犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

こんちゃんのおなら。

2015年06月29日 | おせわがかり日誌


それは大雨の降ったあとの夜のこと。

いつものようにご機嫌で夜さんぽにでかけた、

こんちゃんとわたし。



ここのところ毎日、黒い彼女に会うために、

同じようなコースが続いていたが、

大雨で足元の悪いし、こんちゃんのボケ防止のために、

最近行かないコースにしてみようか、と思いつき、

ちょっと歩いて、すぐUNCが出たので、

さあ、と、ふだんとは反対の道を歩き出した。



橋を渡って、信号を待つ。

横断歩道を渡って、久しぶりに公園へ。



あれ?

なんだかかわいい音が小刻みに聞こえてくる。



 ぷっぷっぷっぷっぷ



あれ、この音はなんだっけ?



 ぷっぷっぷっぷっぷ




ああ、こんちゃんのおならだ。

おかしくなって、「大きいのしたのにまだ出るの~?」と、

顔を見ると、なんだか不安そうな顔。

ちょっと震えてるし。



おなか痛いのかなあ、と心配になって屈んだときに、

それは雷が落ちてきたみたいな感覚で、気が付いた。




 こんちゃん、捨てられると思ってる。



そうだ。

よく見れば、ここは、あの公園に似てる。

ワゴンがすーっと止まり、中から犬を抱いた人が下りてきて、

しばらくして人だけが戻り、車がさーっと、どっかへ消えたという、

こんちゃんが捨てられたという、あの場所に、とても似てるんだ。

季節は違うけど、こんちゃんは多分、思い出したんだ。

家から外にでたときは、スキップするほど元気で、ご機嫌だったのに、

今は、ぶるぶる震えてる。小刻みに、おならしながら。

おなか痛くなるほど、不安になったんだ。



「違う違う違う。お母さんはこんちゃん絶対捨てたりしない。生きてる限り一緒だから。

 お母さん絶対死なない。こんちゃんが生きてるうちは絶対ぜったい死ななないから」



雨あがりの公園の脇で、老犬をぎゅーっと抱いて、気が付いたら、

「101回目のプロポーズ」のタケダテツヤさんみたいなことを口走っていた。

(このドラマ、一度も見たことはないんだけど、あのシーンだけは知っている)



こんちゃんの体をさすりさすり、頭をなでなでし、

体を離して、目を見ると、じんわり涙が浮かんでた。

もう体は震えてなかった。



よっこいしょ、と、歩き出し、あっちこっち好きなだけによいをかがせてあげた。

不安が消えたからなのか、久しぶりのコースだからか、とても楽しそうにしていて、

私のほうを、ふりかえり、ふりかえりして、ご機嫌で歩く、こんちゃんだった。



もちろん、おならは一度も出なかった。




オレコは「いや!」というのを全面に出すからわかりやすいけど、

こんちゃんのように表現が控えめだと、わからないことが多い。

元気そうだったのに急におなかの具合が悪くなったり、吐いたりするときや、

車酔いする子なんかも、もしかしたら、いやな思い出があるのかもなあ。

ミグノンさんで引き出された子たちも、センターから移動するとき、

車の中で、プーしたり、シーしたり、ゲーしたり、と、大変そうだ。

「わたしどうなるのかな?」

という不安のピークの中で、車に乗ったりするんだから、当然ともいえる。

なんでもそうだけど、犬だって、人間と同じなんじゃないだろうか。



車酔いする子は、車に乗ると楽しいことがあるよ、という経験を積むしかない。

飼い主さんが粘り強く、教えていくしかないだろうなあ。

わたしはこんちゃんをもっとよく見守って、安心してもらえるように、しようと思う。