古事記・日本書紀・万葉集を読む(論文集)

ヤマトコトバについての学術情報リポジトリ 加藤良平

万葉集「今は」例の助詞「は」について

2016年01月13日 | 古事記・日本書紀・万葉集
 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(万8)

 万葉集8番歌、熟田津の歌に、「今は漕ぎ出でな」とある。本ブログ「熟田津の歌 其の一」(2015.1.23)以下に詳述した。そこにある助詞「は」について、以下、補足検討する。大野晋・佐竹昭広・前田金五郎編『岩波古語辞典』(岩波書店、1974年)に次のようにある。

 「は」は、提題の助詞と言われている。その承ける語を話題として提示し、下にそれについての解答・解決・説明を求める役割をする。主格の助詞とする説もあるが、「は」は格には何の関係もないので、主格にも目的格にも補格にも用いる。普通は、下は終止形で文を結ぶが、下に来る文は解答・解決・説明でありさえすれば、完全な文であることを必要としない。時には体言で終止することもある。……
 「は」は、その承ける語を肯定し確信して提示し、下に肯定にせよ否定にせよ、明確な解決を求める役目をする。「は」は提題を明示するだけでなく、下の解決をも確実なものとして取り立てて示す働きがある。また「は」は、一つの条件の提示となることがあるが、……「誰」「何」などの疑問詞を承けることは稀である……。これは「は」が、すでに明確である物や事を承けるという性質を持つからで、不明なもの、疑問詞などはほとんど承けないのである。(1453~1454頁)

 文法学では、助詞「は」において、上の提題という括りでは語り尽くせない面があることが、さまざまに議論されている。それらを辿ることは煩雑であり、また、本ブログの主旨である「古事記・日本書紀・万葉集を読む」ことから離れていくので積極的には行わない。小田勝『実例詳解古典文法総覧』(和泉書院、2015年)(注1)によりながら助詞「は」について要点を示す。

 1.「は」はその事物を他物と区別して特立して示す。これを分説と呼び、「も」は合説と呼んで、他物と併合して示す。
  熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(8)
 2.「は」は、主題を表す。「主題(topic)―解説(comment)」という構造をもつ有題文を構成する。格は問わない。
  大和は 国のまほろば(記歌謡56)
 3.「は」は、総主文を構成する。Sハ〔S+V〕
  象は鼻が長い。
 4.「は」は、分裂文を構成する。〔S+V〕ハV
  鼻が長いのは象です。
 5.「は」は、ウナギ文を構成する。
  (飲食店の注文で)僕はウナギだ。
 6.「は」は、否定のスコープ、フォーカスを注意させる。
  いと口惜しうはあらぬ若人どもなむ侍るめる。(源氏・夕顔)  
 7.「は」は、主題ではなく対比を表す。
  昔こそ 難波田舎と 言はれけめ 今は京(みやこ)引き 都びにけり(万312)
 8.「は」は、提題でも対比でもない単なる強調を表す。
  しらぬひ 筑紫の綿は 身につけて いまだは着ねど 暖けく見ゆ(万336)

 筆者の理解の範囲で記しているので、詳細については同書ほかを当たられたい。なお、3.と4.に関連して、
  鼻は長いのが象です。(鼻毛は短いが)
  鼻は長いのは象です。(平安時代に実見せずに描かれた仏画を見せて特徴を言い表す)
という構文も考えられる。際限なく用例が思い浮かぶところが、言葉というものの奥深さである。
 現代語文法における「は」の解説としては、尾上圭介「『は』の係助詞性と表現的機能」『国語と国文学』第58巻第5号(東京大学国語国文学会、昭和56年5月。10年以上前から近刊予定となっている『文法と意味Ⅱ』(くろしお出版に所収されるという。基礎的研究であり、早めに出版して頂くことを願うばかりである。)に、

 ……助詞『は』は、何よりも文中の一点に位置するそのことにおいて、一文を二項に分節しているのであり、分節を意識した上で二項を結んでいるのである。「は」の機能のこの面を、以下〈二分結合〉と呼ぶ。[例えば「空は青い」という言明は]「空が青い」という措定的判断自体を対象としてそれをさらに根底から確かめるような判断である。このような、二項の結合の成立如何そのものを対象とする判断は、本質的に、並行する他の結合二事態への関心を含む。「は」の排他性は……、第一に、二項の結合そのものの―すなわち句全体の―他からの特立であり、第二に、「は」のすべての用法において指摘できる意味的特性である……。(103頁)

とある。この鋭いご見解により、対比の働きは、句全体ごとの対比になっていると確認できる。上の6.の例では、「昔に難波田舎と言われた」ことと「今の都らしさを誇る難波京」とを対しており、単に「昔」と「今」とを対比しているのではない。「は」に、〈二分結合〉の機能があると述べられている。ハはコソとは違うということにもつながる。
 この説明を、いま問題としている万8番歌の、「今は漕ぎ出でな」の「は」について、対比の意味合いを持つものとして適合させようとする説がある。新谷正雄「『今は漕ぎ出でな』考―万葉集巻1・八歌の意義を考える―」京都大学文学部国語学国文学研究室編『国語国文』第74巻第7号(851号)(平成17年7月)に、6.の意ではないかとする説が載る。その場合の解釈は、「『今、漕ぎ出そう』の背景に『今、漕ぎ出したくない』という思いを想定する事は容易であり、かつ必然があるように思うのである」、「去り難い感情を抑えつつ、西征の使命達成の為、止むを得ず出航しよう、と歌ったのだと考えたい」、「夫との思い出という私情に囚われつつ、西征の為の出航という、全軍の総帥としての立場上止むを得ない公的な意志表明がなされている一首、と考えるのである」(29~30頁)とある。
 けれども、上代に「今は……」という言い方において、6.にあげた対比の働きとは、「今は……」の節と、それと比較される節や句との対比なのではないだろうか。現代文でも尾上先生の指摘に、「並行する他の結合二事態」とあった。新谷先生のお考えでは、「今は……」節のなかに自己矛盾したアンビバレントな思いを内包しているケースということになる(注2)。そして、万337・542番歌にアンビバレントな葛藤の例とされている。万葉集に、「今は……」の例を見ると、次のとおりである。

 人皆は 今は長しと たけと言へど 君が見し髪 乱れたりとも〔娘子〕(124)
 昔こそ 難波田舎と 言はれけめ 今は京(みやこ)引き 都びにけり(312)
 憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ そのかの母も 吾(あ)を待つらむそ(337)
 うつせみの 世の事にあれば 外(よそ)に見し 山をや今は よすかと思はむ(482)
 常止まず 通ひし君が 使ひ来ず 今は逢はじと たゆたひぬらし(542)
 今は吾(あ)は 侘びそしにける 気(いき)の緒に 思ひし君を ゆるさく思へば(644)
 今は吾は 死なむよ吾(わ)が背 生けりとも 吾(われ)に縁(よ)るべしと 言ふと云はなくに(684)
 恋は今は あらじと吾は 思ひしを 何処(いづく)の恋そ つかみかかれる(695)
 宇治人の 譬への網代 吾(われ)ならば 今は王良増 木積(こつみ)来ずとも(1137)(難訓歌)
 うち上(のぼ)る 佐保の河原の 青柳は 今は春へと なりにけるかも(1433)
 時は今は 春になりぬと み雪降る 遠き山辺に 霞たなびく(1439)
 雁がねは 今は来鳴きぬ 吾(わ)が待ちし 黄葉早継げ 待たば苦しも(2183)
 ちはやぶる 神の斎垣も 越えぬべし 今は吾が名の 惜しけくも無し(2663)
 今は吾(あ)は 死なむよ吾妹(わぎも) 逢はずして 思ひ渡れば 安けくもなし(2869)
 立ちて居て すべのたどきも 今は無し 妹に逢はずて 月の経ぬれば〔或る本の歌に曰く、君が目見ずて 月の経ぬれば〕(2881)
 大夫(ますらを)の 聡き心も 今はなし 恋の奴に 吾は死ぬべし(2907)
 今は吾(あ)は 死なむよ我が背 恋すれば 一夜一日も 安けくも無し(2936)
 思ひ遣る たどきも我は 今は無し 妹に逢はずて 年の経ぬれば(2941)
 恋ふること 益(まさ)れば今は 玉の緒の 絶えて乱れて 死ぬべく思ほゆ(3083)
 思ひ遣る すべのたづきも 今は無し 君に逢はずて 年の経ぬれば(3261)
  今案ふるに、この反歌の「君に逢はずて」と謂へるは、理に合はず。「妹にあはず」と言ふべし。
 さ夜更けて 今は明けぬと 戸を開けて 紀へ行く君を 何時(いつ)とか待たむ(3321)
 上野(かみつけ)の 佐野田の苗の むら苗に 事は定めつ 今はいかにせも(3418)
 黄葉は 今はうつろふ 吾妹子(わぎもこ)が 待たむと言ひし 時の経ゆけば(3713)
 あしひきの 山谷越えて 野づかさに 今は鳴くらむ 鴬の声(3915)
 春の花 今は盛りに にほふらむ 折りてかざさむ 手力もがも(3965)
 鴬は 今は鳴かむと 片待てば 霞たなびき 月は経につつ(4030)
 針袋 これは賜(たば)りぬ すり袋 今は得てしか 翁さびせむ(4133)
 難波津に 御船下(お)ろ据ゑ 八十楫(やそか)貫き 今は漕ぎぬと 妹に告げこそ(4363)

 万337番歌は、山上憶良がお招きを受けて参上した宴から退出しようとするときに詠まれた歌とされている。新谷先生は、宴は楽しくて帰りたくないが、との葛藤を表すとされている。そうではないであろう。「今は……」と対比されるべき事項をとりたてるならば、「さっきまでは帰ろうとは思ってもいなかった」、「来週同じ状況だったら帰ろうとは思わないだろう」といった思いを言外に込めていると想定することは可能である。また、万542番歌は、今は逢うまいとする気持ちと、今も逢いたいという気持との対比とお考えであるが、逢うまいとしているのは「今」に限定されるものであると、相手の気持ちを射抜くように探っている意ではないだろうか。恋の駆け引きの歌である。ハリネズミのジレンマだろうと、呼びかけている訳である。婉曲的な愛情表現であって、好きだ、と言っているのと実は同じことである。プライドが高いらしく、この前の些細ないさかいなどで、二度と来なくなるなんてことはあなたはないでしょう、と呼びかけている。裏返せば、私は welcome です、来てください、と言っている。あえて対比するものがあると考えるなら、「今は逢うまい」と「少し先は逢うつもり」との対比が行われていると想定するのが適当であろう(注3)
 上の万葉集の全例を逐一検討する余裕はないが、助詞「は」については、筆者は、尾上先生の仰る〈枠もち文〉を構成させる性質にその源泉を見るものである(注4)。〈枠もち文〉を構成させる性質について、小田先生の教科書の要約の1.~6.については異論のないところと思われる。
 8.の提題でも対比でもない単なる強調について。もともとハが、文にするための枠をもたせながらその言葉をとり立てること、つまりは強調を表している。ここで使った「つまりは」の「は」も強調である。「つまり、強調を表している」と、「つまりは強調を表している」の違いは、前者は理路整然に受け繋ぐ接続詞であるところ、後者は、つべこべ反論をしないでくれというニュアンスが含まれている点にある。万336番歌の「いまだは」や、「つまりは」など、副詞や接続詞にハを下接している。名詞にハが下接する場合、名詞は言葉としてモノだから持ち上げようとすれば持ち上がる。副詞や接続詞はそうはならない言葉である。そこで、強調の用法と呼んでいる。
 7.の対比について。ハによって〈枠もち文〉が作られ frame とされることとは、カオスからの特立にもなれば、他との対比にもなる。句(一文)が額縁に入れられて作品として飾られている。これを提題との関係で考えるなら、(注3)に記した尾上先生の解説と同じことになると思うが、「は」を支点として見るなら、対比は提題の倒置法とでも呼べる作用関係にあると考える。「今は……」の例で言えば、提題は、「今」を事立ててとりあげ論っている。万312番歌「昔こそ 難波田舎と 言はれけめ 今は京引き 都びにけり」の「今は」は提題ではないのではなく、時間の経過をとり立てているから対比になる。だから、やはり、「今」という言葉が持ち上げられているものと考えられよう。〈二分結合〉の力によって引きずられて「今は」で始まる句全体が持ち上がり、「昔」という言葉やそれを含む句も持ち上げられている。万312番歌は全部持ち上げられてしまって、宙に浮いている。そのため、歌意も、抽象的で実態を語らない歌になっている。
 上にあげた万葉集の例に、提題と考えられるものであっても、提題だからこそ、「今は無し」→昔はあった、「今は春」→時が移ろう、「今は盛り」→来週は散っている、といった対比の色合いを含むと考えることができる。(注3)に記した尾上先生の仰るとおり、“対比”と“提題性”とは背反するものではない。
 以上、万8番歌を再考するに当たり、助詞「は」についてクローズアップしてきたが、筆者は、「今」というヤマトコトバが名詞を主体に確立していることにも興味を覚える。英語の now の場合、副詞としての用法が主体であろう。すなわち、ヤマトコトバでは、「今、盛りなり」という言い方と、「今は盛りなり」という言い方の2通りが簡単に作れて、両者は初めからニュアンスを異にすることが可能になっている。前者は、花であれば咲き誇っている満開の光景が浮かび上がるが、後者では、昨日はパッとしなかったとか、今夜は雨が降りそうだから花散らしになるだろうといった内容が見え隠れし、花の情景がズームアウトしていってしまう。〈枠もち文〉の枠ばかりが目立つことになり兼ねないのである。万3965番歌、「春の花 今は盛りに にほふらむ 折りてかざさむ 手力もがも」の歌意には、春の花の散るであろうことを惜しむ気持ちが込められている。「今」という時間軸のほうへ関心を向かわせる作用がある。英訳する場合、「今は」とハが入ると、but といった逆接の語を伴わせて複文を作るようになるようである。説明調な英訳になる。〈枠もち文〉だからである。歌謡にロゴスが侵入しても、短くて済む表現法がヤマトコトバには用意されていた。
 さて、本題の、万8番歌について検証する。

 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(8)

 英訳する際、どのように but を挿入すればよいか。「今」という時を最後の方になって持ち上げている。基本的には提題である。しかし、そこには、以前は漕ぎ出せなかったという事情がニュアンスとして忍び込んでいる。本ブログ「熟田津の歌 其の一」以下で詳述したとおり、座礁である。助詞「は」を出発点にこの歌を考えた場合の他の解釈としては、以前は漕ぎ出さないように努めていた、という意向があったということとの積極的な対比を考えることも思考実験的には可能である。しかし、そうすると、第二句に「船乗りせむと」と勢い込んでいることに反する。近時的な事柄しか歌っていない。思考実験のように仮定することは、仮定自体が言外の対比ではなく、文外、歌外の対比となってしまってあり得ないのである。新谷先生のご指摘にある葛藤についても、上に述べたハの対比の意味の文法上の事柄だけでなく、上句で「船乗りせむと」とはっきり言明し、宣言しているのだから、何十年も前の舒明天皇の思い出に浸っていることとの対比とは考えられない。また、そもそも、戦時態勢と個人的な思い出とは、なかなか対比されまい。防人歌に、行きたくないが行かざるを得ないと嘆く歌はあって構わないと思うが、その反転バージョンが、帝位にある人、ないしは、その代理人弁護士歌人である額田王によって歌われたとするなら、とてもではないが民意は付いて行かないであろう。政権の崩壊、紛争の勃発である。そのようなことは起こらず、白村江の戦に臨んでおり、敗戦後も近江遷都のような混乱はあったものの王朝交代につながる内乱などには至っていない。
 以上、助詞「は」の用法から万葉集8番歌、熟田津の歌を再考、確認した。筆者は、熟田津座礁事件の録画を見たような気がしている。

(注1)小田先生が長い間、出版社をわたりながら増補・改訂を繰り返して古典文法の教科書作りを進められていることに、深く敬意を表したい。管見で恥ずかしところであるが、「総覧」的な文法書と呼べるものは、他に類がないと思う。上代・中古の和文の学習者にとって必携の書である。
(注2)富士谷御杖著、久保田俊彦校訂『萬葉集燈』(古今書院、大正11年)(32/152)に、「この詞、まちまちてその時をまち得たるにもいひ、或はねがはしからぬ時いたりて、やむ事をえぬにもいふ。こゝはふたしへに見ゆ。かくふたしへにみゆるが、詞のいたり也。こゝの意は下に情をとくを見てしるべし」(48頁)などとあることを顧慮しようと提案されている。
(注3)筆者は、助詞「は」の対比の意味合いに心という内面の葛藤を見ないと言っているのではなく、対比される対象をハが承ける言葉が内包するものではないと指摘している。例えば、「個人情報は保護されます」という文言に、対比される対象をハが承ける言葉、「個人情報」が内包するとなると、「個人情報は保護される」けれど「個人情報は保護したくない」ということになり、何を示す規約かわからなくなる。「個人情報は保護される」が、「お客様満足度チェックにご記入いただいた情報はデータ化し、個人情報とは切り離して接客マナー向上の為に役立てさせていただきます」ということであろう。
尾上圭介『文法と意味Ⅰ』(くろしお出版、2001年)に、〈ガ―単体基本形〉の述体文(例えば「海が広い」)は、〈眼前描写〉〈選択指定〉〈問い返し〉を表すが、それはもともとの一語文(例えば「海」)の〈詠嘆〉〈答〉〈問い返し〉に相当し、それにハを用いる(例えば「海は広い」)と、「〈ガ―単体基本形〉の上に加わって、それを単なる素材的表示以上のものにするという、文成立論的職能をもつのである」(26頁)とされ、「〈ハ―係り受け線〉が、……『桜の花(が)美しい』という全体をおおう」、「素材性を超えたもの……〈枠もち文〉こそ十全な意味で文と呼ばれるべきものと考える」(27頁)とある。この〈枠もち文〉を構成させる「は」の特性は、上掲の尾上先生の昭和56年論文(『文法と意味Ⅱ』所収予定)に、「[『は』の性質である]排他性がすべての文に本来内在する拒斥性、カオスからの特立という排他性と響き合い、そこに溶け込んで行く場合には、結局『は』は当の結合の確認それだけに集中することになる。このような働きをする語は繋辞にほかならない。……“提題”の根底には常に意味としての排他性があるのであって、“提題”の『は』には“対比”の気持は全くないとか“対比”の『は』には絶対に“提題性”は感じられないとか言い切れるものではない。文の表面に“対比”の色が稀薄な場合ほど『は』の表現論的機能としての“提題性”が強く意識されるということである」(112頁)と明解に述べられている。
(注4)尾上先生が、昭和56年論文、113頁に、「題目提示」について、その概念(題目―解説という表現論的捉え方)と、「は」の用いられ方との間にずれがあり、用語の拡張であると指摘されるものとして、次の例をあげられている。

 これは寝すぎた、しくじった。
 妙なことは妙だが、あり得ないことではない。
 せめて毎朝ラジオ体操〔をするぐらい〕はしたい。
 少なくともでき上り幅の五割増の布は必要になる。
 それについて詳しいことは学生便覧を見てください。
 リストは出します。
 何はなくともこれさえあれば安心。
 何はともあれ行ってみよう。
 誰はここ、誰はあそこと指定してください。
 何処には鳴きもしにけむ霍公鳥吾家の里に今日のみそ鳴く(万葉、一四八八)
 みちのくはいづくはあれどしほがまの浦漕ぐ舟の綱手かなしも(古今、二十巻)

 以上の例は、旧来の概念である提題(題目提示)、すなわち、「主題(topic)―解説(comment)」の構造になっていない。これらについて、尾上先生は、特に用語をもって定義されてはいないが、排他的結合確認という機能、“提題性”、「カオスからの特立」という絶妙な言い回しを使われている。(注3)で仰られているように、語を文へと展開する時、「十全な意味」を持たせる〈枠もち〉機能が「は」にはあることから、それを使った言い回しなのではないかと考える。「寝すぎた、しくじった」と「これは寝すぎた、しくじった」との違いは、後者に噺家的な色彩が加わっていると指摘できる。噺家は、カオスからの脱却を商売とする者である。「スタップ細胞は有ります」という一文は、「有る」「無い」という解説(comment)になっているけれど、主題→解説の機能としてハが用いられているというよりも、ハの機能を用いて、「主題(スタップ細胞)←解説(有る)」を論証しようとした陳述に他ならなかったのではなかろうか。すなわち、ハによって作られる〈枠もち文〉が「十全な意味をもって文と呼ばれるべきもの」の意義とは、トリックを含み得るものがロゴスなのである、というとても興味深い事柄を文法学として解説して頂いているものと理解されよう。そして、ヤマトコトバにおいては、たいへん便利な助詞「は」が、とても早い段階から活躍していたらしいと言えそうである。

この記事についてブログを書く
« 多武峰の観とは何か─両槻宮・... | トップ | 玉藻の歌について―万23・24番... »