さゆりのひとり言-多発性骨髄腫と共に-

多発性骨髄腫歴20年/'08年4月臍帯血移植/「病気は個性」時にコケながらも前向きに/はまっこ代表/看護師/NPO所属

何で看護師になろうと思ったの?

2005年04月25日 21時03分56秒 | ナースのお仕事
「なんで、看護婦さんになろうと思ったの?」
ナースになると、この問いに答える機会がなんと多いことか!

聞きたくなる気持ちも分かるが、何を期待してそんなことを聞くのだろうか。
「キャンディーキャンディーに憧れていたの」
「お母さんも看護師をしていたから」
「おじいちゃんが入院した時にね、・・・」
「実は小さい頃からだが弱くてね、・・・」
いったいどう答えれば、納得するのだろう。

私はまあ、その時の気分で答えるが、
結局、なんとなくなってしまったようなものかもしれない。

もちろん、普通にキャンディーキャンディーはみていたし、
医療系のドキュメンタリーなんかは好きだった。
お医者さんごっこも人並みにやったし。
でも、父親は普通のサラリーマンだし、母親は専業主婦。
家系に医療者はいないし、誰もレールを敷いちゃあくれなかった。

英会話を習っていて、将来は通訳にでもなろうと思っていた。
しかし高校1年2学期、初の赤点であっさり英語の道を諦めた。
そんなときに、たまたま同級生の女の子に、
「ねえ、ねえ、高校生の一日間後体験って知ってる?」
って、誘われて、行ってみたのが面白かった、
というくらいかな。

小さい頃は、いじめられた時期もあって、その時に
切れ長の細い目で寂しげにたたずんでいると
「何にらんでんだよ~」
って、更にいじめられて。
外見で評価されたことが、よっぽどトラウマになったのか
「やさしい」
というイメージに憧れていたのもあった。

看護の道を歩むと決めた当時、
「手に職」
なんていう意識はなかったことは確かだ。

今の若い子達はどうなんだろう。

とにかく、なんの感動秘話もないけれど、
高校を卒業した私は、看護師になるべく大学に通い、
もう、かれこれ10年も前、菅直人さんが厚生大臣だった頃、
私の、看護師としての人生がスタートした。




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2 コメント

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Unknown (けーご)
2007-05-21 05:15:30
なんか俺も似たような感じでコックになったんだよね。
職人という言葉には無関心だった。
家族、親戚にお店をやっている人もいないし。
飲食店なんて環境はこれっぽっちもそろってなかったんですよ。
美味しいものは好きだった。だけど裕福ではないからフランス料理なんて無縁だった。しゃれた家庭でも無いのでイタリアンなんてそんなに知らなかった。
俺の職業の選択にも何の感動話も無かったかな。
気が付いたら今は水商売だけど、気持は12年前と同じコックさんです。
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けーごへ (さゆり)
2007-05-22 10:19:56
昔の記事、よく引っ張り出してきたね~(笑)
でも、コメント有難う!
動機なんて、そんなものよね~。
けーごにも早く、コックさんに復帰してもらいたいな~と思う今日この頃です。
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