このところ、新規入門者が増えている。
循環無端ワッペンは4枚製作し、まだ1枚未納ということらしい。
今夜は新入門のH氏が初めて道着を着用しての稽古になった。
師匠の無維庵も汗だく、H氏も汗だくで着付けが行われた。
袴下結びは自宅で稽古してきたという熱心なH氏ではある。
その中の会話
H「練習は着てから、居合刀で始めるのでしょうか」
維「うちは練習はしません、稽古をします」
H「????????」
それを聞いていた私が口をはさむ(悪い癖だ)
私「稽古という字は 古きを考える」と書きます
何も考えない反復の腕立て伏せは練習で、古い思想に触れながらその中身にシンクロしようと行う反復は稽古です」
それは、昔書いたことがあった。
30年くらい前、某大連盟の講習会に行ったとき、田宮流と制定居合を習っていたのだが、そこで、抜きつけ50回というのがあった(笑)
号令をかけながら全員で抜きつけを行う、「練習」です序破急もへったくれもない(爆)
私はこりゃあかんと、某連盟をやめました。何もわかっていない人が指導していますね。
バカな大将、敵より怖い その見本です。
いまはどうなっているか知りません。30年前の「彼らがまだまともだった時代です」
用語が難しいのではないかと思い、進行を見ながら黒板に書いて示した。
今日は、納刀の要領や、なぜそうするのかを師範である、無維庵が少しずつ進めていった。
密度の濃厚な稽古はあっという間に終わる、
H氏が言うには「居合はもっとシンプルで簡単かと思っていました」
そうでしょうね、そんなところも多いのも事実です。
某連盟なんか何万人もいるのに、まともな納刀を見たことがないのも事実ですから。
基道館は真剣道、ちっとも簡単ではありません。でも面白いでしょう。