堅バカおすぎのドタバタ人生ノンフィクション日記🎵

生きてると本当に色々な事が起こる。持病と闘いながら堅ちゃん救われて乗り切るリアルノンフィクションな日々です。

奥入瀬渓流と十和田湖☆

2009年07月10日 | 平井堅

今日は堅ちゃんの青森でのライブの日ですね♪

もう10年前になるのかぁ~・・・・。

青森の三沢市に住んでたのは・・・。

早いな。でも昨日の時のように思い出せる「心の故郷」

行くまでは

自分はせっかちなチャキチャキした性格だ!と思っていたけど

青森に行って

一日が26時間ぐらいあるんじゃね???と思うくらい

静寂で時間の流れがゆったりしてて長く感じた。



きっと都会の方があちらに行けば 生活のリズムがゆったりしてるのを
感じると思います。

福岡から行った私でも1年は そのリズムの違いに馴染むのにかかった。

だけど

だけど

車で30分程度でいける 聞いた事だけはあった奥入瀬や十和田湖に
毎週の様にドライブがてら行ったりしてると

なんと言う事でしょう・・・。



あまりの自然の作った四季折々の美しさと自然の音の響きの綺麗さ。

大きな十和田湖を見ながら
「ここで八甲田山の映画を実際ロケしたんだ・・・」とか
映画が脳裏に浮かんできたり・・・。



少しずつ 青森での時間のリズムに自分の体のリズムも合致して

それは今でも続いている感覚です。

奥入瀬の渓流沿いを歩く遊歩道を歩いていると

この自然の中に人が入り込んでいいのかなぁ~とか思うほど

神聖で木々合間に見える太陽の光りが 葉っぱをいろんな色に輝かせて
空を眺めるのが好きで・・・。

時間長くてたまんないよ・・・と悩んでいた初めの頃が嘘のように

暇な時は「奥入瀬に行こう」と私が言い出すほど
癒される場所だった。

自然の音。自然の光り。自然の匂い。

そして渓流の流れの美しさ。




あんな場所で過ごしていたら

鬱にもならないんじゃないかなぁ~と思えるほど。

私が青森にいた期間が32歳から35歳まで。

丁度 更年期に入る前の女性としてのホルモンが狂う頃。

そんな時期に青森にいられた事は救いの日々でした。

住んでた市にはマックも一軒だけ。

住んで3年目にやっと一軒コンビニが出来た。

メインストリートは200メートルしかない。

「市」とは言え人口は4万人。

米軍航空基地と航空自衛隊空軍基地がある為転勤族の人口の方が
地元の人より多く、看板は日本語と英語。

街では日本人より米軍さんを見かける方が多い。

飛行場は基地の滑走路を借りるので 戦闘機に並んで離陸待ちしたり。

お金を出しても出来ない体験をしてきました。

向こうに行って1年半は車無しで頑張ってみたけど
1歳半と3歳と6歳の子どもを抱えてると
車がなくては冬は動きが取れなくて34歳の誕生日に免許を取った。

旦那が忙しく、1人の時でも何となく息詰まると
冬の雪道でも運転して
雪の奥入瀬にも何度も行った。

滝が凍り 自然の作り出す「芸術」に立ちすくんだ。



また あの場所に帰りたい。

今日は堅ちゃんが青森でライブをする。

時間があれば奥入瀬までは是非とも行って見てもらいたいな~(願)

私もいつかまた あの場所に戻れる人を夢見て・・・。生きよう。

一つの夢が叶います~~~♪

2009年07月10日 | 日記
え~~・・・・。

我が家の子ども達は剣道剣士です。(弱っちぃですが)

航○は剣道歴がもう11年になるのかな??
帆○が あら??年中さんからだから11年??????
海○は・・・。年少さんからだから10年

スゲェ・・・。

それはさて置き!!

福岡では夏に大きな高校剣道全国大会がマリンメッセで行なわれます。
『玉竜旗』(ぎょくりゅうき)と読みます。
http://www.nishinippon.co.jp/nsp/kendo/
HPはこちら↑

北海道から沖縄、海外からも参加がある大きな大会で
剣道を始めた時から 
「玉竜旗に出てくれたらなぁ~」と夢見てきました。

遂に

遂に

遂に遂に、夢が叶う時がやってきたのです。

なんと航○が出場するのです!!

あひゃひゃ~~~~~~~って感じです

そいでもって そろそろ対戦相手は決まったかな??とHPを
覗いてみたら・・・。

あちゃ~~~~~っ・・・・・・

シード校といきなりあたってるし、しかも佐賀の龍谷学園と言えば
強豪中の強豪!!!!!!

優勝候補の一角ですよ!!!!

航○の学校など、相手からしたらカモでしょう。

「ふっ、やったね!先鋒で5人抜きできるんじゃ~ね?」とか言われてそう。

そいでも 

そいでもですよ。

ここまで続けてきたんですもの。

親子大喧嘩したり野球部に入ってみたり色々あったけど
続けさせてきたわけですよ。財産ですから・・・。

オリンピックじゃないけど

【出場する事に意義がある】って事で・・・・。

一生に一度の事なので・・・・

チケット買って「来んどって!!」と言われても応援しまくりまクリスティーです

相手が強ければこっちは5人全員で勝負ですから

航○も確実に試合するでしょう!!

いきなり幕下力士が横綱に挑む感じですが

青春の全てをぶつけて来い~~~~!!と熱くなる母ちゃんでした。

24位☆

2009年07月10日 | 青年期の子育て日記。
46人中 24位。

ええ、微妙な数字ですよね。

ふふふっ。

だけど 昨夜 一日が終ろうとしてた11時。

航○との電話で

「あっ、お母さん、こないだの試験の順位でたよ!」(航)

「でたとね?」(私)

「なんとね、24位やったよ。すごかろ?」(航)

皆さんならどう思いますか???

微妙でしょ?凄い順位ではないですよね。数字的には。

でも実は私は 物凄く嬉しいのです

「凄いやん!!24位ったらクラスの真ん中位か?
よくそこまであげてきたね~~~!!いや~~~嬉しいねぇ~!!」(私)

「平均は○○以上で いい奴は(教科)上位でね、赤点が次は
しっかり勉強せな~いかんね!」(航)

「でも赤点のが3つもあったのに24位に入れたのは凄いよ。
赤点のを無くせば 次は順位も上がるだろうしね」(私)

「専攻科の推薦が3年の成績からで条件が26位以上が対象ったい!
やけん、次からも順位上げていかんと。
国立はもっと条件 上がるけどね。」(航)

「まあ、どっちにしても上位に上がれるように頑張れば
どっちの道も選べるしね!よく頑張ったやん!」(私)

嬉しそうに順位を報告してくれたって事は
ようやく航○も自分の先の道を 何となくだけど見えてきたみたいな?
そのための努力を始めたみたいな???

何で24位で親子共に喜んでいるか?

ご存知の方もいると思いますけど・・・^^;

航○は1年生の時はまるっきり勉強とかしなくて(何せマグレで入学できたので・・)
クラスでドベ(ビリ)で「あと一回赤点取ったら留年!」と言われた男。

その時はもう、驚きモモの木山椒の木!!じゃなくて
遊びほうけていた寮を退寮さして家から通い
何としてでも留年は許さん~~~~~!!って指令をだして
何とかセ~~~フ!!

2年もまあ・・・のらりくらり。

でも3年生になって 益々勉強は難しくなると共に
「俺ってこれじゃ~マジでやばくない??」って要約気がついたらしく
今回の結果を得たと言う経歴があるので

24位万歳!!なわけです。

航○の通ってる 国立高専と言うのは特殊で

5年制の後に 3つの進路が選べて(条件付)

1つは就職。200%の就職率だけど成績次第で企業も変わる。
2つ目は 5年制の更に2年間の専攻科と言う7年制がある。
     国立大学卒業と同じ資格が得られる。
3つ目は 国立大学への3年生からの編入が出来る。

つまり来年の4年生=大学1年生と同じで更に専門課程を勉強してるので
卒業後国立大学の3年生に編入してもついていけるのらしい。

今の航太は条件の24位に入れて「専攻科」への推薦(試験と推薦がある)
その切符の端っこに手が届いた所。

各県各地に高専はあるが 各校で専攻がそれぞれあって
航太の【制御情報工学科】は九州・西日本ではここで。
各地から来た46人。1クラスのみの46人のみ!! 凄い倍率でした。

実は 航○みたいな スカポンタンな感じのチャラ男はいなくて
みんな頭の良いイケメンばかり(なぜか秀才でイケメンが多い)

偶然、奇跡にもまぐれで受かった航○は案の定いきなりドベで始まった
高専生活だったが3年かかって やっと真ん中まで這い上がってきた↑↑

焦る事もなく 【留年だけは許しません!!】それだけが条件!

後は航○を信じてただけ。信じるしかないしね。。。(==)

そしたら本当に勉強しだした。(・・・今頃ですがね^^;)

よう~ござんした♪

夏には剣道も3段の試験があるし

やれる事は何でもしてみて挑戦してみればいい。

テスト前だけ爆発的な集中力を発揮する

【短気集中型無就寝勉強】の航○だったけど
 ↑(この「短気」で良いのです。)

それはこれからは通用しないのが分ってきたみたい。

男の子ってどう導けばいいのか?マジでサッパリわかんないけど

「あんたなら やれるんじゃね?」って言っとけば いつかはやるんですね。

子どもの勉強に関しては、気が長くなりましたよ。

なので小さい事が喜びになりましたよ。

一個の出来事が物凄く嬉しく感じるようになりましたよ。


航○の喜んだ顔が電話の向こうで見えた気がした「24位」の報告でした♪