2007年12月25日火曜日
プネー市アーユルヴェーダ大学ワゴリカレッジ
バス停から学校をみると、こんなかんじ。
まったく緑も少ない、この場所にアーユルヴェーダ大学とパンチャカルマ施設、薬局がある。
プネー市内からガタガタ、、ときどきドシンとお尻をうたれながらバスで到着。
バス停でおりたのは私一人。
学生は9時からの授業にあわせて、すでに登校しているにちがいない。
舗装されていない大学の道を歩いて、薬局に歩いて行く。
薬局の建物の前でドクタープラバに会った。
彼女と一緒に、大学の創設者のサマディに向かう。
サマディとは、創設者であり、大学長サダナンダ先生の父マハラジがずっと見守っているところだときいた。
パンチャカルマ棟に入院している患者さんの散歩に最適。
雀がチュンチュンとさえずっているサマディのまわりには何もなくて、
静か。
サダナンダ先生もプラバタイも、行き帰りに必ず挨拶をする。
私も、サマディにお参りに寄ってから、パンチャカルマ棟に歩いて行く。
パンチャカルマ治療(浄化療法)のため入院中の友人ニハリカに会う。
今日は、たまたまクリスマス!
2時半からクリスマス会をするよ、と招待してくれた。
午前中はオイルマッサージ、シロダーラ、浣腸などなど治療が続くので
ドクターも患者も忙しい。
患者さんの身の回りの世話を手伝っているスミトラが半年前に生まれた
愛娘をつれてきていたので、少し子守りをする。
今日はサダナンダ先生がボンベイに行って留守。
大学の食堂で昼食にする。
食堂で、唐辛子抜きのカレーを頼もうとしたとき、
”ミワコ!”と呼ぶ声がした。
奥をみると、見覚えのある元同級生!
名前はあいにく覚えていないが、少し大人になった彼らに同席する。
現在、大学付属の病院でインターンをしているという。
他の同級生で思い当たる名前をあげて、近況をたずねた。
皆、それぞれ故郷に帰ったり、プーネ市内の病院に就職したり、インターンなど
バラバラのようだ。
なんだか懐かしい。
みんなが食堂にいないのが不思議だ。
以前は、必ず見知った顔のだれかが食堂にいたのに。
個室で離れて授業を受ける私は、食堂と行き帰りの時が唯一同級生と会う時間だった。
一人でいる私を気遣って英語の出来る同級生が話しかけてくれた。
昼食を終えて、支払いをしようとしたら、もう済んでいるという。
いつのまにか、彼らが払ってくれたらしい。
学生の頃とは違い、大きな車でプネー市内に戻ろうとする彼らに
お礼を行って、久しぶりに大学の校舎に行くことにした。
プネー市アーユルヴェーダ大学ワゴリカレッジ
バス停から学校をみると、こんなかんじ。
まったく緑も少ない、この場所にアーユルヴェーダ大学とパンチャカルマ施設、薬局がある。
プネー市内からガタガタ、、ときどきドシンとお尻をうたれながらバスで到着。
バス停でおりたのは私一人。
学生は9時からの授業にあわせて、すでに登校しているにちがいない。
舗装されていない大学の道を歩いて、薬局に歩いて行く。
薬局の建物の前でドクタープラバに会った。
彼女と一緒に、大学の創設者のサマディに向かう。
サマディとは、創設者であり、大学長サダナンダ先生の父マハラジがずっと見守っているところだときいた。
パンチャカルマ棟に入院している患者さんの散歩に最適。
雀がチュンチュンとさえずっているサマディのまわりには何もなくて、
静か。
サダナンダ先生もプラバタイも、行き帰りに必ず挨拶をする。
私も、サマディにお参りに寄ってから、パンチャカルマ棟に歩いて行く。
パンチャカルマ治療(浄化療法)のため入院中の友人ニハリカに会う。
今日は、たまたまクリスマス!
2時半からクリスマス会をするよ、と招待してくれた。
午前中はオイルマッサージ、シロダーラ、浣腸などなど治療が続くので
ドクターも患者も忙しい。
患者さんの身の回りの世話を手伝っているスミトラが半年前に生まれた
愛娘をつれてきていたので、少し子守りをする。
今日はサダナンダ先生がボンベイに行って留守。
大学の食堂で昼食にする。
食堂で、唐辛子抜きのカレーを頼もうとしたとき、
”ミワコ!”と呼ぶ声がした。
奥をみると、見覚えのある元同級生!
名前はあいにく覚えていないが、少し大人になった彼らに同席する。
現在、大学付属の病院でインターンをしているという。
他の同級生で思い当たる名前をあげて、近況をたずねた。
皆、それぞれ故郷に帰ったり、プーネ市内の病院に就職したり、インターンなど
バラバラのようだ。
なんだか懐かしい。
みんなが食堂にいないのが不思議だ。
以前は、必ず見知った顔のだれかが食堂にいたのに。
個室で離れて授業を受ける私は、食堂と行き帰りの時が唯一同級生と会う時間だった。
一人でいる私を気遣って英語の出来る同級生が話しかけてくれた。
昼食を終えて、支払いをしようとしたら、もう済んでいるという。
いつのまにか、彼らが払ってくれたらしい。
学生の頃とは違い、大きな車でプネー市内に戻ろうとする彼らに
お礼を行って、久しぶりに大学の校舎に行くことにした。