気儘に書きたい

受験勉強よりもイラストを書くのが好きだった高校生の頃---、無心に絵を描く喜びをもう一度味わえたらいいのだが。

咳喘息

2021-08-25 23:15:37 | 風景画

妻ほど酷くはないが、私は昼夜を問わず急に咳き込むことがある。

最近は就寝中も咳が出て、朝からぐったり疲れが残るようになった。

昨日、妻が通院する呼吸器科の個人病院で診てもらうと、妻と同じ「咳喘息」

と診断された。肺は問題なかったが、進行すると「気管支喘息」になるので薬で

治療することになった。

それにしても妻と私が揃って咳が酷くなったのは何か原因があるのでは。

我が家の真下のテナントに昨年、居酒屋が開業したのだが、新型コロナの影響で

閑古鳥が鳴いていた。業態転換を計ったのか、数か月前から店の外で炭をおこし

て焼き鳥を焼いて売り始めると、国道に面していることもあり、テークアウトの 

客で繁盛するようになった。マンションの入り口は昼間から煙がぼうぼう立ち上

っている。

我家の窓が少しでも開いていると、部屋中に焼き鳥の臭いがこもるようになっ

た。我家の換気口は下の階の煙やガスの侵入を防ぐためになるべく回し続けるよ

うにしている。コロナが収まり、早くもとの居酒屋に戻って欲しい。

 

 

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早く安心、安全な世の中になって欲しい。

2021-07-28 20:46:52 | 風景画

月始めに愛知に暮らす子や孫たちに会ってきた。二回目のコロナワクチン接種を妻と一緒に済ませており、緊急事態宣言も解除されていたので、この機会を逃したら、次にいつ会えるかわからなかった。私は二泊三日と慌ただしい日程だったが、妻は十泊十一日の長い滞在となった。

私が九州に戻ったあと、一歳十一か月の孫娘がRSウイルスに罹患し、四日間入院した。娘夫婦が交代で病室に詰めたが、妻は面会することができなかった。孫娘は退院後に新たな風邪をひき、腹や頬のシルエットが少し細くなったようだ。

妻は帰りの新幹線で咳が止まらず、周りの人を不快にさせないよう肩身の狭い思いをしたようだ。帰宅してからも咳が続く妻と、鼻水が止まらない私とでかかり付け医で診てもらった。私は処方された鼻炎の薬がすぐに効いたが、妻の咳は止まらなかった。市販の薬もいろいろ試したが効果がないので、自らネットで探した呼吸器科の専門病院を訪ねた。

診断は細菌性の気管支炎と診断されたが、今もひどく咳こむことが多く、毎晩湿らせたマスクをして寝ている。

大事に至らなければよいが、心配だ。

 

 

 

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ファイザーワクチン二回目接種完了

2021-06-27 23:35:23 | イラスト

6月2日に一回目、先週の水曜日に二回目の新型コロナワクチンの接種をした。

一回目の接種後、副反応だろうか、倦怠感、手首の関節痛、立ち眩み症状がでた。

二回目の接種後はさらに微熱も出て、立ち眩みの回数も増えたが、次第に落ちついてきた。

緊急事態宣言が解除されたことだし、孫たちの元気な様子を見に行こう。

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毎月の飲酒日収支がついにプラスに!

2021-05-02 01:04:17 | バイクの絵

独身の延長で、私は結婚してからも晩酌をすることが多かった。薄給の身で家計の負担を考えて、酒代は毎月15000円の自分の小遣いを回した。

家族が増え、深酒を戒め健康でありたいと願って、三日に一日の休肝日を想定して、ひと月に晩酌する日を11日とした。

飲酒した日はカレンダーに印を付け、月始めからの飲酒回数と累積収支をその都度記入することにした。

寒い日は熱燗が恋しく、暑い日は冷えたビールの誘惑に負けて、月に11回の飲酒日を守ることが難しく、カレンダーのマイナス日数が増えていった。

ついにマイナス日数が200を超えると、大病で入院したときに精算するしかないと諦めていたが、加齢とともに飲酒量が減っていき、昨日5月1日の

カレンダーはプラス1で始まった。「もう飲酒日のしばりをやめたら。」と妻は言うが私はやめないだろう。

 

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久々の雪景色

2021-01-09 02:01:43 | イラスト

1月8日風が止み静かな朝だった。窓の外は一面の銀世界。しかしのんびり眺めているわけにはいかない。道路に雪が数センチ積もっただけで家の前の国道3号は上下線とも大渋滞で車が動いてない。

雨が降ろうと風が吹こうとバイクで通勤しているが道路が冠雪しては走れない。会社まで3キロの道のりを歩くしかない。

パッチとウールのズボン、靴下二枚をはき、ホッカイロを前後に貼り付けたアンダーシャツ、厚手のシャツ、ベスト、セーター、作業着、インナー付きバイク用ジャンパー、ネックウオーマー、マスク、帽子を身につけた。着膨れしてツーリング用の防寒防水ブーツを履くのに手間取った。弁当、水筒、革靴を入れたリュックを背負って普段より早く家をでた。

国道3号を歩く人は私だけのようで、歩道の雪の上に足跡をつけながら歩くのは心地よい。上りの車線は少し動き始めたが、反対車線はほとんど止まったままだ。走行をあきらめたチェーンを装着していない車が路肩に放置されている。普段は気付かないような緩い上り坂で、信号が青になってもタイヤがスリップして発進できない車をスタッドレスタイヤを着けた車がゆっくりよけていく。

家を出てから二つ目のバス停に差し掛かった頃、後方からバスが来た。今日始めて見るバスに迷わず乗った。

バスは通勤客で満席で、一人浮いたような重装備の私は中央部の手摺に摑まった。乗車して程なくバスは渋滞に嵌った。

中心市街地に近づくにつれて渋滞がひどくなり、私は乗車してから二つ目のバス停で降りて再び歩き始めた。目的地に着くまで乗っていたバスが私に追いつくことはなかった。

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遠いクリスマスの思い出

2020-12-24 15:19:27 | イメージ画

 

 昭和29年(1954年)、朝鮮戦争特需後の景気の悪化により、今は亡き父が勤めた繊維会社は倒産した。

 当時31歳の父は、再びサラリーマンになることを選ばず、26歳の妻と2歳の娘、0歳の息子を連れて大阪から故郷に帰った。

 不況の嵐に喘ぐ家具屋を営む両親と弟妹たちを助けるための、覚悟の脱サラだった。

 父の実家は両親と未婚の弟三人と妹二人の7人が暮らしており、弟二人が家業を手伝っていた。

 太平洋戦争中の空襲で失った工場と店舗をそれぞれ再建したばかりで生活は苦しかったにちがいない。

 父は帰郷して後、実家の負担とならないよう、町の中心部に位置するダンスホールの一階を借りて支店を開き、本店と競合しないように、店名に自分の名を一字入れた。

 当時の商店はどこも経営が難しかったと思うが、子供が希望の糧となり、町は活気に満ちていた。

 父の支店は80坪ほどの広さで、奥まったところに50センチほど床を高くした3畳の台所と8畳の板の間があり、そこが一家五人の生活の場だった。

 店を閉めた後、家族の団欒の場に闖入する者がいたが、父や母が無碍にしなかったのは金貸しの取立てだったのかもしれない。

 父は生活が苦しくても、クリスマスには子供たちの夢を壊さないよう、プレゼントを用意して、商品のタンスの上に忍ばせていた。

 それをイブの日に私が見つけたことは父には黙っていた。

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気がつけば師走

2020-12-05 01:28:28 | 風景画

久々の投稿となった。時間的、気分的に絵を描く余裕がなかったのと、やっと描いても、ここ数ヶ月gooブログになぜかログインできなかった。gooブログに解決方法をメールで問い合わせて、やっとログインできた次第だ。

11月26日、新型コロナの第3波が懸念される最中、仕事を終えて東海市の婿宅に向かった。この旅行のために、休まず働き、代休をとっての二泊三日の旅行だった。妻は10月26日から婿宅に滞在しており、私は一ヶ月間独身の自炊生活が続いていた。久々に家事や仕事から開放され足取りは軽かった。19時46分小倉発のぞみの車内で弁当、ビール、ハイボールで晩飯を済ませ、3時間3分で名古屋駅到着。名鉄に乗り換え、尾張横須賀駅に23時35分無事に着き、迎えに来ていた妻と婿を安心させた。

翌日、婿ファミリーと私たち夫婦で浜松にドライブ。私が希望したヤマハミュージアム、本田宗一郎記念館を見学し、昼は浜松で人気のハンバーグ店、夜は東海市でしゃぶしゃぶ、鮨食べ放題、飲み放題で旅を満喫した。

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きょうちゃん、一歳の誕生日おめでとう。

2020-08-26 22:59:58 | イラスト

昨日から保育園に通い始めて、人生初めての試練だね。

従兄弟たちのように、すくすく育って欲しい。

それがジイジの願いです。

 

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愛の不時着を制覇

2020-07-24 01:55:53 | 風景画

 数ヶ月前、ネットフリックスで韓国ドラマ「愛の不時着」を見つけた。

 韓国の財閥令嬢がハングライダーで北朝鮮に不時着して、北朝鮮兵との恋が始まるという、ありえないストーリーが、

なぜ評判になっているのか興味があった。だが見初めて5分ほどで、時間を無駄にしそうな気がして視聴を中止し、

映画「ジョーカー」を鑑賞した。

 先週の土曜、めぼしいテレビ番組がなく、妻が「愛の不時着」を見たいと言った。

 一話完結の映画だと思って見始めたら延々と続くドラマだった。

 韓国ドラマらしい、終わりの読めない展開に妻ともども嵌ってしまった。

 今しがた16話を見終わったところで、感動はなく達成感だけが残った。

 

 

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新型コロナ第一波の終息まで、あと少し!

2020-05-27 16:11:24 | 風景画

コロナ、コロナの毎日にうんざりだ。どん底に落ちた景気が回復に向うのはいつの事か。

国の緊急事態宣言が解除され、6月19日からは全国への移動が容認されるそうだ。

現在、関門トンネルの入口近くに、県境を跨ぐ移動の自粛を求める黄色の大きな看板が数箇所設置されているが、

仕事以外でトンネルを利用するのが憚られる。

看板が撤去され、以前のように人々が心置きなく往来できるようになって欲しい。

 

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