真剣道外伝★無端晟輝の残日録

真剣道・基道館宗師範の残しておくべき余談集

放てば手に満つ、入門ラッシュ

2019年09月01日 | 基道館活動記録

このところ、新規入門者が増えている。

循環無端ワッペンは4枚製作し、まだ1枚未納ということらしい。

今夜は新入門のH氏が初めて道着を着用しての稽古になった。

師匠の無維庵も汗だく、H氏も汗だくで着付けが行われた。

 

袴下結びは自宅で稽古してきたという熱心なH氏ではある。

その中の会話

H「練習は着てから、居合刀で始めるのでしょうか」

維「うちは練習はしません、稽古をします」

H「????????」

 

それを聞いていた私が口をはさむ(悪い癖だ)

私「稽古という字は 古きを考える」と書きます

何も考えない反復の腕立て伏せは練習で、古い思想に触れながらその中身にシンクロしようと行う反復は稽古です」

 

それは、昔書いたことがあった。

30年くらい前、某大連盟の講習会に行ったとき、田宮流と制定居合を習っていたのだが、そこで、抜きつけ50回というのがあった(笑)

号令をかけながら全員で抜きつけを行う、「練習」です序破急もへったくれもない(爆)

私はこりゃあかんと、某連盟をやめました。何もわかっていない人が指導していますね。

バカな大将、敵より怖い その見本です。

いまはどうなっているか知りません。30年前の「彼らがまだまともだった時代です」

 

 

 

用語が難しいのではないかと思い、進行を見ながら黒板に書いて示した。

 

今日は、納刀の要領や、なぜそうするのかを師範である、無維庵が少しずつ進めていった。

 

 

密度の濃厚な稽古はあっという間に終わる、

 

H氏が言うには「居合はもっとシンプルで簡単かと思っていました」

そうでしょうね、そんなところも多いのも事実です。

某連盟なんか何万人もいるのに、まともな納刀を見たことがないのも事実ですから。

 

基道館は真剣道、ちっとも簡単ではありません。でも面白いでしょう。

 

 


再掲 循環無端の旗

2019年09月01日 | 基道館活動記録
循環無端の旗
基道館の六番目の道場である虎乱洞が発足し、会の旗もできたので、古くから使ってきた循環無端の旗を自室に持って帰った。
今年の基道館納会には私のスピーチの予定があるというので、旗を見ながら考えた。
 
 
 
正武は堂々たれ、剣心は一如たれ、祖父の意志が私を励ます。
 
 
あなた方は弟子であり、また孫弟子です。
同時に師であり、そのまた師でもある。
あなた方の中に「真剣道」のDNAが脈々と受け継がれて、それが見事に開花するとき、その姿は私の尊敬する師の姿とうり二つであろう・
その連綿たる伝承の一コマとなって、自らを磨き、また人とも磨き合い、自らの納得できる指針を堅持する人は、年齢、性別、保有段にかかわらず、紛れもない「真剣道居合者」です。
 
 
私はかくありたいと念願し、諸氏にも多くの覚悟、自己犠牲を伴う修行の中でとりわけ循環無端」の思いに注力して頂くようやってまいりました。
できる限りではなく、できなくとも得ようとするその努力には必ず花が咲きます。
 
夫婦は二世をちぎるといい、心中というのは、この世で添えないなら来世で結ばれたいというパッションの結果ですが、
生まれ変わっても七度めぐりあうという師弟の縁の有り様を具現しようという集団、基道館の諸氏に私は深い尊敬の念と感謝を感じています。
諸氏の求道の誓願が達成されるならば、その「熱」は後世まで伝わるでしょう。
 
それは、領土、歴史文化、国民という国家成立の三要素の二つまでも直結し、それを担う偉業ではありませんか!
武道・居合は日本固有の文化・歴史に根ざした立派な財産であり、
諸氏一人ひとりのアイデンティティーは総和として集団のアイデンティティーとなり、強力に増幅してゆくでしょう。
 
これこそが循環し、はてがないという、我々のスローガンと合致するところです。
諸氏の御精武を心から祈念いたします。
 
皇紀2678 極月      基道館宗師範 大城戸有限齋基輝