙われる私たちの郷土~美しきかな水の国~20は「水の神への感謝参詣 伊勢神宮 内宮 編」です。

以下の記事は「2016.10.3」に掲載したものです。

  

こんにちは。また台風(18号)です。沖縄に接近している様子ですが,避難勧告も発令されているようですので,早めの避難と準備に備え,どうか御用心下さい。台風のような自然現象は,事前の防災対策である程度の被害を減災できると思います。以前にもブログで情報提供させて頂いた,自治体が取り組む災害対策基本法に基づく「災害時要援護者」登録などの制度を活用されることで,自治体も被災者救出に向かう時間を大幅に短縮できると感じています。独り暮らしの高齢者や被健常者,乳幼児を抱える父母,日本語をしゃべることの出来ない外国人などの所謂,災害弱者の為に設けられている制度です。各市役所の防災対策課などで案内をされているはずですので確認されてみて下さい。もし,自分が被災者になってしまった時,必ず助けに来てくれると云う精神状態と助けに来てくれるかどうか解らない状況の精神状態では,私個人的には少なからず精神状況の面で違ってくるように思っています。

さて,早朝の外宮さんを参拝させて頂き,次に向かうのはお馴染みの内宮です。上の左側の写真は宇治橋の入口です。この画像はテレビやニュースでも放送される際にたびたび使用されているので見たことのある方も多いと思います。そして,右側の写真は宇治橋を渡りきったところに立つ鳥居です。この両方の鳥居を支える柱は,今回の式年遷宮の為に撤下された御正宮の棟持ち柱だった重要な柱です。つまり,古材です。ちなみに,宇治橋入口に立つ鳥居の柱は外宮の御正宮を支えていた棟持ち柱で,宇治橋を渡ったところに立つ鳥居の柱は内宮の御正宮を20年支えてきた重要な柱であります。

したがいまして,現在の外宮・内宮の御正宮を支えている棟持ち柱は,20年後に宇治橋の鳥居として御鎮座されるのです。さらに,それだけではなく,宇治橋の鳥居としてのお役目を終えた後に,三重県桑名市の「七里の渡し場跡」で新たに鳥居として復活されることに定められているようです。通算すると60年と云う年月です。

私が住む地域の氏神神社にも第60回式年遷宮で撤下された古材を貰い受けて鳥居として建立しております。下の写真は,内宮の御手洗場ですが,この日は連日の雨で五十鈴川が増水していて立ち入り禁止となっておりました。私は内宮さんの御手洗場で少しのんびりとしているのが好きで,楽しみの一つとしていますが残念です。とても綺麗な川ですし,以前は錦鯉も悠々と泳いでいることもありました。最近はあまり見掛けなくなりました。昔は,この御手洗場で参拝に来られる人々は禊を済ませていたと云うことです。

五十鈴川の伏流水は,おかげ横丁で販売されています。私も稀に,おかげ横丁のWebサイトからですが注文して自宅の神様の御神前でお祀りされて頂いております。通常の参拝順路ですと五十鈴川で手と口の禊を済ませてから長い参道を歩き,先ずは御正宮へ向かいます。外宮さんの参拝が大よそ1時間前後ですから,内宮さんに到着するのが7時過ぎくらいです。まだこの頃は,参拝者の人数もそれ程多くなく,ゆっくりとのんびり参拝させて頂けます。しかし,私には御正宮に到着するまでにしなければならない重要な任務が御座います。それは,参道などに落ちているゴミ拾いです。外宮さんでは,ほとんど落ちていませんが内宮さんは参拝される人の数も多いですから内宮さんでは結構忙しくさせて頂けます(笑)決して悪気があってわざと落としているのではないと思いますが,意識して拾い集めをしているといろいろな物が落ちています。唯一,いつも残念に想うのは,五十鈴川に小銭を捨てていることです。きっと,縁起を担ぐためか御利益を求めて投銭されているのだと思いますが,何の御利益もありませんし,逆に,川を汚したりする行為には縁起が良いとは思えません。それはそれとして,御正宮で参拝させて頂いた後の順路は,荒祭宮・御稲御倉・外幣殿・御酒殿・由貴御倉(ゆきのみくら)・四至神(みやのめぐりのかみ)・風日祈宮(かざひのみのみや)・瀧祭宮・大山祇神社(おおやまつみじんじゃ)・子安神社の順で参拝させて頂いて内宮を後にします。このそれぞれの御宮の内,ほとんどの方が参拝されていないところもあります。しかし,どの御宮も内宮ととても関わりが深かったり,神路山の神様であったり,内宮の神域をお守りされている神様であったり,五十鈴川の神様をお祀りしております。全体で大よそ1時間前後の参拝順路です。

そしていよいよ伊雑宮に参ります。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


心の鬼が太鼓を叩く 心の鬼が舞を舞う。

2018年02月10日 07時20分47秒 | 怒りの心柱

こんにちは。

今日のカテゴリーは「怒りの心柱」からなのですが,あまり怒りの心柱には降ろしたくないのも正直なところで御座います。人間の心と体は目には見えないところできちんと繋がっているようです。心に怒りを感じてしまうと私の場合,心臓に痛みを覚えてしまったり,鼓動が激しくなります。きっと,心にいる鬼が太鼓を叩いている現われなのだと思っています。誰の心にも鬼は住まい主人である自分自身と成長もしています。そのことが判ってさえいれば,多少の怒りを上手く制御できるのではないかと感じています。

しかし,生きていると様々な怒りに掻き立てられる場面に遭遇してしまうものであります。

今月2月1日から,大変有難いことに労働集約型の企業の業務大改革を任されることになりました。このご時勢に真に有難いことであります。業務大改革での私が担う役割と役目は,和の仕組みを構築することと経営者の後継者を決めることであります。会社の経営者とは事前にカンファレンスを重ねていたので,あとは会社の幹部に1月の末に説明をさせて頂き承認を得ることが出来ました。

改革期間は10年です。業務の改革には10年は必要としませんが,会社の後継者を10年以内にとなると候補者を5年以内に予め決めて置かなければなりません。5年以内に候補者を決め,残りの5年で経営を引き継ぐ段取りとなるのですから10年でも厳しいものがあります。しかし,そうも言ってはいれません。何故かと言うと労働集約型産業は既に大変革の時代に突入しているからであります。その一番大きな要因が人材不足です。そして,人工知能AIの進出とAIとの融合であります。

業務大改革の中で,一番最初に着手した業務は心身ともに疲弊し,言いたいことも何も言えず,ただ黙って働き続けて来た最下層で働いている内外の従業員さんの所得アップと安心して働ける労働災害の組合創設であります。以下の言葉が私の背中を押して下さったみたいです。この言葉は,松下幸之助さんが生前,会社の幹部に良く話されていたようです。わたしも全く同感であります。

つまり,私にとっては,和の仕組みを企業に当てはめることが出来るか否かの挑戦でもあるのです。

きっと,今の時代。企業は利益を上げる為に存在するものである。その利益は当然,企業の株主に還元されて行くもので公益の為,なんて言うのは表面的な理想論である。これが,現代の企業経済の仕組みでもあり,おそらく通説でもあり,誰に聞いてもその様に答えると思います。政治家ですらそう答えるかもしれません。自由主義・資本主義経済ですから当然と云えば当然かも知れません。

しかしながら,わたしは全く違います。可笑しくなるくらい間違っていると思います。理屈にもなっていない低次元の屁理屈レベルです。大体,そんなこと誰がいつ決めたのか?自分の考えも持たず,ただ世間の多勢に流された結果に過ぎません。まさに我良し根性剥き出しで御座います。縁があれば一度,公共の福祉と公共の利益とは何かを議論してみたいと思っているくらいです。

だんだんと怒りの心柱にピッタリとなって来ましたが(笑)これからの社会構造を見据えるととてもじゃありませんが,企業は利益を上げる為だけにあるなんてことは言えない状況に追い込まれて行きます。もう既に追い込まれているのに気が付いていないのかも知れません。これからの企業社会だけではなく,一般的な社会であっても重要な要素はとにかく「和」と「人」です。でなければ,企業の存在する価値は無いとまでは言いませんが,少なくても人に選んで貰えるような企業ではなくなって来ます。

ブラック企業でも何とか正社員の地位を与えてもらいたくて必死に働いている人も多くいます。人をモノと同然に扱い,ほとんど強制労働に近い状況をつくり出し,過労死まで追い込む状態であります。ちなみに,労働法「派遣法」が改正された当時,派遣労働者の会計の名目を御存知ですか?人件費ではなく資材費でした。つまり,物の値段です。これを普通と言える企業は異常なのです。

先ほど,あえて「選んで」と書かせて頂きましたが,ここがとても次世代の企業や社会には大切なのであります。たとえば,今の企業は企業側が人を選んで採用しています。しかし,これからは人が企業を選ぶ時代に入って行きます。そして,人に必要とされない企業は躊躇なく潰れて行きます。昔の様に政治家と裏で結託し,潰れたときの波及性が大きいから潰すに潰せないなんて言い訳は出来なくなります。そんな遠慮なさらずにどうぞ。と言った感じになります。無論,私たちの貴重な税金で救済なんて出来ません。

先ほども申し上げた通り,これから人工知能AIが,私たちのありとあらゆる生活に浸透して来ます。会社でも個別の仕事でも教育でも家庭にもです。政治にも介入するでしょう。司法や行政機関においても同様に入ってくる時代がもうすぐであります。先日も仲間の弁護士と雑談していましたら,これからの弁護士は訴状は書かないと私が云うと仲間の弁護士も同じ考えだと話していました。

判決の書ける裁判官なんて最高裁判所は,既に必要としていないことなんて解り切っている話です。

極端な言い方をあえてすれば,幼児から高齢者まで誰であってもこれからは天才的な頭脳と知能を有することが可能になります。そうなると,世の中はどう変わって行くのでしょうか?本格的な建て替え立て直しが始動します。これまで人をまるでモノと同じように扱って来た人々が最も恐れているのが実は,個人で普通に生活をしている一般人なのであります。忘れ去られて来た人々が復活すると世界は大どんでん返しになって行きます。人類が経験したことのない時代に私たちは否応なく体験して行くことになります。

そのとき,社会は一時様々な分野で混乱することがあると思います。人工知能AIに仕事が奪われるとか言われてくるとも思います。しかし,それは全く逆です。仕事は増えます。インターネットが普及するときも,携帯電話が普及する時も同じようなことが一部の人たちから云われていました。真面目に一生懸命に働いている人こそ,これから本当の意味で活躍できる時代です。

あともう少しです。わたしも頑張ります。皆さまも諦めずに闘いましょう!

続きがあれば,またいつか。拝


 

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又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 19

2018年02月09日 06時30分07秒 | 美しき水の国

こんにちは。いつも奈良県の最終参詣地点となっている室生寺から伊勢へと車を走らせます。伊勢に到着すると夕刻前になることがほとんどでありますので,行きつけのラーメン食堂でラーメンセットを注文するのですが,これがまたとても美味しいのであります。又,風格のある親父さんと奥さん,そして働き者の娘さんがいつも笑顔で迎えてくれます。笑顔がとても素敵な御方です。

そして,帰りに夜の直会(晩酌)用の御土産を2,3品頼んでお宿に向かいます。お宿は,もちろん伊勢神宮の唯一の崇敬団体が運営する内宮にもっとも近い神宮会館であります。お金のない貧乏時代は,伊勢に行っても日帰りで帰ることがほとんどで,車中泊をすることも多かったのですが,いつも内宮に向かう途中に神宮会館を見ながらいつか絶対に泊まってやるなんて憧れと意気込んでいた自分が懐かしい感じがします。神宮会館の方々もとても親切で笑顔で出迎えて下さいます。神宮会館は料金的にもおススメです。

室生寺から伊勢に夕方到着した時のいつものパターンです。

伊勢神宮に参拝に行かれたことのある方であれば御存知だと思いますが,伊勢神宮では昔から「外宮先祭」と言って,内宮よりも先にまず外宮に参拝することが習わしです。民間伝承では諸説ありますが,伊勢神宮が公表している理由においては以下の通りです。

神宮のお祭りは,「外宮先祭げくうせんさい」といって,まず外宮から行われます。外宮の豊受大御神とようけのおおみかみさまは天照大御神あまてらすおおみかみさまのお食事を司る神さまですので,内宮に先だって神饌しんせんと呼ばれる神さまのお食事をお供えします。お祭りの順序にならい,お伊勢参りは外宮から内宮の順にお参りするのがならわしです。公式HPより転載。

外宮で毎回感じるあのピンとした張りつめた空気がとても好きです。水の惑星「地球」創生の大神さまをお祀りします。

そして,外宮でも水の神さまをお祀りしている場所があるのを御存知でしょうか?私たちが立ち入り参拝することは出来ませんが,上御井神社と申しまして毎日のお祭り日別朝夕大御饌祭を始めお祭りにお供えする御水をいただく神社で御座います。

又,上御井神社で不都合が生じた場合,下御井神社でいただいた御水をお供えいたします。この下御井神社は私たちでも参拝することを許されておりますが,参拝に来られる人にあまり知られていないのか,ここの御宮は,ほとんど参拝される人もいないのです。

たとえ,伊勢神宮の神官であっても直接,御水を見ることが許されないほどの御水であります。毎日のお祭り「日別朝夕大御饌祭」と言う神さまへお食事「神饌」を調理する際に用いられる御水でありますから,御水をいただくときには長い柄杓で,神職さんは頭を下げて直接御水を見ないように神職さんも務めています。外宮さんへお参りの際は水の神さまへ御挨拶に行かれて見て下さい。

今日の狙われる私たちの郷土~美しきかな水の国~19は「水の神への感謝参詣 伊勢神宮 外宮 編」です。

以下の記事は「2016.10.2」に掲載したものです。

   

こんにちは。室生寺を離れ,2日目の参詣を無事に終えることが出来たところで,宿泊する為にお世話になる伊勢の神宮会館へと自動車を走らせました。いつも夕方前には伊勢に到着し,夕食は毎回決まったところで済ませてから神宮会館へ入ります。ここ神宮会館は,伊勢神宮の崇敬会が運営されているお宿です。内宮から最も近く,正面の道路を渡ると,おがけ横丁があります。しかも,宿泊料金も素泊まりですと4500円からですから食事はおかげ横丁で楽しみたいと云う方には料金的にも魅力的であります。特段,崇敬会員でなくても誰でも宿泊できるので中々,予約が取れません。ちなみに,私の伊勢神宮に参拝させて頂くときの常宿です。

先ず,神宮会館に到着すると最初にすることがコインランドリーで洗濯をします。乾燥機もありますので,長旅の人にも良いかも知れません。ただ,洗濯洗剤がないので近くのコンビニか持参しなければなりません。そして洗濯をしている最中にお風呂に入って用事を済ませ,明日の準備をして,少し直会をしてから,だいたい夜の8時から9時頃には就寝してしまいます。翌朝は,4時30分頃から5時頃に起床して,お風呂で禊を済ませてから出発となります。神宮会館では,毎朝早朝に,宿泊者さんに限って内宮の早朝参拝とガイドの案内をされております。もちろん無料です。昔で云うところの御師さんのような感じです。

始めに参拝させて頂くのは外宮さんです。伊勢神宮では始めに外宮「から」お参りすることを古来からの習わしとしており,これを外宮先祭と呼ばれています。伊勢神宮にお参りに行かれても外宮に参拝されない人が結構いらっしゃるようですが,これは真に勿体ないことです。しかも,早朝の伊勢神宮は,まだ参拝者の方もそれほど多くなく,人気を気にせず,ゆっくりと参拝できますし,何といっても神域内に張りつめた空気が昼間とは格段に違います。特に,外宮では誰でも感じることが出来ると思います。

なぜ外宮さんから先にお参りをするかという事には,昔からいろいろと諸説があります。そう言った過去の文献などの話は別にしても,外宮と内宮では神域の神気や感じ,お祀りされている神様も全く違います。私は,どちらかと云うと外宮さんの神気が好きですが,どちらにしても外宮には参拝させていただいた方が良いです。外宮の神域には,御正宮をはじめ別宮の多賀宮,風宮,土宮と云った神様もお祀りされております。その中でも,小高い山の上に御鎮座されます多賀宮の御社殿は凄い神気が満ち溢れています。

一番最初に私が参拝をさせて頂いた時,瞬時に音(波動)が言葉に変わったのをよく憶えています。しかも,自分の胸の辺りからハッキリとした声でした。その内容はブログでは書けませんが再会を想わせる内容でした。今の御社殿ではなく,式年遷宮が斎行される前の御社殿のときです。多賀宮さんは,レイキにヒーラー,霊能者に人気があるらしくインターネットなどで検索すると実に様々な情報が出てくるところでもあります。確かに,御正宮の別宮となる御宮ですから神気は凄いものがありますし,インターネットなどで話題になるのは解る気がします。私が参拝させて頂く早朝の時間帯「6時から6時30分頃」では,ほとんど参拝者がおりませんのでとても静かです。以前にも伊勢神宮に関する記事は書かせて頂いて参りましたので,もし,宜しければ読みください。


 

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和の国体と和の政体「祭祀と統治」3

2018年02月08日 08時02分26秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。記事を書かせて頂く前に,ちょっとあさひのプチ予言をしたいと思います(笑)。

これからしばらくすると,世間「社会」で良く耳にする言葉が出て来ます。

そのキーワードになるのが「和」です。それと,もうひとつ「争」の時代が終わります。

たとえば,和の経済や和の経営,和のコミュニティーや和の社会と云う風に世間で盛んにささやかれて行きます。

それでは,今日の記事を書かせて頂きたいと思います。

先日のこちらの掲載記事「和の国体と和の政体「祭祀と統治」1」において,元々,農業も科学も宗教も,そして,医学も法学も哲学においても信仰の対象であったと書きました。さらに,私たち人間がその信仰の対象であったものを様々な学問として分離させ,思想の違いに基づいて分派させて行ったとも書かせて頂きました。途中,宗教の段で話が天皇陛下の祭祀に纏わる方向へと話が飛んでしまったのであらためて継続記事として残して置きたいと思います。元々はすべて同じ根から生じたものであります。

わたしたちは,自分の身体の調子が悪くなると一般的に病院へ行って医師の診察を受診します。邪をひいたり,頭痛がしたりと色々とその症状に応じて医師に診て頂きます。医師も当然,病院に来られる人「患者」の診察を行います。そして,個々の患者さんの症状に応じて薬を出したり,検査をしたり,入院をさせたり,時には外科手術をしたりしています。何の疑問も抱かずに私たちも医師も治療に専念する訳であります。病気になったという事実は病院に行けば解るのでしょう。しかし,何故?病気になったのかを知る医師も患者もそれほどいないのではないでしょうか?そして,どんどん現代病的な病名が増えて行っているのです。

この一連と申しますか,私たちが医師に診てもらう診察・治療・手術は西洋医学に基づいた方法によってされています。つまり,西洋の思想や発想となる大前提は「支配」にありますから,私たち人間の体も同様に患部に痛みが伴えば薬を投薬することによって支配する訳です。根本的な治癒ではないのです。これらは,ほぼすべての診療科で同じではないでしょうか?その辺りのことは,春日大社の宮司さんでもいらした葉室頼昭先生が医師時代の経験値に基づいて著書に書かれておりますが,人間の身体を支配「コントロール」することに主眼を置いていると云うことであります。要は,病気になった原因そのものに主観を置くのではないのです。

しかしながら,西洋医学とは違った発想・思想に基づいている医学も存在しますと云うかしておりましたと言った方が良いかも知れません。それが,東洋医学であります。東洋医学では,人間の身体は宇宙の縮図だと云う大前提があります。つまり,西洋医学とは違い支配思想がないのであります。強制的に無理やり薬を投与して支配したりするようなことはせずに身体の全体のバランスを整えることで発症を鎮めて行く訳です。その様な事で云いますと,人間の身体を宇宙の縮図と据えて行くと日常生活の仕方から改善して行くことも治療と云う大きな枠の中に入ります。予防医学と云うのも東洋医学からの発想であります。病気になったら薬で体をコントロールすることよりもそもそも病気にならない身体をつくり上げていくと云う考え方であります。暴飲暴食なども含めて。

あくまでも,漢方や按摩や針治療などで言えることは疲労している身体に栄養分を与え,疲れている身体に癒しと若干の刺激を与えて行きながら治癒「創生」を目指すのであります。この考え方は,とても古神道的な発想でもあります。古神道では病は気からと云う言葉があります。この病は気からと言うものを「穢れ」と申します。穢れと聞くと汚れなどを連想しますが,穢れとは人の身体で言いますと「気枯れ」であります。つまり,気が枯れると考えるのです。この考え方と発想が東洋医学が生まれた元ではないかと思っています。西洋医学の方は,確かに,薬などでコントロールして行くのですから即効性はあるのかも知れません。しかし,身体の別の箇所に別の負荷がかかりに悪い意味で影響しているようです。薬を服用すれば副作用がどこかに生じて来ます。

真に残念ながら東洋医学は按摩や漢方と云った方向に流れて行き,病気と東洋医学は結びつきが弱いものとなってしまっています。実際に,私も含めて風邪だと感じたら薬を服用してしまいます。風邪の症状で漢方を飲んだり,マッサージに行く人はまずいないのではないでしょうか?つまり,病気を治すものは西洋医学の役割であり,役目であるという固定観念が今の私たちの意識であると思います。しかし,いくら病院へ行っても私生活・日常生活の根本が不摂生であったり,暴飲暴食を繰り返していたり,夜の遅くまで起きていたり,朝遅くまで寝ていたりするとやはり私たちの身体はバランスが崩れて行きます。わたしは,食と水が人体に凄く影響しているのではないかと感じていているのです。つまり,食生活が私たちの身体に与えている影響は,私たちが考えている以上に影響しているのではないでしょうか?それと,やはり掃除です。意外なことに掃除とは,病気ととても深く関連していると思います。

東洋医学のバランスを整え創生する考え方と現代の宇宙や地球の様々な問題と何か似ている気がしています。

わたし個人的には,今後の東洋医学にとても期待しています。拝


 

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私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

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それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


和の国体と和の政体「祭祀と統治」2

2018年02月07日 06時21分36秒 | 祭祀と和の国

      

こんにちは。早速,昨日の記事の最後から続きを書かせて頂きます。

>明治天皇・大正天皇・昭和天皇に共通することがあります。

>それは,剣を持ち,軍服を着用していることです。

>和の国の祭祀を司る最高祭主に軍服を着用させ,剣を持たせたのは誰なのか?

>国体である天皇陛下が持てる剣は三種の神器のひとつ「草薙剣」だけです。

ここまでが昨日の記事の末尾ですが,国体「祭祀を司る最高位」でもある天皇陛下にこともあろうに剣を持たせることをしたのは大きな疑問でもあります。なぜならば,天皇霊を宿すとは祭祀つまり,祭祀を司る最高の位に就くことを意味するのであり,武将や軍人の最高位に就くことでは決してありません。今後,憲法が改正されて行くことだろうと想像しますが,曲がり間違っても天皇陛下に再び,軍服を着用させ,剣を持たせるようなことは絶対に阻止しなければなりません。本来であれば,それこそが国体護持の精神を主とする右派の主張する真髄と云うものではないのでしょうか。少し歴史を遡ると奈良時代から平安時代に移り変わり,都が京都に遷都されたあとも天皇陛下や天皇家に異変や危難が及ぶと国体の身を御守り「護持」する為,お役目のある御方「八咫烏」は,天皇を縁の深い神社と寺院に身を隠しながら奈良県の吉野に逃がす役割を担っていました。その神社や寺院が今でも京都や奈良には存在します。自分の身を犠牲にしてでも国体「天皇」を御守り「護持」して来たのです。それが政体の務めであったのです。

間違っても,天皇陛下に鎧と兜を着用させ,剣を持たせるなんてことはして来なかったのであります。

それどころか,天皇陛下に軍服を着用させ,剣を持たせれば天皇陛下を危険にさらすことに繋がってしまう訳であります。剣を持つのは政体である幕府,今で云う政府の役目であり,当然の役割であります。一昨日も記事で書かせて頂いた通り,天皇陛下は「おほみたからにいたるまで」なのであります。つまり,私たち国民「おほみたから」を神さまからお預かりしている訳です。万が一,戦争で天皇陛下が軍服を着用し,剣を手に取り戦い出したら私たち国民は祭祀を司る最高祭主を失うことになるのです。そうすれば,和の国は完全に消滅してしまいます。世界最古の王朝を持った国家が日本であるのです。世界最古の王朝なんだから日本人は誇りに思え!なんて言う事ではないのであります。日本は世界最古の王朝なんだから凄いだろう!なんて自慢したい訳でもないのです。

世界で最も古くから祭祀を司る最高位が日本の天皇陛下と云うことなのです。

したがいまして,わたしにはどうしても大きな疑問と違和感を持たずにはいられないのです。

明治維新から新政府となり,欧米などの所謂,西洋文明に欧米文化を積極的に日本へ取り入れ,日清戦争,日露戦争,そして第一次世界大戦へと日本は突き進んで行ったのであります。過去の歴史が証明してくれております。天皇陛下が軍服を着用し,剣を持てばどうなるのか?わたしたち国民はもっと歴史から学ぶべきではないでしょうか。幸いなことに平成の世である今上天皇におかれては軍服を着用されていません。そのことも歴史から学ぶことが出来るだろうと考えます。万が一,昭和の終戦後も戦前同様に軍拡政策を日本が選択し,今上天皇も明治天皇・大正天皇・昭和天皇と同じように軍服を着用され,剣を手に取っていれば日本は戦争を避けて来れなかったのではないかと私個人的には感じています。それだけ,国体と政体の違いと云うものがあるのが和の国「日本」の象徴なのです。祭祀を司る最高位の天皇陛下の御考えが国家と国民の行先を導くのであり,それは過去も同じであります。

その時代の天皇が祈り「祭祀」を疎かに,蔑ろにしていると必ず国家は動乱し,天変地異に疫病,そして大飢饉と云った世の中になって行きました。たとえば,今回の伊勢神宮の式年遷宮は第62回目の御遷宮でしたが,過去数回,式年遷宮が出来なかった時期がありました。その歴史の背景には何があったのか過去の歴史に学ぶことが出来ます。はたして,国家が非常事態にあったから式年遷宮が出来なかったのか?それとも,式年遷宮を斎行しなかったから国家は非常事態になってしまったのか?

全身を以て全霊で祈りを続けて来られ,国家国民の災難・苦難・困難は我が身を通過してでも国家の繁栄と国民の安寧をひたすら祈り続けて来られたのが世界中の祭祀の最高位である歴代の日本の天皇陛下なのであります。このような国は世界探してもどこの王朝にも存在しません。これが世界の王朝からも尊ばれる理由であり,崇敬を集める理由でもあります。国旗を見ても判るように,太陽を国旗と出来るのは日本だけです。菊の紋章をパスポートに出来る国民は日本人だけです。菊の紋章は祭祀の頂点を意味します。

わたしたち日本人は,先の大戦で完全にその自覚を失わされてしまいました。菊の紋章の意味するところも忘れてしまい,菊の紋章を見ると右翼か暴走族を想像するくらいまで落ちてしまいました。本来,菊の紋章は世界の祭祀継承者の証なのであります。これが世界共通した解釈です。世界有数の神殿には,必ず菊の紋章が刻印されています。つまり,私たち日本人はパスポートでもそれを表現しているのです。ですから,菊の紋章が印字されている日本人の持つパスポートは外国人から信頼されて来た訳なのです。

したがいまして,和の国の天皇陛下に軍服と剣は必要御座いません。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


和の国体と和の政体「祭祀と統治」1

2018年02月06日 06時15分41秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。唐突ですが,日本は和の国です。この和と云う言葉の本当の意味は「神」だと私は考えています。

えっ?今日もなに言ってんだ?と想われた方もいらっしゃると思いますが,暫しお付き合い下さい。

たとえば,日本には頭に和と名の付く言葉がたくさん存在します。日本家屋の和室や着物などの和服,食べ物の和食など数えあげたら切がないほど存在しています。又,日本へ観光に来られる外国人の方々にもとても人気のある日本の和風・和物の御土産品でもあります。小さなものから大きなものまで和と付くものが多くあります。そのどれをとっても精密で且つ,精巧な技術品なものばかりで作り手が一生懸命に使う人の立場に立って考え,試行錯誤を繰り返しながら出来上がった最高傑作なものであります。

つまり,最初に私が申し上げた「和」と云う言葉の本当の意味は「神」だと考えますと言った理由も実は,そのひとつの物が出来上がるまでの過程を総称して感じたのであります。一見すれば,ただの物に過ぎない物質に「和」と呼称するにもちゃんと理由があるのであります。その理由とは,いま書かせて戴いた通りですが,日本人が作る和物は,一つひとつの作業にとても手間隙を掛けて物作りをして行きます。しかも,これが,外国人にとって日本製品が人気のある理由のひとつでもあるようです。

丹念に作り上げる思いと念に神さまの分魂が宿ると古から考えられてきました。この世のありとあらゆるものに神さまの分魂が宿っていると云う分魂思想に基づいた概念です。作り手側の念,気と言っても良いかも知れませんが作った物の中に入ってしまう訳です。悪く云ってしまうと不平不満を持ちながら,悔しさ悲しみを抱きながら作り上げた物の中にも負の念や気が満ちてしまいます。

ブラック企業などで朝から晩まで心身共にボロボロになりながら働いている会社の商品や製品は如何でしょうか?

古神道の観念に照らすとあまり自分の身の回りには置きたくないですね。

しかし,この日本人の物作りに対する姿勢と云いますか態度は,太古の昔からの遺伝子の働きではないでしょうか?突然,変な宗教の教義みたいな話になっていますが,ありとあらゆる宗教の根本が日本の古神道であります。古神道とは何かと申しますと,自然崇拝に祖霊祭祀に尽きます。たとえば,太陽や月のような大自然と山や海などの自然を崇拝することであり,自分たちの祖先「先祖」を祭祀「供養や追善供養」することだけであります。何も難しいことも多額のお金も掛りません。ですが,このいつもそこにある大自然と自然に感謝することが出来ないのです。誰であっても無数の先祖が存在してくれていたことで私たちは生きているのにも気が付けなくなって来ています。それは何故なのでしょうか?忘れられた故人を想い出すだけでも供養になるのであります。

元々,農業も科学も宗教も,そして,医学も法学も哲学もすべて信仰の対象であったのです。それを私たち人間が勝手に解釈をしだし,様々に分離させ,分派を繰り返して行く内に訳の分からない「魔」を創り出してしまったのであります。つまり,理屈(理論)が出来上がってしまいました。自然を崇拝するどころか自然を支配する思想になってしまったのは悲劇に近いものがあります。

農業を理屈で考えて行った先が農薬と遺伝子組み換えです。これによって,人の身体は自己治癒が完全に出来なくなりました。本来,天のエネルギーと大地のエネルギーが豊富に含まれた食物を食べるからこそ自己治癒が出来ていたのであります。又,科学では証明できないものは存在しないと平然と言い切ってしまう学者さんも居ますが,現代科学の進歩はどれくらいなものなのか答えられる科学者は殆んどいません。現代科学で分かることは僅か1%にも満たしていないのです。つまり,99%は非科学的と云うことになります。その99%の非科学的なことを1%の理屈「理論」で説明するのですから何があっても想定外となります。

宗教も同じであります。宗教とは教えですから,善と悪の教えが存在しなければ成立しません。そこで登場したのが宗教を理屈で解釈し説明することをしたのです。しかしながら,正しい教えか否かを判断するのは受け入れる側の本人自身であります。そもそも何が正しくて,何が悪いかと云う善悪は理屈で説明できるものではありません。受け入れる側しだいになるのです。つまり,宗教を理屈で説明し出した結果,人は自分で考えることを止めてしまうのです。自分自身で考えさすことを阻害してしまうのであります。

すると,自分の教えが絶対に正しいと思い込みます。つまり,大自然や自然と繋がることを自ら拒否します。

その先に待ち受けているのが,紛争と戦争,略奪と殺戮です。人類が滅亡するとすれば,その根底にあるものは宗教観の違いです。世界中の戦争を見てみて下さい。相手を憎しみ,滅ぼそうとする目的は何なのか?日本でも過去戦争がありました。一部の軍部の暴走によって,神さまを利用し,国家神道を樹立させ,古来祭祀の中心に存在する天皇陛下を軍の最高指揮官に据え天皇の名の元に戦った戦争でした。理屈(理論)は時に大切なものであり,理屈が必要なことは私も良く理解しています。しかしながら,正しいと思える理屈や完ぺきで他の者の追随を許さない理論や言葉ほど慎重に注意して使わなければならないとも考えています。

なぜならば,そこで犠牲になる人は,いつの時代であっても疑うことを知らない純粋で真っ直ぐな心を持った若者や子供たちだからに他なりません。これ以上の犠牲が国家にあるのでしょうか。将来の国家を背負って立つ多くの若者や子供たちを犠牲にしてまで守り続けらなればならない理由は何なのか?その理由が判らない自分の不知の知を恥じるとともに神さまが人を殺せ,人と戦えなんて言うはずがないと言う自分も居ます。宗教を人類の戦いの道具にしてはなりません。和の国に住む日本人であれば判ると思います。

明治天皇・大正天皇・昭和天皇に共通することがあります。

それは,剣を持ち,軍服を着用していることです。

和の国の祭祀を司る最高祭主に軍服を着用させ,剣を持たせたのは誰なのか?

国体である天皇陛下が持てる剣は三種の神器のひとつ「草薙剣」だけです。

また明日続きを書かせて頂きます。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


和の仕組みを考え続けた昭和の経営者

2018年02月05日 07時31分40秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。上の言葉は,松下幸之助さんが生前,会社の幹部によく話されていた言葉のようです。

松下幸之助さんは,とても信心深く神社や寺院に多額の寄付をされて来た人でも有名であります。きっと,学歴もなく病気がちであった自分を世界的な企業にまでさせてくれたのは神仏と先祖のおかげであることを誰よりも御存知であったのではないかと思います。少し事業が上手く行きだし,お金にも恵まれて行くと人は誰しも自分の力だと勘違いを起こしてしまいます。

これは,悲しいかな人間の持つ性(さが)なのかも知れません。ひとつの企業が成長して行く過程において,たくさんの人の支えがあってはじめて成長できるものです。そこには,企業競争に敗れた相手とその家族もたくさん存在しています。当然,努力が実らずに定年を迎えた人々,途中で挫折してしまい終えた従業員も居たはずであります。そんな人たちのある意味犠牲の上で企業は成長して行くのですから,経営者は常にそのことを忘れてはならないのではないのでしょうか。そして,そう言った物事に対する姿勢が経営者の人格を磨いて行く様にも感じています。敗れた相手,忘れ去られた人々を決して忘れない考え方は和の基本姿勢です。

松下幸之助さんが実現したかった社会とは「和の仕組」だと私は感じています。何よりも素直に生きることが大切であると以前,松下幸之助さんの本を読んで書かれていたことをよく憶えています。確か,本のタイトルは素直な心に成るためにだったと思います。又,松下幸之助さんは,将来日本の為に活躍できる人材を育てる目的である塾を創設させました。そこで様々な事柄を学び教育されますが,私が一番感心したのは「掃除」にありました。なんでもその塾では,やる事がなければ掃除をしろと言うことが徹底されているようです。きっと,掃除の持つ御力をよく知っていたからではないかと思います。アップルコンピューターの創業者であるジョブズさんもマイクロソフトのビルゲイツさんも掃除の持つ御力をとても理解されていました。これは本当にその通りであります。

禅をこよなく愛した松下幸之助さん,ジョブズさん,ビルゲイツさんならではの考え方でもあり,非常に実践的なことであるとも思います。掃除は禅の基本で根本と言っても良いかも知れません。福井県の永平寺に行くと深夜1時から若いき雲水が懐中電灯を額に着け一生懸命にただひたすら掃除をしている場所があるのです。その中でも特に,水と水回りの掃除はとても大事であります。つまり,水が流れ出る場所です。私たちが暮らす個人の家においても同様であります。浴室や洗面所などが汚れるとその家に住む人の健康や運気に悪いと古神道では言い伝えられています。水は穢れを流し,掃除には祓いの御力が込められているのであります。

今日は,なんだか常日頃から私が考えていたことを先人も同様に考えていたんだと云うことで,松下幸之助さんを記事にさせて頂きました。そして,先人から背中を押して頂いている気がして嬉しくもなりました。やはり,いつどんな時代であろうと和が基本であり,その和の仕組みは,わたしたちが暮らす和の国から始まるのであります。明るく温かいと言うのが人の基本です。暗く冷たいと言うのはやはり可笑しい。人を人と思わず,人を物として来た1つの時代,世の中がもうすぐ終わります。和の仕組みの復活です。

松下幸之助さんに感謝。拝


 

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和の国に住む大和の民族

2018年02月04日 05時05分35秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。今日は,先日から掲載して来ている「狙われる私たちの郷土~美しきかな水の国~」はお休みで,新たに設けたカテゴリー「祭祀と和の国」で記事を書かせて頂きたいと考えます。祭祀とは「国体」で統治とは「政体」を意味します。祭祀の中心は天皇陛下と云うことになりますが,政体の頂点とは内閣総理大臣と云うことになるのです。そう言った日本の伝統を現在の政体を司る政治家の人々が知っているか否かは分かりませんが,自分たち政治家が国民を支配しているなんて考えてはいないことを願っています。偶に,その様な勘違いをしてしまっている官僚や政治家を見掛けますが,とても気の毒で仕方がありません。

もっと,自分の不知の知を知るべきであります。

新年の初めに内閣総理大臣が,何故,伊勢神宮の参拝からスタートするのか?なのです。祭祀の最高位である天皇陛下は,神さまから私たち国民「おほみたから」を預かっております。ですから,天皇陛下の祈り「祭祀」は「おほみたからにいたるまで」なのです。つまり,国民が豊かで平穏に暮らせますようにと歴代の天皇が過去数千年も祈り続けて来たわけです。わたしたちの国には,日本神話の国譲りと云う物語があります。その国譲りの物語の中に,天津神の神さまが国津神の神さまへ約束した言葉があるのです。

天津神の子孫「天皇」が,未来永劫,国津神を丁寧に丁重にお祀りし,国津神の子孫とその子孫が大切に護り続けて来たものをお祀りして行きますと約束したのであります。ここで云う,国津神の子孫が大切に守り続けて来た「もの」と云うのが縄文時代以前から五穀豊穣の穀物などを大切に大事に収納していた高床式倉庫であります。その高床式倉庫に豪華な装飾品を設け,お祀りしているのが伊勢神宮の御社殿で唯一神明造りと申します。掘立柱に茅葺屋根が特徴的な御社殿です。そして,常若信仰に基づいて,常に若々しさを保つ為に20年に一度,すべての御社殿を建て替える式年遷宮が存在するのであります。

したがいまして,私たちは知らず知らずの内に伊勢神宮へ参拝しますと高床式倉庫に絢爛豪華な装飾品を設け,格式が高い御社殿へ祈りを捧げていることになるのであります。凄い壮大なことを誰が考え付いたのか存じませんが,日本にはこのような無言の教示的な事柄がとても多く,特に古神道にしても現代の神社神道にしても祭祀に纏わる事柄においては世界随一です。見せながら隠すという日本ならではの伝統的な事なのかもしれません。紛争や戦争,略奪や殺戮を繰り返して来た人類の仲裁を出来る民族が大和の民であります。それを阻止するものが理屈であります。理屈を以て仲裁すると言うトリックに騙され続けた結果が今なのであります。

天津神の子孫である天皇陛下が約束を違えるとどうなって来たのか?

過去の歴史を勉強すれば解かることでもあります。過去に記事にしていますので,ご興味があればご覧ください。

(イ)伊勢神宮と出雲大社 国津神と天津神

(ロ)伊勢神宮1300年続く 永遠なる祈り

(ハ)神から預かりし日本とおほみたから 天皇の祈り

和の国は,静「祭祀」にして動「政治」,動「政治」にして静「祭祀」でなければならないのであります。

これから国民はそのことに気付き出し,本当の意味の公共の福祉と公共の利益に基づいた行動をとって行くことに真の豊かさと幸福感を求めて行くことになります。既に,一部の人はその様に動きだし,行動しているようです。あさひのプチ予言であります(笑)

和の国で暮らす一人の住人でした。拝


 

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狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 18

2018年02月03日 08時12分23秒 | 美しき水の国

こんにちは。上の動画は「美しき日本」にて放送された室生寺です。お借りしてまいりました。合掌

動画でも確認できますが,室生寺には,観音さまが居られます。中村さんと云う御方ですが,日頃は地元で農業に従事され,室生寺に奉仕される正真正銘の観音さまです。今現在は,御隠居されたと云う話を伺いました。いくら何万遍と御経やお題目を唱えていても悟ることは出来ないことを中村さんと云う観世音菩薩の化身を観てそう感じました。お釈迦さまが偶像崇拝を禁じた理由です。

これは,私の勝手気ままな自論でもありますが,日常生活の場でしか人は悟りを得ることは出来ないと日々感じながら生活をしています。もっと言えば,仏教の究極の目的とはそこにこそ存在しているとさえ考えております。さらに,私たち人は,既に悟りを得ているからこそ生まれて来ることが出来たのだとも思っています。あとはその人がどう云う生き方をして行くか,心に坐します神と人が合一出来るかが重要な気がしているのです。古神道で言うところの神人合一であります。つまり,惟神(かんながら・カムナガラ)です。その為に,態々,それぞれ違った魂を持つこの世と云うごちゃ混ぜの世界で体験しているのではないでしょうか。

室生寺には数え切れないくらい参拝せて頂いて来ましたが,はじめて室生寺に行った時の思い出が懐かしく感じます。最初は,桜井市の長谷寺さんから秋篠寺に行く予定で計画を立てていましたが,なんと,不思議な事に到着したのが室生寺だったのであります。しかも,私自身,室生寺のある場所に行くまで,まだ秋篠寺にいるものだと錯覚していたのです。あれはなんだったのか?今でも不思議な思いがしています。桜井市の長谷寺から宇陀市の室生寺までは車を結構走らせなければ行けるところではありません。

しかも,室生寺は山間の中に御鎮座されています。正直,どうやって長谷寺から室生寺まで行ったのか憶えていないのです。車で移動したのは間違いがないのですが,道中の記憶が完全に消されてしまっています。あのような感覚は,私もはじめての体験だったのですが,室生寺に到着し,境内のある場所にてその理由と申しますか,何故,室生寺に来たのかが解かりました。もっと言えば,解かると云うか肝に落ちると言った方が良いかも知れません。つまり,自分自身にしか判らないことがあると云うことなのです。したがいまして,理由は他言無用なので書けませんが,あのような事が本当にあるのだと思い知らされた日でもあったのでした。

火の神さまと水の神さまを祀り,太陽信仰の重要な祭祀場であり,神秘に満ちた室生の里にひっそりと鎮座される室生寺は古から伝わる神仏習合のとても素晴らしい寺院です。「故きを温ねて新しきを知る」古きを訪ねて新しきを知るにはとても良いところです。

わたしも沢山,室生寺さんで学ばせて頂いて来ました。

もっと,自分を見つめなさい。自分自身を尊びなさい。自分の心に正直でありなさいと教えて頂きました。

そして,転んでも良いから。間違っても良いから。失敗しても良いから生きて行きなさいと言う事でした。

今日の狙われる私たちの郷土~美しきかな水の国~18は「水の神への感謝参詣 女人高野室生寺 編」です。

以下の記事は「2016.10.1」に掲載したものです。

 

こんにちは。水の神への感謝参詣も残すところ今日の女人高野の室生寺と伊勢神宮のみとなりました。そして今月10月24日は,私も崇敬させて頂いている一社でもあります玉置神社の例大祭が斎行されます。玉置神社は,縄文以前から祭祀場として存在していた古神道の聖地中の聖地です。神社神道としての玉置神社は,今から2000年ちょっと前の創建ですからまだ若いと云えます。

しかし,祭祀と云う視点からですと1万年・2万年以上も前からの超古神道の祭祀場であります。私がブツブツと申し上げるよりも機会があれば一度,玉置神社さんへ参拝されて見て下さい。御神木や古神道の形式が残る白山社も御鎮座されております。

さて,室生龍穴神社での参詣を終えて,次に向かった先が女人高野で名高い室生寺です。ここ室生寺にはもう数えきれないほど参拝させて頂いておりますが,いつ来ても良い気が充満しているところです。思えば,初めて室生寺さんへ参拝させて頂いたきっかけは,以前にも記事で書かせて頂いた「女人高野 室生寺と十一面観世音菩薩」ことからですが,本当に縁と云うものは不思議で言葉では説明が出来ないほどの実情や影響をもたらすものだなと思っています。これも原因と結果と云う因果応報なのでしょう。

ならば,やはり善良な因果を積んだ方が自分にとっては最善です。たとえば,悪いことをすると罰が当たる。言葉では誰でも理解が出来ることだろうと思います。しかし,その悪いことの罰がいつ・どこで・どうなるのかを理解できる人はいないのではないでしょうか。つまり,内容と時間差があるが故に,関係付けることが出来ないのです。ですが,ふとした瞬間やこれまでの行いを省みたとき「なるほど」と感じることは出来ると想っています。したがって,悪い奴が得することはあっても徳を得ることはありません。

生きていると何が善良なのかが難しく感じることも確かに多く存在しますが,ひとつの判断としては良心に付き従うことだはないかと感じています。この良心については,いろいろな方がいろいろな所で御考えを述べられていたりしていますから,自分との価値判断が違うと感じるかもしれません。しかし,考えて見れば,生まれた場所も育った環境も全く違うのですから良心の価値判断が人それぞれ違うのも当然と云えば当然のような気もします。つまり,正解を探そうとするような価値判断は,相手と思想上で競い合っているに過ぎないのではないかと云うことです。正しい良心,誤っている良心だと決めつけると結局は社会と云う集合体の中では窮屈な思いを自分がしてしまいます。ましてや,自分の良心は正しいと断言できる人ほど何か怪しい気配すら感じてしまいます。

室生寺に参拝させて頂くたびに毎回,心底感心することがあります。それは,室生寺で奉仕されている方々の参拝者に対する態度です。本当に素晴らしいものがあります。どうすれば参拝者に喜んでもらえるか。室生寺に来て良かったと感じて貰う為にはどうすれば良いかを良心に基づいて奉仕されている感じが毎回参拝させて頂いて感じることができます。いつでも私たち参拝者をとても温かく迎えてくれます。「おかえりなさい。」「また帰ってきたや。約束やで。」この言葉は,室生寺に奉仕されている職員の方が参拝に来られる人に掛けられる行きと帰りの挨拶です。上の写真は,本堂から五重塔に続く参道を撮影させて頂いたものです。拝

女人高野 室生寺 公式ホームページ:http://www.murouji.or.jp/


 

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狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 17

2018年02月02日 08時00分37秒 | 美しき水の国

こんにちは。上の画像は,室生川から一斉に飛び立つホタルです。針テラス情報館さんから借りて参りました。

ところで,東日本大震災から今年で8年目を迎えます。東日本大震災から数日が経過した頃,関東地区の一部では計画停電が実施され,さらに,民間の生活レベルでは水とガソリンなどの燃料が完全に供給できない事態になりました。つまり,コンビニやスーパーから水などの飲料水がなくなってしまったのです。特に困っていたのが,乳幼児を抱える親たちで,赤ちゃんにミルクが作れないと本当に困り果てていたようです。産学官連携して大規模災害時には買い物弱者を保護できる仕組みを構築するべきであります。

コンビニやスーパーなどでは,「水の買い溜めはやめて下さい」「1人2本まで!」と云った張り紙がされていました。しかし,人間の欲と云うものは凄いもので,我欲むき出しの家族は,家族総出で大量の水を買って行くそんな他人の事など気にもしない家族もおりました。ガソリンなどの燃料も同様で,燃料を求める人たちでガソリンスタンドの周辺は大渋滞でした。水の供給が停止されてしまうと食事や健康や衛生面に影響が出て来ます。既に世界は水と食料の争奪戦が始まっています。今後もますます激しくなって行きますから日本も出遅れ感は否めませんが,食料自給率の問題や農業の問題等,日本は対応策を講じて行かなければなりません。

私たちは,あの水不足から何を学んだのか?きっと問われる日が来ると感じています。 

今日の狙われる私たちの郷土~美しきかな水の国~17は「水の神への感謝参詣 室生龍穴神社 後編」です。

以下の記事は「2016.9.27」に掲載したものです。

こんにちは。さっそく,昨日の記事の続きを書かせて頂きたいと思います。拝殿で参拝をさせて頂いた後,いつもですとそのまま室生寺へと向かうか伊勢神宮へ向かいますが,今回は,拝殿の奥の本殿へも参拝させて頂きました。これまでも本殿へ参拝させて頂こうと思うのですが,実際に拝殿で参拝を終えると本殿まで行く足が止まり,なかなか参ることが出来ませんでした。畏れ多い事だからと云う気持ちが一番強いことが理由ですが,今回はその足が本殿へ向き,本殿瑞垣前で参拝させて頂くことが出来ました。

この本殿も凄いところです。本殿の前にも鳥居があるのですが,通常は本殿前の鳥居はくぐれません。鳥居の前に瑞垣がありますので立ち入ることが出来ないのです。例大祭の日や他の祭事の時などは解放されているかもしれませんが,普段は入ることは出来ません。私はこの本殿に参拝させて頂くことが限界ですが,室生龍穴神社さんの本当の奥宮は,龍穴神社さんから約800メートルほど入って行った場所にあります。吉祥龍穴と云う遥拝所です。その奥宮で1000年以上も前に,水神神事や雨乞いの儀式,そして龍神への祈りがそちらの奥宮で斎行されていた場所のようです。奥宮遥拝所で参拝をさせて頂くには,御神体である山に入山しなくてはなりませんから私は一生参拝できないと思います。それはそれとして拝殿と本殿で参拝させて頂けるだけで十分です。

ところで,龍穴神社の御神水と云えば,奥宮遥拝所の右側の巨大岩盤から流れる落ちる滝「招雨瀑:しょううばく」です。これを神道では磐座(いわくら)と云って,古墳時代あたりから信仰の対象とされてきました。つまり,この奥宮遥拝所一帯が超巨大の磐座であって,その超巨大の磐座の一部に龍神が出入りする為の龍穴があるのでお祀りしているのではないかと思います。磐座から御神水が湧き出ていると考えるのが古神道の基本的な思想であり,自然そのものを神として祀る原形がそこにあります。きっと,御水が湧き出ている源水はゼロ・ウォーターではないかと思います。数千年前に創建されている神社や寺院には超真水と呼ばれる御神水が湧き出る磐座が必ず存在し,その場所を大切にお祀りされているのです。先日の記事の貴船神社や出雲大神宮もそうです。

超巨大な磐座から湧き出る超真水が,滝から流れ落ち,小川をつくり,他の小川同士が合流して行く中で様々な成分を含んで行き,室生川を形成し室生の里で暮らす人々に恵みをもたらし,農業用水などにも活用され,収穫した穀物を私たちは美味しくいただくことが出来るのであります。その自然の仕組みを太古の人々は神として崇敬して来たのです。龍神は綺麗な水でなければ棲息することが出来ないので,万が一,開発行為などが進み,工事の手が入ると龍神さんは姿を消すかもしれません。そうならないようにして頂きたいと思います。そんなことを考えながら,次に向かったのがブログでも何度か紹介させて頂いている女人高野の室生寺です。拝


 

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観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝


狙われる私たちの郷土 ~美しきかな水の国~ 16

2018年02月01日 06時43分11秒 | 美しき水の国

こんにちは。上の画像は奈良県観光公式サイトからお借りしてまいりました。水の神さまを過去数千年お祀りし続けて来たガチ古神道系の神社である室生龍穴神社であります。写真を観ただけでもワクワクすると同時に恐れ多さがビシビシ伝わって来ます。又,室生龍穴神社一帯は,室生火山帯の中心部でもあり,さらに,太古の昔は太陽信仰「太陽軌道」の重要な祭祀場でもありました。

まさに,火の神さまと水の神さまを大地でお祀りし,最高神である太陽神を崇拝する原形が室生龍穴神社です。

又,室生川一帯は,ゲンジホタルが多く生息していることでも有名です。別名「ホタル街道」と呼ばれます。

今日の狙われる私たちの郷土~美しきかな水の国~16は「水の神への感謝参詣 室生龍穴神社 前篇」です。

以下の記事は「2016.9.26」に掲載したものです。

こんにちは。丹生川上神社下社での参拝を終えて,車をひたすら走らせ奈良県宇陀市室生へと向かいました。さっきまで止んでいた雨が再び降りだして,山を下っている途中は豪雨のような感じでした。山の天気は変わりやすく,少し遅ければ丹生川上神社下社さんでゆっくりと参拝をすることが出来なかったくらいです。室生の里へは,これまでも何度も伺って参りましたが何度訪れても良いところです。やはり,室生と聞くと室生寺を連想されることが多いと思いますが,この室生寺よりも以前に室生龍穴神社が御鎮座されていたと伝承として伝わっております。そもそも室生寺は,龍穴神社を御守護する目的で創建されたと云うことです。

室生龍穴神社は,室生寺の前を通る県道28号線沿いに位置し,室生寺から数分で神社正面に着きます。

いきなり巨木の大杉「御神木」が目の前に現れるでしょうから直ぐに解ると思います。室生寺に参拝される多くの方の中でもほとんど龍穴神社へ参拝される人はいないようです。私も実際,龍穴神社では滅多に参拝者と会うことはないです。地元の方は氏神信仰として参拝されると思いますが,地元以外の人では龍神信仰を熱心にされている方以外にはあまり知られていないからでしょうか。

先ずは,氏神様へ御挨拶を済ませてから,神宮寺でもある室生寺へ参拝させて頂くと良いと思います。先日の記事でも薬師寺さんについて書かせて頂きましたが,薬師寺さんでは,八幡神社へ先に御挨拶を済ませてからと云うことが案内されています。

私もそれが筋のように考えています。龍穴神社に到着すると,最初に眼に飛び込んでくる風景は,第1鳥居両側にそびえ立つ御神木である大杉ではないかと思います。その迫力はもの凄いもので,最初に訪れたときは,何も事前の情報収集などをせずに,室生寺さんから伊勢神宮へ向かう途中に龍穴神社さんの脇を通り,そこに神社があることも知りませんでした。

しかし,御神木である大杉を観たとき,思わず車を停車させてしまう程の何とも言えない迫力と固く入山を戒める威厳さを音霊で直ぐに得ました。たとえ晴れの日の昼間であってもひとりでの参拝は躊躇してしまう程の雰囲気があります。京都の貴船神社の御祭神と同じ神様をお祀りされていると龍穴神社の由緒書にはありますが,私の感覚では全く違うように感じています。

あの威厳さを放つ神気は玉置神社の参道と似ているようにも感じてしまいます。

確か,それからも数回は龍穴神社さんへは参拝出来なかったです。龍穴神社さんの鳥居前までは行くのですが,一人ですし「入ること成らず」の音霊がヒシヒシと伝わって来て,鳥居の前から拝礼だけをすることが数回続きました。そうして,いつものように鳥居まで行くと「参られよ」と云う音霊が伝わって来ました。大杉の上から看視されている御眷属である天狗さんに参拝することの許可を得ることが出来たようです。初参拝させて頂いた時にはただ茫然と大杉の上を見上げていたことを今でもよく憶えています。

ここの龍穴神社は,興味本位やお遊びで行く神社ではないです。商売繁盛などの個人祈願もするような神社でもないです。写真を掲載できないのが残念でありますが,インターネットの画像検索をされると他の人が撮影された素晴らしい大杉や境内等がご覧頂けます。そして,正面の鳥居をくぐり,左側に手水舎がありますので,そこで手と口の禊を済ませ拝殿へと向かいます。既に神域内ですが,私が最も強く誰かの視線を感じる場所が拝殿へ向かう途中,つまり境内地の中心部です。

例大祭などでお祭りが出来るようにその場所だけ四角形の広場のようになっています。ここに立ち尽くすと自分が周りの大杉に囲まれる形になります。きっと,大杉群の上から龍穴神社を守護している天狗さんたちに看視されているのだといつも感じていますが,その先の石段を数段上ると拝殿に到着します。拝殿では参拝させて頂いたことに感謝だけを捧げて下がりますが,拝殿の後ろには朱色の本殿が御鎮座されております。これだけの神社を数千年間も守り続けて来られた先人と地域の氏子さんに感謝しかありません。

明日に続きます。拝


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を再び伝えて行きます。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲 あさひ 拝