あつこさんのブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/atsuko3sanbasi/40191139.htmlを読んで自分が多発性骨髄腫と告知された時のことを思い出して考えてみました。
コメントが250字と制限されていて、語りつくせなかったので、
どうしたものかと思い、自分のブログで記録。
内容については、あつこさんのブログを参照してください。
こういった話をする場合、患者なのか、家族なのか、医療者なのかをちゃんと理解することが大事だと私は思います。
この記事の場合、あくまでも母は「家族」としての思いなわけで。
「患者」である娘自身の思いはどうだったのかなあ、と。
私は、医療者でもあるため告知後は主治医が専門書や学会の資料を沢山与えてくれました。聞けば何でも答えてくれたと思います。でも正直、知識を得なければいけないプレッシャーのほうが大きかった。自分の事でありながらも、知ることそのものが億劫だった。知るためのエネルギーって結構必要。
患者として、しかも看護師でもある患者として、知っておかなければならないというプレッシャー。
聞きたいことは、(いちナースとして)知っていなければならない事かも知れないと思うと聞けずにいた。
(いちナースとしても)知らなくてもいいことで聞けばいいことなのか、
患者として知りたいことなのか、途中でわけが分からなくなっていった。
患者になりきれない時期が長く続き、今のそんな傾向の中にある。
今の情報社会の中で、手の届くところにある情報だから、情報を得ることができるメリットは大いにある。
でも、得ることのできないような情報であれば、
知らずに済む幸せもあるかもしれない。
知らなかったんだから、得られない情報だったんだから、仕方ないよね、って言う逃げ道も時に必要かな、って。
つまり、もっと出来る、もっとやるべきことがあるはずなのにしていない劣等意識の現われかな。
でも、今現在もそんな余力はないんだよね。
とりあえずの生活費が必要だから、仕事はしなきゃいけないし、
そんな日々の中で、知識を得る余力なんて。
精神的にも、肉体的にも、ないんだよなあ。
コメントが250字と制限されていて、語りつくせなかったので、
どうしたものかと思い、自分のブログで記録。
内容については、あつこさんのブログを参照してください。
こういった話をする場合、患者なのか、家族なのか、医療者なのかをちゃんと理解することが大事だと私は思います。
この記事の場合、あくまでも母は「家族」としての思いなわけで。
「患者」である娘自身の思いはどうだったのかなあ、と。
私は、医療者でもあるため告知後は主治医が専門書や学会の資料を沢山与えてくれました。聞けば何でも答えてくれたと思います。でも正直、知識を得なければいけないプレッシャーのほうが大きかった。自分の事でありながらも、知ることそのものが億劫だった。知るためのエネルギーって結構必要。
患者として、しかも看護師でもある患者として、知っておかなければならないというプレッシャー。
聞きたいことは、(いちナースとして)知っていなければならない事かも知れないと思うと聞けずにいた。
(いちナースとしても)知らなくてもいいことで聞けばいいことなのか、
患者として知りたいことなのか、途中でわけが分からなくなっていった。
患者になりきれない時期が長く続き、今のそんな傾向の中にある。
今の情報社会の中で、手の届くところにある情報だから、情報を得ることができるメリットは大いにある。
でも、得ることのできないような情報であれば、
知らずに済む幸せもあるかもしれない。
知らなかったんだから、得られない情報だったんだから、仕方ないよね、って言う逃げ道も時に必要かな、って。
つまり、もっと出来る、もっとやるべきことがあるはずなのにしていない劣等意識の現われかな。
でも、今現在もそんな余力はないんだよね。
とりあえずの生活費が必要だから、仕事はしなきゃいけないし、
そんな日々の中で、知識を得る余力なんて。
精神的にも、肉体的にも、ないんだよなあ。
コメントありがとうございます。
ブログもこれから覗かせていただきます。
私の父も同じ病気でした。父の場合は、病気がかなり進行していて、治療が少ししかできませんでした。
仕事も復活できなかったし・・・さゆりさんは、外来に通いながらお仕事も頑張ってるんですね。この病気は難しい病気ですが、長生きしてる方もたくさんいるみたいなので、病気に負けず頑張ってください。
多少、病気のこと分かると思うので、聞いてください。
父は、お医者さんにも恵まれなかったので本当に後悔してます。
さゆりさんが、元気でいられるよう応援しています。
良かったら、私のブログも読んでみてくださいね。闘病日記が書いてあります。
コピーアンドペーストでできると思うので、近々アップさせてもらいますね。
良いですよ。でも、どうすればよいのかしら・・・。コメント書くには250字までみたいだし。
お任せします。
>mujinaさん
なるほど。病気とのいろんな付き合い方。とても参考になります。
自分にとって・・・という事で考えれば良いですよね。
>ヨセフさん
温かいお言葉ありがとうございます。
いろんな情報をシャットアウトしたい事が時にあって、それでも、MLや職場や社会(ニュースとか)を通して情報の流通を感じると立ち止まっている自分に焦ったりします。
知りたくない自分をよしとする事も必要な努力なのかも、と思ったりします。
しかし、難しいんだなあ~これが。
思うのですが、情報って、それを使って何かしたいから集めるのですよね。
無理にではなく、自然に、「知りたい」と思えるようになると、いいですね。
「だから記事が少ないんだ!」と突っ込まれそう。
さゆりさん、いつもどうもありがとうございます。
さゆりさんのブログに特に「余力」という言葉に触発というか感応したようなのですが・・・よろしかったら私のブログに転載させていただけないでしょうか?
さゆりさんの書かれたことをみなさんに読んでいただいた上で、続きを書いてみたいなあ・・・と思ったりしてます。
ダメなら、ダメって一言でいいですよ。
すねたりしませんから(笑)