平和ぼけでなにが悪いか。戦後ずっと平和ぼけでなにが悪いか。ということについて、ある御用新聞が大口をたたいていたから腹だちまみれに一言。
ミサイル落ちたのに、森友追求は平和ぼけなのか。身近な巨悪の不正をただすのが平和ぼけなのか。どだい、ミサイルが落ちたことに対して、なにをすればいいのか。なにができるのか。なにもできない、できるわけがない。
裏で、様々な不正があるのを見過ごすのが平和ぼけなのか。既得権をむさぼる輩をあぶり出す努力をしてはならないのか。クールジャパンの実底は不公平の塊だ。ある程度は、人生どうにでもできる支配層がいるのを理解しないといけない。
追求することが平和ぼけというなら、東北震災、原発事故の後始末がまだなのに、オリンピックをする方がよほど平和ぼけだ。さらに、カジノ ふざけている。もう一つ、万博だ、 これは平和ぼけと言うより、もはやモルヒネ求めている中毒者だ。
自分の意見をいい、国を批判してもなにも罰せられないことが戦後日本の代表的な悪なのか。それで、なにも言わないで従う戦前の人間を造るのが日本の理想なのか。どこかのえらい?彼我が共感する大阪の学校方針の思想こそ、共謀罪が適用されるにふさわしい。戦後秩序の破壊を企てるテロリストだ。
戦前の方が、今の日本より上なのか、みんな幸せだったのか、みんな幸せに死んでいってのか。死んでいったものに、国家としてはいまだ謝っていない。
さらに、平和ぼけという輩が理想とする明治以降の思想は単なる儒教思想の影響であって、もともとの日本人の個性ではない。
明治以降の支配層が国民を支配するために利用したものだ。結局は、中国、韓国・・・いいながら、明治の再興を画策するものは、そレらの国の思想を理想にしているじゃないか。大きな、矛盾だ。
人生を裏から見る習慣がついているから、朱にもそまらず、我が道を行くことが出来た。戦後の時代に感謝を捧げたい。
犠牲になったものに対する鎮魂の意味も込めて、心して今を生きたい。