一週間が終わりました。
最近は、主に1年生と5年生に入っています。
1年生は言葉がより優しいので、授業を提案することができます。
日本のようにおはじきがないので、とうもろこしの粒やあずき、空き瓶のふたやペットボト
ルのふたを使って、数えています。
5年生は言葉がより難しいので、T.Tの立場で支援しています。
ボリビアの学校は、12月が卒業式。
5年生はもうすぐ卒業なので、学習も追い込みの時期。
いつも元気な5年生と離れるのはちょっと寂しいです。
担任ではないけれど、自分の学校の子ども達は本当にかわいい。
先生たちも、一緒に働いていて本当に楽しい。
けれど、最近ちょっとせつないなぁと思ったことがあります。
それは、小学校でも留年があることです。
1年生の子で、学習の面で障がいを抱えている女の子がいます。
文字を書いたり考えたりすることが難しいのです。
留年をし、2年間も1年生をしている彼女。
テストの点数を見て、「来年もまた留年。」と、担任はあっさり言いました。
日本では養護学校や特別支援学級などがありますが、ここではまだ広がっていません。
教育の世界ではやっと目が向き始めたところですが、世間では理解されていません。
きっとこの子の母親も認めたくないし、言葉も話せるし一見障がいがあるなんて見えないの
で、いまの学校へ行かせているのだと思います。
何度も留年を繰り返すしかない彼女の居場所は、どこにあるのでしょうか。
そしてもう一人の1年生。彼女に障がいはありませんが、田舎から来ています。
小学校へ入学するまでの6年間、日常の会話がどうなっていたのか、私には分かりません。
6年の間に、言葉を獲得する生活がなかったのかもしれません。
けれど、先生の話を一生けん命に聞こうとしています。
彼女に付き添って教えていると、「この子は、田舎から来ているのよ。勉強ができない
から、だめよ。来年も留年よ。」と言いました。
その子は、大きな目から涙をポロポロ流していました。
その子は、言葉や勉強はよくできないけれど、先生の言葉に涙を流しました。
先生は、嫌な先生ではありません。いつも穏やかで、どんな風に教えたらもっと分かりやす
いかと考えている勉強熱心な先生。ただし、もの分かりのよい子限定。
学習ができない子は『だめ』という先生の価値観。
それが、伝わるんです。子どもの心に。
教育って、教えるだけじゃない。教えて、育てる。
子どもは、先生のものではない。だめでもない。
誰のものでもない、子ども自身が歩いていく人生。
どうせ分からないんだからだめよ、と言われたら、
学校や先生なんて大嫌いになるに決まってる。
無邪気な彼女たちの顔に、将来を想う。
いまやれることをやる。できることをやる。学習の楽しさを味わわせる。
自分が見方を変える。
自分が実行し背中で伝えることが、自分の以心伝心。
ベテランの先生へ対して、言葉では伝えない。伝えたくもない。
言葉で伝えるのは、授業の内容や楽しい会話だけ。
大好きな先生たち。
けれど大嫌いな「だめ」というレッテル。
ボリビア多民族国家の将来は、子ども達がつくっていく。