katydid's blog

ハネナガキリギリスが住んでいるところに生息しています。

思い出

2012-06-11 00:30:24 | 伝えたいこととして
カテゴリーを分けてまでお伝えした「奇跡的に出会えたキリギリス」

めっすんのことでひとつ。

彼女はケースの蓋を開けてもケースから出て来ませんでした、

僕の手が近づかないと動かなかったんです。

触覚で僕の手をなぞって、認識できると手のひらに乗り

そして指のほうに向かって歩き、そこで彼女は身構えていました。

何故かというと僕がミルワームをあげるからです。

僕が手のひらのほうにミルワームをポトンと落とすと

目にも止まらぬ速さでミルワームを捕らえに来ます。

食べ終わると彼女から少し離れたところにまたミルワームをポトン

同じように捕らえて食べます。

満腹になると手のひらで横になって寝そべっていました。

温かい手のひらで休むのが好きな子でした。

これが毎日、来る日も来る日も続きました。

彼女も分かっていた、共に暮らしていたパターンだったんです。

とても信じられる話しではないでしょう。

でも本当なんです。

それまで僕は、昆虫と分かり合えるなんて想像もしていませんでした。

それからです。よりキリギリスが好きになったのは。

あれだけ分かり合えて、遊び合えて、信頼し合えるキリギリスは

未だにめっすんしかいませんが

それでもキリギリスは大好きです。

因みにめっすんを家に連れてきた3日後に

めっすんのいた草原は開発局の年1~2回行われる草刈りで

全面綺麗に刈られていました。

僕が連れてこなければ多分-

運命ってあるのかも知れませんね。

2012年は全く予想が外れて、50匹近くが生まれ

生きていける気温になるまで育てて故郷に帰して

精根尽き果てそうになりましたが

やっぱり愛おしいですねえ。


写真はめっすんではありません。

今育てているキリギリスです。

この子も僕という存在は認識しています。

なかなか賢いですよ。


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ガンコさんとオスくんの子ども達

2011-12-08 23:36:26 | 伝えたいこととして
札幌は雪に覆われる日々になりつつあります。

今、ガンコさんとオス君の子ども達は土の中にいます。

僕の場合、彼らを極力自然と同じ環境で過ごさせてあげたいので

部屋に置くことはしません。

低温下の休眠や適度な水分摂取、湿度など分からないことが多く

勝手に人工的に試みた結果、彼らがこの世に生まれることができなくなる

そんなことがあってほしくないからです。

具体的には産卵した鉢の土にさらに2~3㎝土を敷いて

その上を空気が通る竹皿かプラスチックの編み目のあるザルなどを被せて

鉢ごと土の中に埋めます。

4月になったら掘り出して鉢の土を少しずつ丁寧にかき分けて

卵を探します。

卵を傷つけたくないので結構な時間を要しますが

キリギリス好きには楽しくて仕方がない時間でもあります。

見つけた卵は深さ5㎜くらいの浅い場所に移して

1週間に1度くらいのペースで水分をあげます。

この環境で2年前は30匹以上孵化しました。

4年卵まであるので来年孵化するとは限りませんが

もし孵化したら

この世の光を浴びて生きることとなったその命の結晶は

親と過ごした私には何事にも代え難い喜びとなります。

物質的に満足する類の喜びとは全く違う

生き物が互いの誕生を喜び共存しようとする

本能を満たすような幸福感が得られます。

僕にとってはとても貴重な、得たいと願う時間になっているかも知れません。



何度も書いていますが

キリギリスは他の昆虫とはちょっと違います。

彼らの機敏さや噛んで確かめるような慎重さは

生き抜くために身につけたことであり

決して単純で攻撃的な面だけを持ち合わせているのではありません。

できることなら

見かけても連れて帰っても大事にしてあげてください。

貴方の愛情が伝わる生き物です。

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生きている奇跡

2010-07-08 22:32:58 | 伝えたいこととして
思い起こしてみると

体に異常が無く傷も全くないキリギリスというのは

それ程多くないような気がします。

原因は恵まれない食事量や脱皮の失敗

捕食する虫との身を削るような格闘

同種の縄張り争いや天敵(大型の蜂や蜘蛛)との遭遇等々

色々と考えられますが

触覚が片方無かったり

附節(足の先)が欠落していたり

片目に色が無かったり

万全な体調でいるものは少なく

皆良好な環境で育っていけるとは限らないようです。

ふと目にする生物は

実はいくつもの幸運を伴い生き抜いてきています。

それは苦難を乗り越えた尊い命です。

なので目に見えない程の小さな体の命であっても

何かの縁で出会ったのなら

私は大切に大事にしてあげたくなります。

私の生き物に対するこういう考え方は

生涯変わらない普遍的なものかも知れません。

5~6㎜の幼生からここまで育ちました。






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ある日の出来事

2010-05-03 00:25:10 | 伝えたいこととして
とりとめのない話と思われるかもしれませんが

以前書いた、私の手のひらで暖まりながら過ごす

「めっすん」のことです。

その日も、いつもと変わりなく

飼育ケースにはタンポポの花を数本入れていました。

そしていつもの通り、めっすんは飼育ケースに戻るのを嫌がり

それでも時間が無く戻さざるを得なくて

タンポポのそばに移した時でした。



めっすんはタンポポの茎を牙で噛み始めました。



たまたま噛んだもので1回でやめると思いましたが

やめませんでした。

何度も何度も噛み続けました。

10回くらい

タンポポの茎がぼろぼろになるまで。


もしかしたら老いて身体に痛みが走ったのかも知れません。

でも、何かいらついていて

もどかしさを訴えるようでもありました。

私も手のひらで心地よく横たわるめっすんを

とても愛おしく思っていましたので

どれだけ疲れていても欠かしませんでした。

飼育ケースに戻す時には

私も切なく思っていました。

その私には

ささやかな、ほんの僅かな願いが

どうしてこんなにも叶わないのかと

めっすんが嘆き悔しがっているようにも見えました。



めっすんがタンポポの茎を噛む度に

自分に痛みが走ったのを覚えています。

信じられないのなら

それで構わない。

そう

ありえないと誰もが思う。

昆虫と人間のつながりです。
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