新聞を読んで

いろんな、新聞を読んで感じたことを書いて見たいと思います。

松下幸之助[一日一話]

2013-02-20 06:23:51 | 日記
2月20日
公憤を持つ

 指導者たる者、いたずらに私の感情で腹を立てるということは好ましくない。しかし指導者としての公の立場において、何が正しいかを考えた上で、これは許せないということに対しては大いななる怒りを持たなくてはいけない。

 だから、一国の首相は首相としての怒りを持たなくてはならないし、会社の社長は社長としての怒りを持たなくては、ほんとうに力強い経営はできないと言ってもいい。まして昨今のように日本といわず世界といわず、難局に直面し、むずかしい問題が山積している折には、指導者はすべからく私情にかられず、公のための怒りをもって事にあたることが肝要であると思う。

今日は何の日

2013-02-20 06:22:43 | 日記
2月20日は歌舞伎の日

1982(昭和57)年に発行された『原田伴彦著作集 第6巻 人物史夜話』(原田伴彦著、思文閣出版)の「出雲阿国―官能美の演出者」に「阿国は、歌舞伎を通じて、新しい官能の世界を開拓した」とあり、「慶長十二年(一六〇七)、(中略)二月二十日、江戸城の本丸と西の丸の間で勧進興行を催している」とある。

昨年、香川照之が歌舞伎デビューを果たした。香川の長男・政明君(8)も五代目市川団子を襲名し、親子そろって歌舞伎の初舞台を踏んだ。いままでテレビドラマ、映画に数えきれないほど出演しては善人から悪人まで幅広く演じ、作品の質の向上に一役買ってきている名優の演技に、肥えた歌舞伎ファンの方たちにその姿はどのように映っているのだろうか。

2月20日生まれの有名人
1883年 志賀直哉 作家 1971年没
1886年 石川啄木 歌人・詩人 1912年没
1929年 黛敏郎 作曲家 1997年没
1936年 長嶋茂雄 野球選手・監督
1943年 アントニオ猪木 プロレスラー・政治家
1950年 志村けん(ザ・ドリフターズ) タレント
1958年 かとうかず子 女優
1968年 いしのようこ 女優
1979年 森田剛(V6) 歌手・タレント
1984年 小出恵介 俳優

松下幸之助[一日一話]

2013-02-19 06:23:18 | 日記
2月19日
最善の上にも最善がある

 会社としては、常に何事も最善と思ってやっているし、みなさんもそれに基づいて最大の努力を払っていると思います。しかし、立場をかえて、お客様の側からいうと、まだまだこう考えてほしい、こうあってほしいという希望が出るのも、また当然だと思います。

 そういうことを考えてみると、ものには最善の上にさらに最善がある、限りなく上には上がある。それを一段一段、そういう訴えを聞くたびに素直にそれを聞いて、検討するということが永遠に必要ではないかと思うのです。そういう意見をよく汲み上げて、改める点があれば改める、というようにすることが必要だと思います。

今日は何の日

2013-02-19 06:22:23 | 日記
2月19日はプロレスの日

2008(平成20)年に発行された『ミネルヴァ日本評伝選 力道山―人生は体当たり、ぶつかるだけだ―』(岡村正史著、ミネルヴァ書房)の「力道山年譜」で「昭和」「二九」年、「一九五四」年の「関係事項」に「2・19東京・蔵前国技館で(中略)力道山、木村政彦がシャープ兄弟と対戦」とある。

プロレスといえば、昨年、かつて霧の若を名乗っていた力士が「将軍岡本」に名前を変えてプロレスラーになったという。相撲界からプロレス界への転身はプロレス黎明(れいめい)期を思いおこさせる。しかしプロレスがいまでは信じられないほど国民的な人気を誇ったという当時とは環境が異なる。日本的な伝統を重んじる相撲がさまざまなトラブルにぶつかりながらもその地位を保っているのに対し、格闘技ブームが衰えを見せるいまもプロレスはなかなか上向きのきざしが見られない。復活を予感させるような大きな話題が生まれることはもうないのだろうか。

2月19日生まれの有名人
1937年 杉本清 アナウンサー
1946年 藤岡弘、 俳優
1948年 財津和夫 ミュージシャン
1966年 薬丸裕英 タレント
1972年 大森南朋 俳優
1974年 森且行 オートレーサー
1975年 あべこうじ タレント
1975年 山本高広 タレント
1983年 琴欧洲勝紀 力士
1983年 中島美嘉 歌手

松下幸之助[一日一話]

2013-02-18 06:19:20 | 日記
2月18日
日本式民主主義を

 民主主義の基本理念というものは、まことに好ましいものであり、これを取り入れ国家国民の調和ある発展繁栄をはかっていくことは、きわめて重要なことだと言えます。けれども、それは日本の伝統、国民性というものに立って行なわなくてはなりません。基本の理念は同じでも、具体的な形体は、それぞれの国民性にしたがって、さまざまでなくてはならない。いわば、アメリカにはアメリカ式民主主義、フランスにはフランス式民主主義、日本には日本式民主主義がなくてはならないと思うのです。それを日本みずからの伝統を忘れて、アメリカやフランスのようにやろうとしても、根なし草の民主主義に終わってしまうでしょう。