40.連合国の統治方針(続き−)
40.8.ポツダム宣言受諾後
8月14日、「日本がポツダム宣言」の受諾を連合国側に通告すると、すぐに米国政府から「降伏提案」受諾の通知と「降伏命令」の通知が届いた。
「降伏命令」には、これから日本が急いで行うべき措置が記されてあった。
それは、日本の軍事行動を直ちに停止し、連合国最高司令官マッカーサーに連絡をとり、その指示に従え、という内容であった。
8月16日、マッカーサーから天皇、日本政府及び大本営宛に電文が届いた。
電文には、全権を有する日本の代表者をフィリピンのマニラにある連合国司令部に派遣することが指示されていた。
日本政府は、全権使者に、川邊虎四郎陸軍中将を任命した。
川邊ら派遣団一行は8月18日マニラに向かって出発した。
川邊らは、マニラでマッカーサーに対面し、日本政府に伝達すべく、日本国天皇の詔書(降伏文書調印に関する詔書)、降伏文書を受領した。
また、降伏文書の調印後に連合国軍が発する予定の「陸海軍一般命令第一号」を受領した。
つまり、昭和20年9月2日に米国軍艦「ミズーリ」号に於いて行われた、降伏調印式の文章(案文と思われる)が既に連合国軍最高司令官によって作成されており、それを手渡されたのである。
昭和20年9月2日に米国軍艦「ミズーリ」号に於いて降伏調印式が執り行われた。
その後日本軍は、各地域でGHQに対する降伏と降伏式を行った。
降伏先の指定は1945年9月2日の降伏文書調印直後に「一般命令第一号」としてGHQから発令された。
以後各地域で降伏文書調印式が執り行われた。
最後の調印式は、10月01日「ジャワ」第16軍司令官の長野祐一郎中将が、ジャカルタにて英軍司令官クリスチン中将との間で行われた。
40.8.1.ポツダム宣言受諾後の経緯
国立公文書館に「ポツダム宣言条項受諾後の経緯」が資料としてある。
<最初の1ページ>
以下資料の書き写しである。
ポツダム宣言条項受諾後の経緯
1、帝国政府より「ポツダム」宣言の条項受諾及び右に関する大詔渙発の通報に接し米国政府は八月十四日付「メッセージ」を以て別紙第一号の通り我が方に通告し来たり之が公電は十六日午前接到せり。
之より先米国側より盛んに無線を以て我が方を呼び出し接触を求めつありしか。
十六日午前連合軍総司令官「マッカーサー」より要旨別紙第二号の如き無電連絡到達せり。
依て統帥部に於いては停戦の大命発出方上奏十六日午前四時右大命の発出を見たるを以て「マッカーサー」に対し
(イ)右の旨通報する外、大陸各地方及び南方の出先軍等に対し大詔渙発の御聖旨竝に停戦大命の徹底を期せられし御名代の宮を御差遣遊ばさることと相也りたるに付き
(ロ)右に対する安導を併せ要求し又
(ハ)時間の余裕なく連合軍最高司令官の要求通り十七日中に正式に降伏条項受理の下打ち合わせの為の使者を比島向出発せしむること困難なる旨通報せり
(右は内閣更迭等に因りたる外右第一号米国政府「メッセージ」と右第二号「マッカーサー」来意(手紙で言ってきたわけ)との間に比島我方使者の任務乃至右使者に賦与せらるべき権限に付若干字句の相違あり就中(なかんずく)右使者が比島に於て正式降伏条項に署名するを要するものなりた否やの点に付、疑問を生じたるを以て十六日之に関し「マッカーサー」に問い合わせを為したるに対し十七日右使者は比島に於て降伏条項に署名するを与するものに非る旨回答あり)
十七日朝「マッカーサー」より右を了承すると共に右比島向使者出発を督促し来たりを以て八月十七日夜最高戦争指導会議に於いて審議の結果使者の使命、人選等の大綱を決定せるを以て右使者一行は十九日出発することとなれり。
2、尚連合軍最高司令官より我停戦命令実行発生の暁には同連合軍に対し停戦命令を発出する旨通報し来り居るも未だに右命令発出の確報なく就中ソ連軍は我方に於いて極力接触を回避し交代しつつあるに拘らず尚何等南進の速度を緩和する兆しなく全面的停戦に至らず。
3、米国政府は瑞西国政府を通し八月十五日
「日本政府は中立国所在日本外交官及び領事館事務所に対し其の全財産及び文書の管理を連合国の代表に引き渡すべき旨訓令すべく又同様交戦国所在日本外交及び領事館及び文書に付ては、当該利益保証国が之を連合国の管理に引き渡すことを認むべし」
との通報を為し来りたる所、右に対しては「右は我方の受諾せる「ポツダム」宣言の何の条項にも該当せるものに非ざるに付、応諾し難き旨」瑞西国を通し拒否回答しあり然しども右は連合国側の将来の態度の一暗示として注意を要すところなり。
40.8.2.米国政府メッセージ(別紙第一号)
8月14日、米国政府から日本政府への降伏提案受諾および降伏命令の通知が届いた。
(この項、「ポツダム宣言受諾」の節、「米国の降伏提案受諾および降伏命令の通知」の項と同じ)
貴方は左の措置をとられたし
1、日本軍軍事行動の速急なる停止を指導し連合国最高司令官に右停戦実施の日時を通報すること。
2、日本軍隊及び司令官(複数)の配置に関する情報を有し且つ連合国最高司令官及び其の同行する軍隊が正式降伏受理の為連合国最高司令官の指示する地点に到着し得る様、連合国最高司令官の指令する打ち合わせを成すべき十分の権限を与えられたる使者(複数)を直ちに連合国最高司令官の許に派遣すること。
3、降伏の受理及び之が実施する為「ダグラス、マッカーサー」元帥が連合国最高司令官に任命せられたる所、同元帥は正式降伏の時、場所及びその他詳細事項に関し日本政府に通報すべし。
40.8.3.連合国最高司令官マッカーサーからの連絡(別紙第二号)
8月16日、マニラ滞在の連合国最高司令官マッカーサーから、天皇、日本政府及び大本営宛に電文が届いた。
その電文では、次のことが指示されていた。
①日本軍は戦闘の即時停止を行うこと、そしてその命令の発動日時を通告すること。
②天皇、日本政府、日本大本営の名に於いて降伏条項実施に必要なる諸要求を受理する権限を有する代表者をフィリピンのマニラ市にある連合国指令部に派遣すること。
8月18日、日本政府は、マニラへ派遣する使者を陸軍中将川邊虎四郎と決定し、全権委任状の御下附がされた。
日本天皇、日本政府、日本大本営宛 連合国最高司令官発電信要旨(八月十六日)
日本側は連合国の降条件を受諾せるに因り、連合国最高司令官は日本軍に依る戦闘の即時停止を命令す。右停止の発動日及び時間を最高指揮官に通告すべし、然るときは連合国軍は戦闘停止を命ぜらるべし。
又「マニラ」市に在る其の司令部に、天皇、日本政府、日本大本営の名に於いて降伏条項実施に必要なる諸要求を受理する権限を有する代表者を派すべし。
右代表者は到着次第、最高指令官の要求を受理する権限を付与せる旨の、天皇陛下の御委任状を呈示すべし。
右代表は、日本陸・海・空軍を代表する権限ある顧問官を帯同すべく空軍顧問官は東京地区の航空施設に通暁(つうぎょう:すみずみまで非常にくわしく知ること)する者たるべし。
右代表一行の安全航行の手筈は左の如し(以下 略)
40.8.4.川邊全権委員等の渡比(フィリピン)
8月19日川邊全権委員一行は朝、東京を出発し、沖縄県伊江島にて、連合国軍の飛行機に乗り換え、同日夕刻、マニラに到着した。
その夜直ちに会議に入り連合国軍の日本本土進と日本軍の武装解除に関する事項を主として会談した。
日本側から、国内情勢を鑑み連合軍の進駐開始期日繰り延べを要請し、結局進駐開始は8月26日と決定した。
翌20日の午前の会議で日本側は連合国最高司令官とその随行部隊の東京湾内及び鹿屋飛行場地域への進入を容易にするための連合国最高司令官の要求事項を記載する文書と、帰京後帝国政府に伝達すべき日本国天皇の詔書(降伏文書調印に関する詔書)、降伏文書、そして陸海軍一般命令第一号を受領した。
日本国天皇の詔書の要点
天皇が「ポツダム」宣言の条項を受諾すると共に帝国政府、帝国大本営に対し、天皇に代わり連合国最高司令官より提出さられたる降伏文書に署名することを命じ、且つ同司令官の指示に基づき帝国政府及び帝国大本営に対し陸海軍に宛てて一般命令を発すべきことを命じた。
また、帝国臣民に対して敵対行為を終止し降伏文書並びに一般命令の一切の規定を誠実に履行すべきことを命ぜらるるものとした。
降伏文書の要点
①「ポツダム」宣言条項受諾の確認
②帝国軍隊の無条件降伏
③一切の日本軍及び日本国民の敵対行為の終止及び軍用・非軍用財産の毀損防止
④一切の陸海軍軍人及び行政官庁官吏の離職制限
⑤天皇帝国政府及びその後継者の「ポツダム」宣言条項履行確約
⑥連合国俘虜及び被抑留者の解放及び保護
を内容とすると共に末項に於いて、天皇及び帝国政府の国家統治の権限が「ポツダム」宣言の条項実施の為、適当と認むる措置を執るべき連合国最高司令官の制限の下に置かるべきことを規定していた。
一般命令の要点
陸海軍に対する一般命令は、一切の日本の軍隊に対して戦闘を停止し武装を解除し、無条件降伏を為すべきことを命じ、各地区に於ける日本国軍隊が降伏すべき連合国がどの国になるかを規定した。
更に日本軍隊軍事施設に俘虜及び被抑留者に関する一切の情報供与等を命じた。
川邊中将一行は、これ等の文書を受領し、20日午後一時「マニラ」出発し、伊江島を経由して東京に向かった。
その搭乗機は遠州灘沖で遭難し、鮫島海岸(現静岡県磐田市)に不時着したが無事に東京に帰還した。
<川邊虎四郎中将>
40.8.5.連合国軍隊の進駐
連合国軍隊の日本本土第一次進駐は、8月28日以降、決められた通り、且つ平穏裡に行われた。
また、日本本土外の各地域に於ける停戦も、通信が杜絶している前線部隊の一部を除き8月22日頃、停戦の大命徹底により、実効を挙げるに至った。
但し支那大陸、特に満州、蒙彊、北支の一部及び朝鮮北部並びに南樺太に於いては当該戦線に於ける連合国側軍隊の態度及び当該地方の治安状況等が必ずしも日本軍軍隊の平穏なる停戦の実施及び武装解除を容易でない状況下であった。
そのため、日本居留民の生命財産に対する侵害行為の発生を見たるは、帝国政府の極めて遺憾とし、今後に於けるこれ等方面の事態の推移、なかんずく武装解除後の日本将兵の待遇並びに日本居留民の安全については、帝国政府は重大なる関心を持っており連合国側の善処を強く要望した。
40.8.6.降伏文書調印
昭和20年9月2日、午前9時過ぎ東京湾内の米国軍艦「ミズーリ」号に於いて、日本の全権委員重光葵、及び梅津美治郎は連合国最高司令官「マッカーサー」元帥に対して詔書を提出し、降伏文書に署名をした。
その後、連合国最高司令官、米、英、支、ソ各代表らが署名し、更に豪州、カナダ、フランス、ニュージランド、オランダの各代表者が署名した。
<署名された降伏文書>
日本側の全権委員は降伏文書一通(他の一通は連合国最高司令官に於いて保持す)並びに一般命令(陸海軍)第一号を受領した。
ここに正式に降伏の式が完了した。
<降伏文書調印に関する詔書>
朕は昭和二十年七月二十六日米英支各国政府の首班がポツダムに於て発し後に蘇連邦が参加したる宣言の掲げる諸条項を受諾し帝国政府及び大本営に対し連合国最高司令官が提示したる降伏文書に、朕に代わり署名し且連合国最高司令官の指示に基づき陸海軍に対する一般命令を発すべきことを命じたり。朕は朕が臣民に対し敵対行為を直ちに止め、武器を措き且降伏文書の一切の条項並に帝国政府及大本営の発する一般命令を誠実に履行せむことを命す。
<降伏文書>
<一般命令第一号>
<続く>