長生きしたがる下賎人になるつもりか
生き残れば良いものではない。
サバイバルな強い人を好むのは普通ではあるが、戦いもせずに逃げ惑う人は弱い。
与えられた宝でエセ××になる人も、弱い。
似合わない武器を持っても、振り回すだけでダサイ。
私の時間を無駄にしても、下賎人がテレビでキラキラタイムを過ごす方を許すなら、やればよい。盗撮盗聴者がそのデバガメ顔を曝す画面はさぞや不快なはずだ。
それほど人気者有名人に為りたいなら、盗撮盗聴する暇は無いはずなのにやるから、色んな場面で嫌われる事をしてしまうのだ。
私は別に人気者有名人を目指して勉強やお稽古に励んだわけではないので、タレントの受け答えは不得意だ。ただ、身につけた能力で、できるだけ力を上手に活用し、社会に貢献してきた文人だ。
他人の力を利用するだけの下賎人とはワケが違う。
高尚の意味が紳士淑女に相応しい理由は、紳士淑女がその珍しく高い能力を社会の秩序に使っているからだ。自分の下半身や身内の為に無駄に使うなら、下賎人と大差は無い。
ここで問題なのは自分の能力を過信する人々で、社会や国の為に家財をなげうつバカに為るよう誘導されないことだ。
その誘導者らは、ペテンや詐欺師でしかない。有名人であろうとなかろうと。
まんまと高尚な世界に入り込んだ下賎人は、やはり下賎なまま、高尚な肩書きでペテンや詐欺をするだけだ。
肩書きやマスクで尊敬するのは騙されるパターンなので、相手の言動に注意を払おう。
高い能力を苦労して身につけたなら、下賎な言動を慎むべきだ。苦労が水の泡と化さない為に。
芸術家が芸術家のふりで芸術を表現するわけではない。芸術家のマネをしたところで芸術家には為れない。芸術を理解できないなら、芸術家に為ろうとするな。
政治の社交性は芸術家には無駄なのだ。私は芸術家を目指したわけではないので、通常の社会生活を送り、通常の社交性は備えている。ある種の天の導きで、芸術家と為った私は、芸術家の辿るルートを意識したわけではない。自然発生的に、芸術が舞い降りる私の作品は、私の魂と肉体を媒介としたのだろう。神霊を信じつつ、エセ神霊を嗅ぎ分けられる基準値を備えているからだろう。
謙虚さは、作品にも現れる。
鼻持ちならないモノでは、芸術家にはなり得ない。
ヒマラヤ密教の性的な男女神の像ばかりを神と拝んだところで、ヒマラヤ密教の教えすら知らないなら、その神は形ばかりの飾りだ。
すぐに病気にかかるだけだろう。
〈望玄MiharuTogoKana日月緋彌冬月月衣雨のち苺千波らんらんてぃふぃん路世汰月彌千東霜かの東郷嘉奈 筆。〉