万葉集の「神」という語が天皇即神の表現として用いられていると考えられているなかに、「
現つ神〔明津神〕」(万1050)と「わご大君 神の
命の〔吾皇神乃命乃〕」(万1053)という例がある。いずれの歌も巻第六の終わりあたりに位置し、
田辺福麻呂の歌集の中にあった歌と注されている。これら二つの言葉はいまだ理解が行き届いていない。本稿ではその二つの語について正しく解し、つづいてそれらの語を使っている田辺福麻呂の「久邇新京讃歌」を読み解く。
「明神」の歌
久邇の
新しき
京を
讃むる歌二首
并せて短歌
現つ神 わご大君の〔明津神吾皇之〕 天の下 八島のうちに 国はしも
多にあれども 里はしも 多にあれども 山並みの よろしき国と 川並みの 立ち合ふ里と
山背の
鹿背山の
際に 宮柱
太敷き奉り 高知らす
布当の宮は 川近み 瀬の音ぞ清き 山近み 鳥が
音響む 秋されば 山もとどろに さを鹿は 妻呼び響め 春されば
岡辺も
繁に
巌には 花咲きををり あなおもしろ 布当の原 いと
貴 大宮所 うべしこそ わご大君は 君ながら 聞かしたまひて さす竹の 大宮
此処と 定めけらしも(万1050)
アキツカミという語は万葉集中にこの一例しかなく、古事記には見られない。日本書紀には、「明神御宇日本天皇」(孝徳紀大化元年七月)、「明神御宇日本倭根子天皇」(同二年二月)、「明神御大八洲倭根子天皇」(天武紀十二年正月)と、詔のなかの文言の例がある。それらは、アキツカミ
トアメノシタシラスヤマトノスメラミコト、アキツカミ
トアメノシタシラスヤマトネコノスメラミコト、アキツカミ
トオホヤシマシラスヤマトネコノスメラミコトと訓まれている
(注1)。
アキツカミは、現実に姿を現している神のことをいうとされている。別に
現人神ともいい、人の形となって現れた神のことである
(注2)。
王、対へて曰はく、「吾は是、
現人神の子なり」とのたまふ。(景行紀四十年是歳)
長き人、対へて曰はく、「
現人之神ぞ。先づ
王の
諱を
称れ。然して後に
噵はむ」とのたまふ。(雄略紀四年二月)
…… 懸けまくも ゆゆし
畏し
住吉の
現人神〔荒人神〕
船の
舳に