木彫り倶楽部 more

本来は、木彫り教室のブログでしたが。。。還暦を迎え自然農にはまり、自然からの恵みや日々の気づきを気ままに綴っております。

おいり

2016年10月22日 | 日記
皆さまこんばんは❗

今日もお尋ねくださりありがとうございます。

懐かしいお菓子が実家にあったので、ご紹介します(*^^*)


『おいり』カラフルでほんのり甘く、フワフワ、サクサクの食感

右側球状のものしか知りませんでしたが、板状のものもあるんですね...
由来は。。。


そう。嫁入りの時のお菓子

このお菓子にはちょっと複雑な思い出があります。
よろしければ、お付き合いくださいませ。


結婚の時、主人のお母さんが用意してご近所に配っていたのを思い出しました。

本当は、嫁入りする私の実家が用意するのですが。。。

うちは婿養子。

でも表面上は近所、親戚の手前、形だけ嫁入りしたことにして欲しいという義母の要望で、嫁入りした形を取りました。
なので、義母が用意したのです。

披露宴も両家の結婚という形で、どちらの姓を名乗るか公表せず。

披露宴が結婚の披露しかしていないのですから、今考えると微妙です。(*^^*)

義母にはそうせざる負えない、田舎の事情があったのでしょう。

うちの親戚一同は、祖父が認めているのなら異論なしで、不思議な披露宴に合わせてくれました。

でも、義母の心の中には、形だけと言いつつも長男を婿養子に出す苦渋の思いがあったのでしょう。

気性の激しい人ではありましたが、元気なうちは、とても私を大事にしてくれた義母でした。

でも、痴呆が進んだ頃からそれは表れました。
私を、息子と可愛い孫を盗んだ悪者と認識したようです。

会っているときは普通ですが、私が帰ってから暴れたそうです。
同居していた義弟に、「お袋と会わないで欲しい。帰った後が大変だし、もし(私に)危害を加えたら困るので」と言われ出入り禁止に。

臨終の病室でも止められ、廊下で居ましたが、
義兄の「最後かもしれん。会わせてあげたら...」の一言のおかげで会わせてもらえました。

義兄には本当に感謝しています。

病室に入ると、義母は懐かしそうな優しい目を向けてくれたので、
「まゆみです。側に寄ってもいい?おかあさん」と声を掛けると頷いたように見えました。
側により、手を握って謝りました。
「ごめんね。お義母さん悔しかったんだね。ごめんね。」と
しばらく黙ったまま涙を浮かべ、口を一文字に結んでいました。
その後、手を握り返して「ありがとう」と小さな声で一言。

その一言が、最後の言葉でした。

義母が正しく私を認識していたかどうかは不明です。

「ありがとう」は、私に向けた言葉ではなく、皆に向けた言葉だったのかもしれません。

それでも、私は救われました。

私の方こそ、義母に、義母を世話してくれた義弟と義姉にそして義姉の旦那様の義兄に感謝です。

『おいり』
『家』という制度自体が崩壊しつつある現代、『嫁ぐ』意識も変わって来ているように思います。

家族。。。しこりのないのが一番

私は跡を継ぐ義務を負っていますが、子供達に強制はしたくありません。

私の両親はそんな私を不安がっていますが、『家』という形よりも『家族』という繋がりを大切にしたいと思っています。
コメント
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