月影会に、有城斎師範が来てくれて、(というか、ずっと面倒見てくれていた)にぎやかな稽古となった。
今夜は「居合形」をすると予告したので、足りない木刀類を持ってきてくれていた。
月影会を指導してくれている、無完庵准師範と稽古前に話していたら
完「有城齋師範は仕事が早い、なんでもてきぱきとすぐさまやる、見習っています」
そうですね、着地点を見定めて行動する有城さんは、頼りになるでしょう。
今夜は、3年間の武者修行に出た月影師範の無学庵師範も、道具類を持ってきてくれた。
なんと、昔日私が使っていた道具入れだ、長持ちするものだ(笑)
なかに35年使っている杖も混じっていた。色が違います。
(道具の補修はしておきますと持ち帰った。)
かれは、明石に住んでいて、このところ大阪北部の新店に派遣されているのだという。
高校生だったかれが、師範となり、社会的には新店の指導を任される立派な大人になったのは、慶賀の至りだ。
居合形の成立のいきさつ、狙い、獲得目的を書き出して、稽古は始まった。
特に留意したのは、2本目「拳取」 世間ではこれをこぶし取りと発音するらしい。
あはは、基道館ではけんとりと発音する。
考えても見て欲し、師伝を墨守するという道場が、先師の発音を真似ないでどうする!
みんながしているから,言っているから、やっているからとふらふらするのはミーハーだろう(笑)
師が行ったこと、言ったこと、それがたとえ間違いであろうと追随する覚悟なくてなんの居合だ!
合理的、不合理的、そんなことは命のやり取りをする現場では全く関係ない!それが私のテーゼである。
我々は決然とした居合者でありたい。
宇宙には確定したものがあるだろう、人の世は確定したものなどない。
自分の信念がどれほど固いか(それもたいしたことではないが)だけだ。
親鸞様の教えを持ち出すまでもなく、(たとい法然聖人にすかされまいらせて、 念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候。)
後悔などありようもないではないか!
2本目はギブアップを取る、体術的な要素が多い。
古伝では、わが刀と敵刀の上下が入れ替わることも伝えた。
その意味も伝えた。
准師範には「口伝」も伝えることができた。
(口伝を加えると状況が全く違うことに気が付いてくれた)
これが基道館の目指すブドウだ!