随思録

日々思うことを記す。

畢竟、改革は「郵貯」の奪い合い

2005-09-08 13:04:00 | Weblog
結局今回の選挙は、改革云々というより、郵便貯金という資金源を、どの「賊」議員が握るかという権力闘争にすぎない。
財務省が「郵便貯金」という、自分たちの自由にならないカネを、許せなかった。それに財務「賊」議員の小泉がのった。
どちらもアメリカの出先機関であることにかわりはないから、結果として毟り取られる破目になる。
その動きに既得権を脅かされた、国民や保守を名乗る「賊」議員が、あわてて叛旗を翻した。
そうした単純な推測である。
どちらに託してもカネは戻るまい。

かといって民主党に投票する気にもなれない。その場しのぎ以外の、どんな提示があったのか。

小泉については内田樹さんがすばらしい分析をしているけど、やつはバカではない。(靖国再論2005年06月15日)
もう一つの「なにか」、隠された別の意図がないことを祈る。

そして今回も、世論とやらが流れ行く先を見ているしかなさそうだ。10年、20年たったとき、日本のマスコミがなんと言っているか。
……いや、日本なんてなくなっているかもしれないが。

がんばっていきまっしょい、最高のクライマックス

2005-09-08 00:12:26 | Weblog
悦ネエの涙と、お父さんの言葉を、見終わったあとも何度も思い出して、思い返して、夜中も目が覚めて、そのたびに胸が締め付けられた。
ハリウッド映画みたいにすべてうまく行って大団円、ではないのだ。でも、ボートを失ったけれど、ほかの大切なものは、ちゃんと残っている。必要なのは仲間と、すべてを乗り越えて、漕いで、漕いで、漕ぎきることだろう。

このドラマは、父と娘の葛藤から始まっている。
行き場のない気持ちを抱えていた悦子が、親との葛藤のなかで「ふるふるした」もの、それがボートだった。「満足ぞ」という父の台詞は、親として本心だろう。そして悦子は、父が自分を愛している(いた)こと、自分がどんなに幸せであった(ある)かを知った。これは親子の和解であり、父は一生でできる、ほとんどすべてのことをやった。母もそうである。
静かに結末を見届けたい。

どんなに言葉につくしても陳腐だ。
なにも伝わらない。
しかし自分と比べると、情けなくなってくるねえ。
私自身もそうだし、父親もあんなことできそうもない。母親もゴミ箱スルーだろうな……
所詮ドラマとは言わない。
こんなにまっとうな青春を、きっと誰かは過ごしているのだ。そうでなければ、「ドラマ」は生まれないからだ。