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#2024-07-27 13:29:39に公開した記事「纏向遺跡は狗奴国(旧奴国)だったのだ(;^ω^)」でご紹介した
【ゆっくり解説】考古学から見た邪馬台国大和説『畿内ではありえぬ邪馬台国』れーしch【歴史】@YouTube にユーザーからのいいコメントがありましたので、こちらもコメントしましたら、別の方が割り込んできて議論したところ、どういう訳か分かりませんが、途中でご自分のコメントとわたしのコメントまで削除したようです。分かり難いかも知れませんが、邪馬台国問題に対するいろいろな考え方が分かりますので、楽しいですよ!よろしければお付き合いください(#^.^#)
@yanbo397
日本人が邪馬台国の存在を知ったのは、魏志倭人伝の記述からで唯一の資料といっても良い。その中で伊都国(現在の福岡県糸島市)までの道程は、九州・畿内の両説とも認めています。
さらにこの後、邪馬台国の北に伊都国があるとはっきり書かれています。道程記述でも最後に南へ進む記述もあり、報告書を2か所も間違えるとは考えられません。
これで邪馬台国の位置関係がはっきりし、畿内など論理的にありえません。なぜか畿内説論者はこの話には無視を決め込んでいます。初めから九州もしくはそれ以南と決まっています。考古学の発掘でも、倭人伝記述にそっくりな住居跡(楼観含む環濠集落)を発見したのは、今もって九州のみという事実。鉄製矢じりの記述に対しても圧倒的な差(鉄器の発見が福岡県720個以上、奈良は弥生時代全般でもわずか4個)。時代がさかのぼる年輪測定法でやっても、この割合は変化なし、または広がるかもしれません。
このように確実な具体的根拠があるのが九州説。ゆえにYouTubeの多くが九州説支持です。畿内説が言ってきた根拠らしきものは全て論破されています。三角縁神獣鏡は送ったとされる中国では1枚も発見されておらず、桃の種に至っては倭人伝に「邪馬台国の人々は甲羅や骨を焼き、はいったヒビを見て占っている」との記述があります。いかに畿内説の学者は倭人伝記述を読まず、権威者にヨイショするかだけを考えているようです。日本の考古学者も論理や発掘結果を認めないようでは嘆かわしい。権力の犬にならず、学者として誇りを持ってほしいものです。
@katumoku10
同感です。ではなぜ纏向説に固執するのかは、現状の九州説が考古学的に十分ではないから対抗できるという姿勢だと思います。でもこれもおかしな話です。
これだけ暗礁に乗り上げている状態では、何か考えないと解決は望めませんね。
邪馬台国への行程記事が、北部九州から水行三十日・陸行一月などという、普通の里数表現しない理由は何でしょうか?これが邪馬台国へ到達できない理由なのです。
それを、多くの皆さんは魏志倭人伝は正しく書かれているはずだから、正しく解釈すれば正しい答えが得られると考えているようなのです。短里とかいろいろ発明しますが、解決できません。でも、これっておかしくないですか?
魏志倭人伝が何故、書かれたのか、どんな資料をもとに陳寿が書いたのか?目的と内容の信ぴょう性をもっと議論しないから解決しないのだと思いますよ。
実際に検討してみると、人前に出ないとされた、途轍もなく遠い南の海上に居る卑弥呼が、倭国の統治者である女王というのも怪しいです。政治を補佐する男弟が実質的な倭国王で、伊都国が外交・政治の中心地ですから伊都国男王が本当の倭国王だと直ぐに分かります。2度目の魏使張政は魏の正規軍の旗「黄憧」を大夫難升米に渡しているので、彼が倭国軍を動かせる本当の倭国王なんですよ。魏使は邪馬台国まで行く必要もないのです。
ですから、卑弥呼は倭王でも女王でもない媛巫女ですから邪馬台国が大集落だというのも嘘でしょう。倭国をエキゾチックな東夷の女王に統治された大国に見せるための潤色と見るべきです。
そうすると、邪馬台国はどこなのかという話ですが、卑弥呼が存在するのはいいとして、政治的にはほとんど意味がない話になります。
ですから、後は、持ち運べるような遺物ではなく、径百余歩(直径約150m)の巨大な塚(円墳)が見つかればそこを卑弥呼の墓の候補となります。そして卑弥呼が兵士に厳重に護られた場所ですから、城柵のある環濠集落ですね。しかも、北部九州かその周辺にあるはずです。そのような候補地が見つからないなら卑弥呼は架空の人物としてよいと思います。
しかし、その候補地をすでに発見しました。そして、なぜそこに卑弥呼が居たのか、卑弥呼の正体は誰かも考古学や民俗学の成果に基づいて推理しています。詳しくは「邪馬台国は安心院(あじむ)にあった!」をご参照ください。ご意見など頂けると嬉しいです(;^ω^)
@zennin375
距離も方角も合わない糸島を伊都国としている時点でどちらも恣意的な解釈だと感じる
@katumoku10
@zennin375 さん
違和感は纏向が邪馬台国であるはずという思い込みからではないですか?
壱岐から九州の松浦市と思われる末羅国に上陸するのは自然です。そして次の伊都国が糸島市というのは距離と方角が違うと言っても、魏志倭人伝に男王が居ると書かれており、糸島市の三雲遺跡に王墓がありますから伊都国は糸島市と見るのは考古学的に妥当ですよ。何故距離と方角が違うのかは上で説明したとおり、邪馬台国への行程記事が政治的な理由で改ざんされているからと考えるのが妥当な推論ですよ。恣意的な解釈とは少し異なるのですよ。理解できますか?
理解できないというのであれば、なぜ糸島市の考古学成果を無視するのか説明できますか?男王が居た伊都国はどこですか?(;^ω^)
@zennin375
<コメントが削除されていましたので復元できませんでした。残念!>
@katumoku10<消されたコメント>
@zennin375 それは一部当たっています。なぜならば、絶対にあり得ない畿内説をメディアを使って大衆に認めさせようとする姿勢は学問の冒涜でしかないからですよ。
でも、そういう感情的な話は正解に到達するための邪魔になります。
あなたはもっと根本的な思い込みに気付く必要があるのです。
古代史に謎があるということは文献と事実、つまり考古学や民俗学のなどの学術的な成果と一致しないことから起こっていることに気付いてください。事実を無視して想像するのは空想ですし、それに固執すると妄想です。事実で物事の真偽を確認するやり方が学問の正しい姿勢ですよ。あなたは学術問題と感情の問題の区別がつかないようなので、これ以上議論しても無意味です。もしもまだ続けたいのであれば、拙ブログにコメントしてください。答える価値があるのなら回答しますよ。よろしくお願いします(;^ω^)
@zennin375
@katumoku10 あなたこそ反論する相手は畿内説であるはずだという思い込みがあるように見受けられます。
@katumoku10
@zennin375 さん 先ほど回答したのですが(@katumoku10の消されたコメント)、誰かが消してしまいましたので、誰かにとって都合が悪い話のようです。 もっと議論したければ拙ブログにお越しください(;^ω^)
@zennin375
@katumoku10ストローマンとは議論が成り立たないので遠慮します
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以上のやり取りがありましたが、先に述べたとおり、@zennin375さんは意図的に、議論の内容が残らないようにわたしのコメント(@katumoku10)を消したようですが、当方は削除対策で大体控えをとっていますので復元できました(時々、控えを忘れてしまうので、できるだけ思い出すのに時間がかかりますが;^ω^)。ご自分のコメント(@zennin375)まで消すことないのに。当方が思い込みで発言したのなら、どういう思い込みなのかキチンと分かるように反論すればよいものを。何も削除までしなくてもよさそうなものですがね。ご自分でハンドル名を「善人」にしているくらいですから、当方に対する善意なのですかね(;^ω^)
YouTubeの議論はいろんな方が居て、とても楽しいですね( ^)o(^ )
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【古代史問題の科学的解決手法】
なぜ邪馬台国問題が解決しないのか?( ゚Д゚)
C.S.パースによれば、人間はいつも疑念(Doubt)を持った場合には探求(Inquiry)をする生き物のようです。パースの言う探求とは、日常生活の一場面で頻繁に行われるものから、最先端の科学研究まで、幅の広い精神活動だとしています。そして、多くの場合、最初の疑念を持った事象を説明付けるものを論理的に推論(Reasoning)するのが探求ですが、最終的に信念(Belief)が生まれることによって探求は終わります。その信念は四つの方法で生まれるとしています。
【参考文献】
赤川元昭「パースと科学の方法」流通科学大学論集ー流通・経営編ー23巻2号,75-90(2011)
最後までお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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