泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

忘年会

2014-12-25 19:42:30 | エッセイ
 今年は例年にないほど忘年会が多いです。
 すでに3回持ちました。
 明日も、次の月曜にも。計5回。
 なんというか、単純にうれしいのですね。
 私とは違う人たちと食卓を囲むことが。
 人と会えば会うほど自分が磨かれるような気がしてきました。
 同時に、自分だけの時間も必要なのですが。
 それは、相手にとっても同じことで。
 互いが必要とされていて。
 自信の現われでしょうか?

 今年いっぱいかかっても完成には至っていない小説があります。
 すでに何人かの人に渡しています。
 昨夜、書店でめためたになって(クリスマスイブでラッピングが多いのです)深夜帰って来ると、郵便受けに分厚い紙束が入っていました。
 頼んでいた小説の添削が返ってきたのでした。
 まだ内容は読んでいません。
 疲れすぎてスーパー銭湯でごろごろしなければなず、年賀状の準備もしているからです。
 どきどきです。しかし、私が心から求めたこと。
 自作品への講評がどうしても欲しかったのです。
 初めて行いました。そんな存在を知らなかったこともありますが。
 率直に、私の作品を読んだ感想が欲しい。
 すべては作品の質を高めるため。
 それは、結果的に自他を、自他のための作品を尊重することにつながっている。
 すばらしいクリスマスプレゼントになりそうです。

 私と作品が一体化していた時期が長くありました。
 せっかく意見してもらったのに、それが元で喧嘩別れしたこともありました。
 作品は作品として、やっと観れるようになりました。
 だって、作品は、私が手放してしまえばみんなのためにある。
 どれだけ多くの人に必要とされるかで、売れる・売れないも決まってくる。
 せっかく生まれてきてくれた登場人物たち。彼ら、彼女らへの愛着は人一倍だけど、私以外の人たちの心にも生きて働かないと生きがいが薄くなってしまう。
 彼ら、彼女らも、もっと的確に書いてくれと言っています。
 どれだけ聴くことができたか? 明らかに描写できたか? 伝えられたか?
 私の耳だけでは足りません。

 思えば学生の頃、バイト先の飲み会一つにしても、参加するかどうかうじうじ考えていたものです。
 会場まで行ったのに、思いつきの理由をこじつけて、退散したこともありました。
 怖かったのです。何が起こるかわからないから。
 何が起こるかわからないからこそ楽しい。思いがけないことと触れられるから未知の自分が開ける。
 そんなふうに、当時は思えませんでした。
 内側に大切なものを抱えていればこそ。私が思う大切なものの客観的真実については回答が拒否されていました。

 年末のあいさつもかねてちょっと忘年会にからめて書こうと思ったら長くなってしまいました。
 やっぱり、小説を書くしかないのだなあ。
 こみいった、大切な、その人だけの、それゆえに問題ともなってしまう、書きたいと感じる、この、もどかしいものたちを。
 年が明ければ私ももう38です。いい年です。
 一つでも実り多く、みなさまに届けられるよう精進したいと思います。

 寒くなりました。乾燥して、風邪も流行っています。
 北国では雪もまた積もり始めました。
 どうかみなさまご自愛されますように。
 よいお年をお迎えください。

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