『君の膵臓をたべたい』住野よる(双葉文庫)
日大アメフト問題とか、米朝関係とか、それなりにソソる話もあるにはあるんですが、前者は既にいろんな人がいろんなことを言ってるし、後者はまだまだ流動的に過ぎてて外しかねないということで、今週は(も?)またまた、ちょっと逃避気味のお題でいこうと思います。
さる5月5日「こどもの日」に、小学生がえらぶ“こどもの本”総選挙なるものの結果発表がありました。その第76位に(ワタクシ的には)びっくり『君の膵臓をたべたい』(文庫本)がランクインしてました。
*ポプラ社:小学生がえらぶ“こどもの本”総選挙 ベスト100
→https://www.poplar.co.jp/company/kodomonohon/award/best100.html
一口に小学生といってもそりゃ大人びた児童もいるだろうし、「本」を読むタイプならその傾向も強いんでしょうけど、いや、近頃の小学生は、スゴイものを読むんだなあと思いました。ちなみに、この『君の膵臓をたべたい』(単行本)は、2016年の本屋大賞で、第2位になってるんですよね。
*本屋大賞公式サイト:これまでの本屋大賞
→https://www.hontai.or.jp/history/
そんなわけで、気にはなっていたものの、(ワタクシ的に)どっきりなタイトルのおかげでむしろ引いていた『君の膵臓をたべたい』です。
〈ある日、高校生の僕は病院で一冊の文庫本を拾う。タイトルは「共病文庫」。それは、クラスメイトである山内桜良が密かに綴っていた日記帳だった。そこには、彼女の余命が膵臓の病気により、もういくばくもないと書かれていて――〉
*双葉社:文庫 君の膵臓をたべたい
→http://www.futabasha.co.jp/booksdb/book/bookview/978-4-575-51994-5.html?c=40197&o=date&type=t&word=%E3%82%AD%E3%83%9F%E3%83%8E%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%BE%E3%82%A6
という物語。友達でもない、恋人でもない、何とも言えない微妙な関係を描いてます。
「【仲良し】くんにしか話さないよ。君は、きっとただ一人、私に真実と日常を与えてくれる人なんじゃないかな。お医者さんは、真実だけしか与えてくれない。家族は、私の発言一つ一つに過剰反応して、日常を取り繕うのに必死になってる。友達もきっと、知ったらそうなると思う。君だけは真実を知りながら、私と日常をやってくれてるから、私は君と遊ぶのが楽しいよ」
というセリフがあったりするんですが、不治の病に侵された女子高生とそれを知ってしまった男子高校生の物語・・・ではあっても、重い描写はあまりありません。地の文も基本軽妙で、その意味では、確かに小学生(おそらくは高学年)であっても読み易いのかもな、とも思いました。思い付きの軽いノリ(に見える)のふたり旅で九州に到着した場面では、
「初上陸! うわぁー! ラーメンの匂いがする!」
「それは流石に気のせいじゃない?」
「絶対するよ! 鼻腐ってんじゃないの?」
「君みたいに脳じゃなくてよかったよ」
「腐ってるのは膵臓ですぅ」
「その必殺技、卑怯だからこれから禁止にしよう。不公平だ」
なんていう、なかなかにオシャレな遣り取りもしてます。2人の対話は、たいていこんな感じのひねりの効いたもので、大人視線からすると、なんか「それで良いの?」と少し不安になってしまうような語り口です。
もちろんそれだけではなく、「真実か挑戦か」という小道具(?)を使って、押さえるところは押さえてますけどね。
「君にとって、生きるっていうのは、どういうこと?」
「うっわー、真面目かよ」
「生きるってのはね」
「きっと誰かと心を通わせること。そのものを指して、生きるって呼ぶんだよ」
「誰かを認める、誰かを好きになる、誰かを嫌いになる、誰かと一緒にいて楽しい、誰かと一緒にいたら鬱陶しい、誰かと手を繋ぐ、誰かとハグをする、誰かとすれ違う。それが生きる。自分たった一人じゃ、自分がいるって分からない。誰かを好きなのに誰かを嫌いな私、誰かと一緒にいて楽しいのに誰かと一緒にいて鬱陶しいと思う私、そういう人と私の関係が、他の人じゃない、私が生きてるってことだと思う。私の心があるのは、皆がいるから、私の体があるのは、皆が触ってくれるから。そうして形成された私は、今、生きてる。まだ、ここに生きてる。だから人が生きてることには意味があるんだよ。自分で選んで、君も私も、今ここで生きてるみたいに」
「・・・っとぉ、かなり熱弁してしまいましたけどもぉ、ここってコンサート会場で私はMC中でしたっけ?」
えーっと、著者の住野よるさん、照れ屋さんなのかな? 何となく親しみを感じてしまいます。
ともあれ『君の膵臓をたべたい』、
〈読後、きっとこのタイトルに涙する〉
と、本の帯にもありますが、確かに「そういう意味だったのか」というヤラレタ感のある小説で、さすが「小学生がえらぶ“こどもの本”総選挙」第76位にして「本屋大賞」第2位でございますね。そういう報道を「偶然」知っていたワタクシではありますが、今になって読もうと思って、そして実際読んだことには、さて、どんな意味があるのかな?
「違うよ。偶然じゃない。私達は、皆、自分で選んでここに来たの。君と私がクラスが一緒だったのも、あの日病院にいたのも、偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今までしてきた選択と、私が今までしてきた選択が、私達を会わせたの。私達は、自分の意思で出会ったんだよ」
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
ところでこの小説、映画にもなってますね。というか、白状すると、ワタクシ小説読む前に映画を観ました。ここのところ何だか「哀しい恋ブーム」なんで。
で、映画の方は、原作にはない12年後が描かれていたりするわけですが、これが実にうまくハマってます(とワタクシは思います)。むしろ、「特別な人」の死を、きちんと受け止めるにはそれくらいの時間が必要なんじゃないかな、という気もして、そこからすると、映画での「その後」の描き方の方がよりリアルに感じられます。ただこれは、観る側も、ある程度の時間を積み重ねた大人でないとね、というところがあるかもしれません。
『君の膵臓をたべたい』は、小説よりも映画の方が大人向け、という珍しい例ではないかと思ってます。
*映画『君の膵臓をたべたい』オフィシャルサイト
→http://kimisui.jp/#/boards/kimisui
「君の膵臓をたべたい」予告2
・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・
もうひとつのところで、ですが、今度アニメでも映画化されるそうで。時代だなあと思います。いろんな意味で。
*劇場アニメ『 君の膵臓をたべたい』公式サイト
→http://kimisui-anime.com/
こちらは「特報」を観る限り、ちょっと微妙な感じ?
小説(漫画)原作と映画が微妙に、あるいは相当に違ってるというのはしばしばあることで、そこが批判されることもままあるわけですが、ま、それはそれ、あくまでも別のモノとして良い作品になっていれば良いというのがワタクシの考えです。それを期待しましょう。
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