今月6日、集中豪雨で職場の天井の雨漏り対処中、脚立から足を踏み外して背中から落下した。脚立は折りたたみ式のアルミ製で90センチほどの高さだが、手軽に使えるように片側しかステップがついてない。天井に雨漏りの水滴を受けるビニールを六ヶ所張る作業に二時間近くかかって、やっと終わった時、気が緩んだのか踏み台のないほうから後ろ向きに降りてしまった。右足がステップに着かないのに気づいた時は既に遅かった。後方に倒れながら残った左足で脚立を蹴飛ばした。脚立が商品の方へ吹っ飛ぶのを倒れながら目で追った。脚立で商品が傷付くのを心配した。その体勢が良かったのか、顎を引いていたので、コンクリートに頭を打たずにすんだ。ただ左手で受身をした時に、手首を強く捻ってしまい、しばらく左手首が動かなかった。手首がパンパンに腫れ、力がまったく出ない。当然バイクのハンドルを握れないのでバイクは3日間会社に置いたまま会社の車で通勤した。家でも布巾を絞れない。お皿一枚は持てても二枚は無理。お風呂で左手が役に立たない。就寝中も手首の痛みで何度も目が覚める。湿布を張り続けて水疱ができても良くならなかった。
一週間後のオフの日に馴染みの整骨院で診察してもらった。骨は折れてないが腱を痛めているとのこと。湿布薬を処方してくれた。
二週間目、外科病院に行くべきか迷ったが、過去のバイク事故の怪我からの回復を思えば、そろそろ治るだろうと楽観した。
今も痛みが続くが、何とかフライパンを持てるようになり、あと少しの辛抱だ。もっと辛い思いをしている人のことを思えば、私の怪我など大したことではないのだ。
一週間後のオフの日に馴染みの整骨院で診察してもらった。骨は折れてないが腱を痛めているとのこと。湿布薬を処方してくれた。
二週間目、外科病院に行くべきか迷ったが、過去のバイク事故の怪我からの回復を思えば、そろそろ治るだろうと楽観した。
今も痛みが続くが、何とかフライパンを持てるようになり、あと少しの辛抱だ。もっと辛い思いをしている人のことを思えば、私の怪我など大したことではないのだ。
日毎に寒さが和らぎ今日のオフは久々に澄んだ青空が広がっていたので、気分転換にバイクで花見に出かけた。
期待した和布刈公園の桜の開花はまだこれからだった。次に向かった白野江園植物公園は60品種の桜があり、カワヅザクラやオオカンザクラが既に満開だった。
白野江植物公園は1952年の開園時は「四季の丘」という個人所有の花木園だった。私が幼稚園の遠足で訪れた頃はもの珍しさもあってとても賑わっていたが、レジャーの多様化とともに次第に寂れていった。経営難で閉鎖に追い込まれた後に北九州市が買い取って整備をし、1996年4月に北九州市立白野江植物公園として復活した。
私は小学校以来ここを訪れることがなかったが、今日は平日にもかかわらず大勢の花見客で賑わい、韓国や中国の団体も次々とやってくる国際色豊かな観光地となっているのを目の当たりにして嬉しくなった。
期待した和布刈公園の桜の開花はまだこれからだった。次に向かった白野江園植物公園は60品種の桜があり、カワヅザクラやオオカンザクラが既に満開だった。
白野江植物公園は1952年の開園時は「四季の丘」という個人所有の花木園だった。私が幼稚園の遠足で訪れた頃はもの珍しさもあってとても賑わっていたが、レジャーの多様化とともに次第に寂れていった。経営難で閉鎖に追い込まれた後に北九州市が買い取って整備をし、1996年4月に北九州市立白野江植物公園として復活した。
私は小学校以来ここを訪れることがなかったが、今日は平日にもかかわらず大勢の花見客で賑わい、韓国や中国の団体も次々とやってくる国際色豊かな観光地となっているのを目の当たりにして嬉しくなった。
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11月28日から弟が新しい住居で生活を始めた。誰も住まなくなった実家はどこか物悲しい。
12月1日の朝、会社に元役員の叔父が弟を訪ねて来るなり「(家の)鍵をもらっとこうか」と催促した。親戚にも容赦ないところが情けない。
12月1日の朝、会社に元役員の叔父が弟を訪ねて来るなり「(家の)鍵をもらっとこうか」と催促した。親戚にも容赦ないところが情けない。
家の用事もなく、雨も降らない、久々のオフ。朝食を済ませ溜まった新聞を読む。朝刊の折込チラシをチェックして近くのドラッグストアに品薄の発泡酒とノンアルコールビールを買いに行く。20キロを超える荷物をアフリカツインのキャリヤに括りつけ、ハンドル軽く満たされた気持ちで家に戻る。時計は11時半。昼食を作るとどこにも行きたくなくなるので、バイクウェアに着替えツーリングバッグにスケッチ道具を詰めこんで家を出た。
南は雲行きが怪しいので北に向う。関門トンネルを抜け山口の県道34号を走る。仙崎漁港の白菊食堂で久々に魚料理を食べる様子を想像しながらバイクを走らせた。そのままのペースで行けば、午後一時までに仙崎港に着きそうだった。豊田湖畔で「→石柱渓2.5km」の案内板が目に入った。中国自動車道の美祢の辺りに「国の天然記念物、名勝、石柱渓」の看板が昔からあり、そこを通るたび気になっていたので、この機会に寄ってみることにした。通り過ぎてしまうほど目立たない入り口の道路脇にバイクを停めると夏の猛暑を思い知らされた。絵を描くことを考えてバッグを抱えて涼めそうな峡谷へ入っていった。陽が射さない鬱蒼とした散策路は枯れ葉や枯れ枝が重なり、トカゲや蛙が私が近づくと足元から逃げ出した。いろいろな虫が頭の上をうるさく飛び廻り、とても絵を描く気にならない。猪に遭遇した際に投げつけるのに手頃な石や逃げる時に登れそうな木を確認しながら渓流を登っていった。倒木やゴミさえなければ柱状節理と滝によって山水画のような景観になりそうなのに、車が入れない渓谷の整備に手が回らないのだろう。濡れた岩場に何度も脚を取られながら誰とも会わずに歩くこと一時間。涼むどころか大汗をかいた。景観は期待外れだったが渓谷の中ほどにある「おしどり観音」の由来を書いた案内板が心に残った。━江戸時代、長州藩士の衣笠万作が田を見回り中、飛んできた雑草に袴を汚された。無心に田の草取りをしていた百姓の娘、お通が畦道に投げ上げたものだった。万作は無礼な百姓を手打ちにしようとしたが、お通の可憐さに心を奪われた。ほどなく二人は石柱渓で密会するようになった。しかし身分も住む世界も違う二人が夫婦になることは許されなかった。絶望したお通は石柱渓の滝に身を投げた。愛する女性を失った万作は、あの世で夫婦になろうと渓谷で切腹し、お通の後を追った。二人を不憫に思った村人たちが渓谷の崖に「おしどり観音」を祭って二人を供養した。━
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/e0/d55be36ad2dcbacaf2fe1de87ee5296d.jpg)
再びバイクを走らせたが午後一時半を回っていたので仙崎に行くのをやめて俵山温泉から県道38号に入り油谷を目指した。
油谷町の楊貴妃の里を抜けたところで「川尻岬」の案内板を見た。「本州最西北端の岬」はどんなところだろう。興味をおぼえ行ってみると迫力のある景色に私の絵心が動いた。強風でめくれるスケッチブックを左手で抑えながら苦闘すること2時間。なんとか絵を描きあげた。
午後4時半、帰路につく。途中、今日のスケッチ候補の一つだった角島に寄って角島大橋を往復した。台風のように風が強く、とても絵を描ける状況ではなかった。
6時半無事帰宅。本日の走行距離195キロ。部屋に掃除機をかけ、汗と泥だらけのバイクウェアを洗濯して、晩ご飯の準備に取り掛かった。8時すぎに妻が帰宅。ツーリング中、水筒の麦茶しか口にしていなかったので、よく冷えた発泡酒が最高にうまかった。
南は雲行きが怪しいので北に向う。関門トンネルを抜け山口の県道34号を走る。仙崎漁港の白菊食堂で久々に魚料理を食べる様子を想像しながらバイクを走らせた。そのままのペースで行けば、午後一時までに仙崎港に着きそうだった。豊田湖畔で「→石柱渓2.5km」の案内板が目に入った。中国自動車道の美祢の辺りに「国の天然記念物、名勝、石柱渓」の看板が昔からあり、そこを通るたび気になっていたので、この機会に寄ってみることにした。通り過ぎてしまうほど目立たない入り口の道路脇にバイクを停めると夏の猛暑を思い知らされた。絵を描くことを考えてバッグを抱えて涼めそうな峡谷へ入っていった。陽が射さない鬱蒼とした散策路は枯れ葉や枯れ枝が重なり、トカゲや蛙が私が近づくと足元から逃げ出した。いろいろな虫が頭の上をうるさく飛び廻り、とても絵を描く気にならない。猪に遭遇した際に投げつけるのに手頃な石や逃げる時に登れそうな木を確認しながら渓流を登っていった。倒木やゴミさえなければ柱状節理と滝によって山水画のような景観になりそうなのに、車が入れない渓谷の整備に手が回らないのだろう。濡れた岩場に何度も脚を取られながら誰とも会わずに歩くこと一時間。涼むどころか大汗をかいた。景観は期待外れだったが渓谷の中ほどにある「おしどり観音」の由来を書いた案内板が心に残った。━江戸時代、長州藩士の衣笠万作が田を見回り中、飛んできた雑草に袴を汚された。無心に田の草取りをしていた百姓の娘、お通が畦道に投げ上げたものだった。万作は無礼な百姓を手打ちにしようとしたが、お通の可憐さに心を奪われた。ほどなく二人は石柱渓で密会するようになった。しかし身分も住む世界も違う二人が夫婦になることは許されなかった。絶望したお通は石柱渓の滝に身を投げた。愛する女性を失った万作は、あの世で夫婦になろうと渓谷で切腹し、お通の後を追った。二人を不憫に思った村人たちが渓谷の崖に「おしどり観音」を祭って二人を供養した。━
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再びバイクを走らせたが午後一時半を回っていたので仙崎に行くのをやめて俵山温泉から県道38号に入り油谷を目指した。
油谷町の楊貴妃の里を抜けたところで「川尻岬」の案内板を見た。「本州最西北端の岬」はどんなところだろう。興味をおぼえ行ってみると迫力のある景色に私の絵心が動いた。強風でめくれるスケッチブックを左手で抑えながら苦闘すること2時間。なんとか絵を描きあげた。
午後4時半、帰路につく。途中、今日のスケッチ候補の一つだった角島に寄って角島大橋を往復した。台風のように風が強く、とても絵を描ける状況ではなかった。
6時半無事帰宅。本日の走行距離195キロ。部屋に掃除機をかけ、汗と泥だらけのバイクウェアを洗濯して、晩ご飯の準備に取り掛かった。8時すぎに妻が帰宅。ツーリング中、水筒の麦茶しか口にしていなかったので、よく冷えた発泡酒が最高にうまかった。
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昨日の公休日は若松へスケッチに行った。
久岐の浜の景色を前から描いてみたかった。360度どこを観ても素晴らしい眺めだが、今回は若戸大橋をメインにした。
湾に突き出た荷揚げ用桟橋はゴールデンウイークだというのに人影がなかった。
絵を描き始めると鳩が数羽寄ってきた。人に慣れているのは日頃餌をもらっているからだろう。丁度クラッカーを一袋もっていたが、絵が出来上がるまでお預けだ。
しばらくすると、小学低学年の男の子が二人自転車に乗ってやってきた。一人がパッケージに入った未使用の釣竿を開封するのに困っていた。「すみません。鋏か何か切るもの持ってませんか。」と私の傍にやってきた。キーホルダーに束ねている鍵を使ってビニール袋を破ってあげると、お礼を言って少し離れた場所で釣を始めた。
洞海湾は「軍艦防波堤」のスケッチの時もそうだったが、風が異常に強い。めくれる紙を押さえながら描くのに悪戦苦闘した。
先ほどの小学生が私の絵を覗きにきた。「やべえ。」「やばくないよ。」「仕事なにしてるんですか。」「家具屋さん。」「昨日は何を描いたんですか。」「昨日は一日働いてた。」「いつごろ絵を始めたんですか。…云々。」絵に集中したいが会話も楽しかった。
子供に時間を聞くと、携帯をとりだして、三時だという。そろそろ完成させようと絵の仕上げに集中すると子供たちもいなくなった。
先週の休日は整骨院へ行った帰りに、到津の森公園でスケッチをした。二十数年ぶりに訪ずれたが、閉園した時の到津遊園地とくらべて動物の数も遊具も減ってはいるが、そのぶん動物たちが自然に近い環境で飼育されており、楽しく観察できるようになっていた。平日で来園者が少なく、のんびり散策できたのだが、公園の維持管理の大変さを思うと、もっと賑わって欲しいところだ。
妻が明日から下関の大丸デパートでグループ展をすることになったので、お知らせします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/6d/57840282f3c9c3b24134634ed2cc9f16.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/58/39eb8d02d4a4091dafd1fd1e0ff9c69f.jpg)
妻が明日から下関の大丸デパートでグループ展をすることになったので、お知らせします。
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今年も、はや三月!坂道を転げるように年をとってしまう。
先月末に会社のパートさんが退職して以来、人手不足に悩まされている。一ヶ月前からハローワークに求人の申し込みをしているが、完全な売り手市場の今、私たち弱小企業にはまったく応募が来ない。今週の日曜日は友人の結婚披露宴に出るために帰省した長女に丸一日業務を手伝ってもらった。
今日は仕事が非番で、家でパソコンを開いて区内の求人状況を調べていたが求人企業のあまりの多さにたじろいだ。
ネット販売と一緒で、パソコンやスマホで仕事を検索する求職者が当社の募集にヒットするのは至難の技だろう。居ても立ってもいられなくなり、職安へ出かけて、前回の求人とは別件で求人の申し込みをしてきた。これでヒットの確率は2倍になるのだが…。
弥生時代はあくせく働くことはなかっただろうと吉野ヶ里の復元遺跡を見て思う。
━2月26日朝日新聞の記事より━
僕はよく、地球の歴史をスカイツリーにたとえる。地球の年齢46億年を高さ634メートルに換算するのだ。
すると、現生人類であるホモ・サピエンスが登場してから20万年の歴史は、スカイツリーの先端に取り付けられた長さ2メートル(1450万年に相当)の避雷針の先っぽ2.8センチに収まってしまう。
先月末に会社のパートさんが退職して以来、人手不足に悩まされている。一ヶ月前からハローワークに求人の申し込みをしているが、完全な売り手市場の今、私たち弱小企業にはまったく応募が来ない。今週の日曜日は友人の結婚披露宴に出るために帰省した長女に丸一日業務を手伝ってもらった。
今日は仕事が非番で、家でパソコンを開いて区内の求人状況を調べていたが求人企業のあまりの多さにたじろいだ。
ネット販売と一緒で、パソコンやスマホで仕事を検索する求職者が当社の募集にヒットするのは至難の技だろう。居ても立ってもいられなくなり、職安へ出かけて、前回の求人とは別件で求人の申し込みをしてきた。これでヒットの確率は2倍になるのだが…。
弥生時代はあくせく働くことはなかっただろうと吉野ヶ里の復元遺跡を見て思う。
━2月26日朝日新聞の記事より━
僕はよく、地球の歴史をスカイツリーにたとえる。地球の年齢46億年を高さ634メートルに換算するのだ。
すると、現生人類であるホモ・サピエンスが登場してから20万年の歴史は、スカイツリーの先端に取り付けられた長さ2メートル(1450万年に相当)の避雷針の先っぽ2.8センチに収まってしまう。
1月2日に妻と長女、次男の四人で若松にある軍艦防波堤に行ってみた。次男のリクエストに皆が付き合ったのだが、人気のない殺伐とした場所へ正月に訪れる物好きな家族と、防波堤で釣りをしていた人々の目に我々は映っただろう。
1月20日は大寒で寒さが一段と厳しくなったが、仕事がオフの日だったので整骨院に行くことにした。軍艦防波堤に未練が残っていたので、用事を済ませた帰りに寄ってみようとスケッチの用意をして家を出た。バイクを走らせていると、ちょっとした台風のように風が強く、西の空に重苦しい雲が広がっていた。
整骨院へ向ういつものルートを急遽変更して先に軍艦防波堤に行くことにした。
強風に何度もハンドルを取られそうになりながら着いた波止場は前回と違ってまったく人影がなかった。バイクを降りて立ち●●をすると真横に●●が飛んでいくので、あわてて風上に背を向けた。バイクのタンクにセットしたツーリングバッグからスケッチ道具を取り出し、マフラーの代用にタオルで覆面をしてハウンチングを深く被り、写生を始めた。
厳しい玄海灘の荒波が防波堤に打ち付けるたびにシブキが舞い上がり、左手に持ったスケッチブックが風に飛ばされないように緊張しながら、鉛筆を走らせた。
描き始めの10分で限界だなと諦めて写真を撮り整骨院へ向った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1a/4d88f5ae4e07be53d28b7c96334cc047.jpg)
1月20日は大寒で寒さが一段と厳しくなったが、仕事がオフの日だったので整骨院に行くことにした。軍艦防波堤に未練が残っていたので、用事を済ませた帰りに寄ってみようとスケッチの用意をして家を出た。バイクを走らせていると、ちょっとした台風のように風が強く、西の空に重苦しい雲が広がっていた。
整骨院へ向ういつものルートを急遽変更して先に軍艦防波堤に行くことにした。
強風に何度もハンドルを取られそうになりながら着いた波止場は前回と違ってまったく人影がなかった。バイクを降りて立ち●●をすると真横に●●が飛んでいくので、あわてて風上に背を向けた。バイクのタンクにセットしたツーリングバッグからスケッチ道具を取り出し、マフラーの代用にタオルで覆面をしてハウンチングを深く被り、写生を始めた。
厳しい玄海灘の荒波が防波堤に打ち付けるたびにシブキが舞い上がり、左手に持ったスケッチブックが風に飛ばされないように緊張しながら、鉛筆を走らせた。
描き始めの10分で限界だなと諦めて写真を撮り整骨院へ向った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1a/4d88f5ae4e07be53d28b7c96334cc047.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/f3/9cb1a5135006c8bc03a2ec44315f5ca3.jpg)
10月26日、私のオフの日が、妻の代休日と重なった。当日の天気予報は終日曇りだったが、家で過ごすのはもったいない。
妻に出かけたい場所を尋ねると、去年の同じ頃、娘と行った能古島のコスモス畑が良いらしい。行き先は決まった。
私は身支度をしながら、車ではなくバイクで行くことを妻に提案した。タンデムツーリングは2010年5月4日に豊後高田に行って以来で、2年前に妻の誕生日にプレゼントした革ジャンとヘルメットの出番が未だにない、福岡市西区までは高速を走れば片道一時間の距離なので日帰りツーリングに格好だ、…あれこれ理屈を並べるうちに、何とか妻がその気になってくれた。
10時52分出発。北九州都市高速大里IC~九州自動車道~福岡都市高速愛宕IC、の楽なコースを選んだ。妻が退屈しないように、ノンストップでひた走るが、シートベルト無し二人乗り100kmオーバーの高速走行区間は妻には初めての経験で、妻の緊張が背中から伝わってきた。
12時ごろ姪浜(めいのはま)港に到着。フェリー発着場は国際色豊かに大勢の観光客がみられ、能古島が今が見頃なのを確信した。バイクを駐輪場に停めて乗船を待つ列に並んだ。12時15分発の能古島行きフェリーは難民船のように満員状態だった。乗船前に売店で買った飲み物とベーグルで妻と二人、小腹を満たした。わずか10分の航海だった。
港からは能古島アイランドパーク行きのバスが出ていた。周囲12kmの小さな島の道路は狭くて坂道ばかりだ。ギュウギュウ詰めのバスに揺られ12分で終点に到着。
入場料二人分2000円を支払い、勝手知った妻に付いて、コスモスの絶景へと向った。手にしたツーリングバッグにはスケッチ道具を忍ばせていた。
メインのコスモス畑は観光客がひしめき、絵にしたくなる構図も見つからなかった。野外バーベキューの煙と臭いも煩わしい。絵は後にして園内を端から端まで散策することにした。
「わらべ館」で西島伊三雄の純真で叙情豊かな絵に癒された後、「鳥や」で名物の能古うどんを食べた。雨が少し降ったが傘が必要なほどではなく、すぐに止んだ。
園の南端に遅咲きのコスモス畑があり、そこから糸島方面を望む景色が美しかった。人もまばらで、丁度ベンチも空いていたのでスケッチブックを取り出した。
妻も描くことができるように予備のスケッチブックを妻に渡して、さっそく絵にとりかかった。熱中すること2時間、妻がそろそろ帰ろうと言い出した。
絵がほとんど描きあがったところで妻に促されてスケッチ道具を片付けた。4時18分発の港行きバス、5時発の姪浜行きフェリーに乗った。フェリー乗船前に西の空に不穏な雲が拡がっているのが気になった。
帰路も高速を走るのは味気ないので、福岡都市高速を香椎ICで降りて国道3号を走った。
通勤ラッシュ時間にかかってしまい、片側3車線から4車線あっても渋滞が続いた。
古賀を過ぎる頃、ついに雨雲に追いつかれた。
「どこかで雨宿りしようか?」ヘルメット越しに聞こえるように大きな声で妻に訊いた。
「いい。早く帰りたい。」
私はフルフェイス型のヘルメットを冠っているが、妻のはジェット型にバイザーが付いたもので、口の廻りから顎までびしょ濡れだった。
幸い二人が着ている革のジャケットは防水性があり、上半身は濡れなかった。
折尾から北九州都市高速に入り、雨中の夜間高速走行となった。愛車が過酷なエンデューロレースのために開発されたアフリカツインなのが幸いだった。
午後7時20分、無事帰宅。全走行距離180km
妻に出かけたい場所を尋ねると、去年の同じ頃、娘と行った能古島のコスモス畑が良いらしい。行き先は決まった。
私は身支度をしながら、車ではなくバイクで行くことを妻に提案した。タンデムツーリングは2010年5月4日に豊後高田に行って以来で、2年前に妻の誕生日にプレゼントした革ジャンとヘルメットの出番が未だにない、福岡市西区までは高速を走れば片道一時間の距離なので日帰りツーリングに格好だ、…あれこれ理屈を並べるうちに、何とか妻がその気になってくれた。
10時52分出発。北九州都市高速大里IC~九州自動車道~福岡都市高速愛宕IC、の楽なコースを選んだ。妻が退屈しないように、ノンストップでひた走るが、シートベルト無し二人乗り100kmオーバーの高速走行区間は妻には初めての経験で、妻の緊張が背中から伝わってきた。
12時ごろ姪浜(めいのはま)港に到着。フェリー発着場は国際色豊かに大勢の観光客がみられ、能古島が今が見頃なのを確信した。バイクを駐輪場に停めて乗船を待つ列に並んだ。12時15分発の能古島行きフェリーは難民船のように満員状態だった。乗船前に売店で買った飲み物とベーグルで妻と二人、小腹を満たした。わずか10分の航海だった。
港からは能古島アイランドパーク行きのバスが出ていた。周囲12kmの小さな島の道路は狭くて坂道ばかりだ。ギュウギュウ詰めのバスに揺られ12分で終点に到着。
入場料二人分2000円を支払い、勝手知った妻に付いて、コスモスの絶景へと向った。手にしたツーリングバッグにはスケッチ道具を忍ばせていた。
メインのコスモス畑は観光客がひしめき、絵にしたくなる構図も見つからなかった。野外バーベキューの煙と臭いも煩わしい。絵は後にして園内を端から端まで散策することにした。
「わらべ館」で西島伊三雄の純真で叙情豊かな絵に癒された後、「鳥や」で名物の能古うどんを食べた。雨が少し降ったが傘が必要なほどではなく、すぐに止んだ。
園の南端に遅咲きのコスモス畑があり、そこから糸島方面を望む景色が美しかった。人もまばらで、丁度ベンチも空いていたのでスケッチブックを取り出した。
妻も描くことができるように予備のスケッチブックを妻に渡して、さっそく絵にとりかかった。熱中すること2時間、妻がそろそろ帰ろうと言い出した。
絵がほとんど描きあがったところで妻に促されてスケッチ道具を片付けた。4時18分発の港行きバス、5時発の姪浜行きフェリーに乗った。フェリー乗船前に西の空に不穏な雲が拡がっているのが気になった。
帰路も高速を走るのは味気ないので、福岡都市高速を香椎ICで降りて国道3号を走った。
通勤ラッシュ時間にかかってしまい、片側3車線から4車線あっても渋滞が続いた。
古賀を過ぎる頃、ついに雨雲に追いつかれた。
「どこかで雨宿りしようか?」ヘルメット越しに聞こえるように大きな声で妻に訊いた。
「いい。早く帰りたい。」
私はフルフェイス型のヘルメットを冠っているが、妻のはジェット型にバイザーが付いたもので、口の廻りから顎までびしょ濡れだった。
幸い二人が着ている革のジャケットは防水性があり、上半身は濡れなかった。
折尾から北九州都市高速に入り、雨中の夜間高速走行となった。愛車が過酷なエンデューロレースのために開発されたアフリカツインなのが幸いだった。
午後7時20分、無事帰宅。全走行距離180km