11日金曜日 2時を過ぎた時だったと思う。
第1部の厳粛な卒業式を終わって 昼食後 子供たち主催の第2部卒業イベントが行われて 大盛り上がりで
ちょうど最後・・下級生たちへ 先輩から 演奏と歌が披露されるときだった。
グラグラ・・・めまいがしているのかと思った。 すぐそのあと ゴッゴッゴッゴ~っと下から突き上げられて あとは横揺れ。
今まで生きてきて こんなに長かった横揺れは なかった。 ほんとに怖くて 保護者席でただ すぐにおさまっての祈っていたの。
でもちっともそれはおさまらなくて 子供たちの頭上の 大きな照明ライトが ぐらんぐらん・・
天井もガタガタ言い始めて それが落ちてきたらと思うと恐ろしくて
保護者席から 子供たちのところへ駆け寄る保護者も多数でて もう体育館の中は パニック状態だった。
でも そのとき
子供たちの代表の子が 落ち着いてください みんな舞台から降りてはじっこに寄ってください。って大きな声で言ってくれて^^;
大の大人たちが子供たちに誘導されて ただひたすら 揺れが止まるのを待ったの。 ・・・・・長かった。
震度5弱。・・・こんなに長くてこんなに大きかったのに震度5弱。
それ以上の震度・・どれほど 東北の方たちは恐ろしかっただろうと思う。
卒業式自体は 地震がおさまってから再開し 子供たちの涙涙で 幕を閉じ
私は友達の中で楽しそうにじゃれあってるkouを見て 無事に終わることができたのだけど
そのあとが・・・大変だった
車で行ったので 電車が止まっても大丈夫かと思いきや 信号機が止まって起動してないから大渋滞になってるし
子供たちも かたずけの後 クラスの打ち上げも駄目になり
帰ってきたくとも電車が動かず 帰れなくなった友を家に泊めるため学校から歩いて帰ってきたからもう夜になってた。
その帰れなかったお友達は 親御さんと携帯がつながらなかったので さぞや心配したと思う
携帯というのも便利だけど こういうときにはとても無力なものだった。
そのあと 今もだけど
次の日もずっと余震が続いてて・・・ 船酔いのような感じがずっとあります。
今日
Sosの電話をしてきた深川の父のもとへ行ったら 食器棚の中のガラスのコップが落ちていて ガラスの破片が散乱してた。
やっとかたずけてあげたら 父もほっとしたようでした。
東京も場所によって 水道管が破裂してたり スーパーは食材が何もなくて (特にお米と お水 パンは一個もない)
こちらから持って行った煮物や 佃煮 長持ちする食材を冷蔵庫に詰めてきました。
今 災害に遭われて この寒い中を毛布一枚で 避難所におられる被災者の方々、まだ親御さんや子供たちと逢えない人たちがたくさんいるのだ そんな辛いことは想像に絶する悲しみだよね
なんとか 体だけでも温めてほしい。暖かい食べものやいろんなものを 早く調達してほしい
実は・・父の
父の親友が 仙台の松島にいる。
連絡が取れず 心配なの。 母を亡くして 親友までなんて・・考えたくない。
秋田や山形や福島にいるブログ友達が 大丈夫だよ。元気だよって 大変な合間を縫ってメッセやメールをくれて安心しました。
大変なのにありがとうね
ほんとに一番気がかりだったの。 関東も地震がきたので 私のことも心配してくれてたくさんのブログ友達 リアル友達からも
メールやメッセたくさんいただいています。
ありがとう 私は大丈夫です。
日々 募って行く この悲しすぎる現実。
自然の怖さ。 人はとても小さな小さな存在だということ
その小さな存在であっても
そのなかで一生懸命生きている私たち。 その小さな世界の中で たくさんの愛しいものをはぐくんでいる
どうか 早く救出されますように。
また 避難所で体調を悪くされないよう 看護の方の支援も早く到着されますように。
逢えないご家族と 連絡が取れます事を 心から祈っています。