(2020.12.12 Sat.myJUGEMブログ:健康より転載。)
寺×と3人組だった私は嫉妬で縁切りされた。
タロットメッセージだ。小学校の優しい先生の計らいで、3人組として友人を作ってくれたのをきっかけに、友人1人いなかった蘇嘉奈(→私)は、学校内に日本人友達が2人できた。台湾名ではイジメられるからと、父の姓を通り名にするよう勧められ、その通りにし、家(龍門菊屋)で勉強しなさいと母に頼みこみ、忙しい母だったが、ちゃんと私に勉強をさせた。
勉強と習い事と学校生活の充実で、私は利発で優秀な少女に変貌した。優しい先生には感謝しかない。
先生の頼みを聞いた2人の友達とも、小学校後半までは仲良くしていたので、途中で3人組解散になったのは自然な流れだったのだろう。無理に一緒に遊んでくれていたはずだから。
おしゃべりや友人作りは今も苦手だと言いたいけど、頑張った小学校時代には普通に友達づきあいくらいはできる。社交性は他の2人と入った演劇部でも磨いたつもりだ。芝居好きな2人はひょうきんで明るく、私は勉強ができる頼れる子とみなされた。しっかり者の役割を与えられたのだ。
本当はそれほどしっかり者ではなく、むしろ下りるバス停を覚えられずに弟任せなボケっとした姉だったが。
とりあえず、学校では、しっかり者の優等生として何となく言われることをしては実績を出した。
本来はおっとりしているので、書道部が性に合っていたが、3人組の私も一緒にクラス受持ち教師が顧問の演劇部に引き込まれ、ずるずると演劇部を大学辺りまでやっていた。何かの縁だったと思うしかない。時間や労力が非常にいる演劇部は、普通なら入らない方が良いだろう。よっぽど自己顕示欲の強い活発さがない限り、そこは虚構を佳しとするので、穏やかな自己を保ちたいなら、他の部活動をオススメする。
タロットメッセージに戻る。どうやら、自己顕示欲の強い彼女たちより目立ってしまったらしい私は、クラスで1、2のキラキラガールとみなされ、3人組解散の憂き目に遭ったとか。
中学辺りから他の2人とは疎遠で、今では連絡すらない。
「とうちゃん」と呼ばれた私は、もうそう呼ばれることはないだろう。