写真をまじえながら綴る日々の記録

地域活動、趣味など日々の暮らしの出来事を日記代わりに掲載しています。

茶道 雑感!!利休百首その二十七

2013-08-04 21:44:49 | 茶道

焚え残る白炭あらば捨ておきてまた餘の炭を

置くものぞかし

 

後炭点前の時に、先に入れた白炭(石灰を塗った枝炭)が残っていたら、

残っている部分や大きさにかかわらず、これはそのままにして枝炭として

使用せず、別に新しい枝炭を入れることだと思います。

初炭では、丸ぎっちょ、割ぎっちょ、管炭、割管炭の後に白く着色した枝炭を

1~2本ぐらい入れるので、炭の黒と枝炭の白との対比できれいな景色に

なります。

だから、後炭点前でも同じようにするということです。

 

(これは、私の個人的な解釈です。)


初釜(初点前) !!

2013-01-07 18:48:01 | 茶道

  初釜や気持ち新たに白き庭

6日(日曜日)に先生のお稽古場で初釜がありました。

最初に、お煎茶のお点前で福茶をいただきました。

お濃茶は、紹鷗棚、金と銀の楽茶碗を使用し、お点前は男性のお弟子さん。

以前、私も経験しましたが、初釜は座っている時間が長いので大変です。

彼は心のこもったお濃茶を点ててくれました。

お濃茶の後は、女性のお弟子さんのお点前でお薄をいただきました。

最後は、全員そろって昼食をとりながら楽しい時間を過ごしました。

床の間の飾りは、毎年先生が準備されます。

床の間の奥に飾ってあるのは、永平寺禅師さんが95歳のとき「昭和40年 乙巳

(きのとみ)」に湯呑と急須に文字を書かれたもので非常に珍しいものだそうです。

(急須には「喫茶去」、湯呑にはそれぞれ「吉・祥・松・・梅」と書いてあります。)


茶道 雑感!!利休百首その二十六

2012-02-27 18:57:41 | 茶道

炭つがば五徳はさむな十文字縁をきらすな釣合をみよ

 

炭をつぐ時は、五徳をはさむと見た目も悪いし、風も通りにくくなります。

炭を十文字につぐと、炭は安定しませんので、火の起こりが悪くなります。

また、炭をつぐ時に縁を切ると火が廻りませんので、炭と炭の一部で縁をつなぐことにより火の廻りを確実にします。

枝炭を使用するのも、胴炭、丸・割ぎっちょ、管炭、割り管などをつなぐためと見た目を良くするためです。

 

炭を立て、縁をつなぎ、風通しを良くし全体の釣合を見てお湯がたぎるようにすることが大切です。

 

(これは、私の個人的な解釈です。)


茶道 雑感!!利休百首その二十五

2012-02-14 22:29:28 | 茶道

客になり炭つぐならばそのたびに薫物などはくべぬことなり

 

客として炭をつぐときは、香をくべてはならないということです。

 

亭主の所望により客が炭を継ぐ作法を炭所望と言います。

炭所望をする場合は、特に定めはないのですが、懐石の用意が間に合わないときに初炭で炭所望するとか、後炭の時に座の興のためにするとかがあります。

炭所望は、炉の時だけで、風炉の時にはしません。

 

炭点前では、胴炭をついでから、正客に「お炭をおつぎ下さい」と所望します。

正客は、炭をついだあと席に戻ります。この後、亭主は香をたき、香合を拝見に出します。(胴炭も正客についでもらってもよい)

 

お香は、部屋の炭特有のにおいを消し去り、不浄を清めるものであるから亭主がつぐべきものなのです。

 

茶会に出たときに炭所望があったときは、心得てください。

.

(これは、私の個人的な解釈です。)


茶道 雑感!!利休百首その二十四

2012-02-09 15:25:16 | 茶道

    侘助やお点前はずむお湯たぎり

 

炭置くはたとへ習いにそむくとも湯のよくたぎる炭は炭なり

 

茶の湯では、色々な道具などを使用しますが、お茶を点てる時に釜にお湯がたぎっていないとだめですね。そのためには、炭に火がついてよくおこっていないといけません。

 

初炭点前では、胴炭、丸ぎっちょ、割りぎっちょ、管炭、割り管、

枝炭、添炭の順でつぎます。

この時、左右に偏らないよう、炭と炭で五徳をはさまないように

します。

全体の景色を大切にしてつぎますが、あまり形にとらわれ過ぎるといけません。一番大切なことは火がよくおこるようにすることです。

 

私が、先生からよく言われることは、炭は立ててつぎ、風が通る隙間をあけることです。こうすれば、風を通して火を早く確実におこすことができます。

私の先生のお稽古場では、炭を使っていますので、お稽古の途中に炭をつぐときにも注意しながら行っています。

 

(これは、私の個人的な解釈です。)


茶道 雑感!!利休百首その二十三

2012-02-04 17:29:06 | 茶道

乾たる茶巾使は湯をすこしこぼし残してあしらふぞよき

 

水屋で茶巾を絞り用意しますが、皆さんはどれぐらい絞りますか。

お点前で茶碗を拭くのでそこそこ絞りますよね。あまり濡れていると茶碗を拭きにくいですから。

逆に、乾いた茶巾で茶碗を拭けますか?無理ですよね。

乾いた(水分が少ない)茶巾の場合は、茶筅通しのあとお湯を捨てる時に少し残しておいて、茶巾で底を拭く時に湿り気を持たせるようにすれば良いのです。

こんなことは、めったにないことですし、私も経験はありません。

 

お稽古の時に、水屋での茶巾の絞り具合を自分なりに身に着けておくことが大切です。

また、茶巾・茶杓がセットされている茶碗を使ってお点前する時は、自分で茶巾の絞り具合を確認することも大切です。

 

(これは、私の個人的な解釈です。)


茶道 雑感!!利休百首その二十二

2012-01-30 17:08:28 | 茶道

 窓の雪松風聞こゆ湯気たちて

 

筒茶碗深き底よりふき上り重ねて内へ手をやらぬもの

 

筒茶碗は今頃(寒中)に使用します。

私も、120日と27日に筒茶碗でお点前の稽古をしてきましたが、

お稽古の期間が限られますので、なかなか覚えられません。

困ったものですね。

一般的な茶碗の点前との違いは

茶碗をお湯で温めるための茶巾絞り、

茶碗の拭き方

茶筅通しやお茶を点てる時に筒茶碗を傾ける

底を持ってお湯や水を建水に捨てる

等があります。

特に、茶碗の拭き方

一般的な茶碗は、茶巾で縁を拭いてから中を拭きます。

筒茶碗を拭くときは、茶巾で底を拭いてから縁を拭きます。

これは、縁を先に拭くと、底を拭くときに手が内部に触れる

からです。

(筒茶碗は、径がそんなに大きくありませんので、どうしても

 手が内側に触れます。)

 

具体的には、

茶巾を右手人差し指と中指で挟んで持ち底を拭きます。その後、

茶巾の端を二本の指で持ち上げ茶碗の縁にかけ3回で拭いてから

右手・茶巾は茶碗に置いたまま左手とともに下します。

それから茶巾を茶碗からとり蓋上に置きます。

 

茶巾絞りは、

  筒茶碗(寒中:茶巾を絞り直している間に茶碗を温める)と

  平茶碗(夏季:茶巾を絞り直している間に茶碗を冷やす)の

  ときに行います。

 

(これは、私の個人的な解釈です。)


茶道 雑感!!利休百首その二十一

2012-01-25 20:02:24 | 茶道

 

廣き茶入の茶をば汲むと云狭き口をばすくふとぞ云

 

汲む」「すくふ」というのはを言わんとするのか。

言葉の意味を調べると、「くむ」は、主として液体に対して用いるが、「すくう」は、液体の中から他の物を取り出すときにも用いるとあります。

茶は液体ではありませんが、液体を「汲む」ときの気持ちと液体の中から他の物を「すくう」ときの気持ちは明らかに違います。

「すくう」ときには、取り出すものをこぼさないように注意しませんか。

 何故、このように言い分けたのか、真意はわかりませんが、この微妙な心の持ち方の違いを意識しないさいと言うことなのですかね。

 

 

(これは、私の個人的な解釈です。)


茶道 雑感!!利休百首その二十

2012-01-14 18:08:48 | 茶道

大海をあしらふ時は大指を肩にかけるぞ習ひなりける

 

大海(たいかい)

大海という名前は、茶入の口が大きいことに由来しています。

大ぶりで、口が広く、やや扁平な平丸型で丈が低い茶入ですので、

横から持ったままでは、不安定で蓋の扱いに無理があります。

 

大海でお茶を入れるときのあしらいは、「左手で上から半月に持って、茶杓を持った右手であしらい、左手のひらにのせ、左手の親指を茶入れの肩にかけて、右手で蓋をとり茶をすくいます。

このようにして持てば、茶入れが手のひらの上で安定するということです。

 

(これは、私の個人的な解釈です。)


初釜 雑感!!

2012-01-12 19:35:48 | 茶道

 

19日 先生の所で初釜があり外人さんが参加しました。昨年秋からお稽古に通っています。今年秋には帰国されるのでそれまで日本文化に親しみたいそうです。振り袖姿も良く似合っていましたし、初釜の後に彼女がお薄を点ててくました。美味しかったですよ。

 

 

 掛け軸は、「松無古今色」でした。(松に古今の色なし)

これは、次に「竹有上下節」(竹に上下の節あり)の句があり、これで対になっています

 

松樹千年翠」という語もあるように、松は古葉、若葉の交替はあって

も、季節の移りの中でもその翠を保ち、古松に見る年月を経ても翠は

変ることの無い一色平等を「松に古今の色無し」の語で示し、「竹に

上下の節あり」の語で上下の差別歴然たる相を示している。

竹にははっきりとした上下の節があり、上下の区別がつけられる。

松には千年にわたる翠の平等がありながら、その中には古今の差別が

歴然としてあるし、竹の節には歴然とした節という上下の区別をみる

が、同じ一本の竹には上下の優劣は無く平等である。

 

世の中のすべては同じであるわけは無い。それぞれにはそれぞれの

特徴があり、役割が違う。差別歴然であるが、その役割、いのちは

みな平等であり差別は無い。

しかし、節操の無い平等は自然に調和しない。家庭には親子があり、

男女があり、社会には長幼の序があって調和する。一人一人平等で

あるが、平等一辺倒でも世の中の成立はありえない。

そこに「竹に上下の節あり」の意義を感じなければならない。

~朝日カルチャー「禅語教室」より~

 

10日に紹おう棚の炭手前とお薄の初稽古をしてきました。

今年も、茶道の心を少しでも自分のものにしたいと思います。