うんたま森のキジムナー

アウトブレイク

沖縄県で、県より先に「来島自粛」に踏み切ったのは
石垣島だった。私たちは、このようなパンデミックを
経験したことはないが、八重山のオジィ、
オバァたちは戦中・戦後のマラリアを経験している
人達が多くいる。

日本軍によって強制的に、裏石垣や西表島に移住
させられたことにより一気にマラリアが蔓延した。
当時八重山の人口が約3万人、資料によるとマラリアの
犠牲になった人は3600人いたそうだ。
南西諸島では地上戦こそなかったが、
艦砲射撃や空襲はあった。
八重山では戦争による犠牲者の数は、住民が178名 
日本兵70名とある。
もちろん住民だけでなく将兵もマラリアにかかって、
戦わずして680人もの兵士が亡くなったとある。
このマラリアを「戦争マラリア」と呼び
1999年に石垣島に建てられた「平和祈念館」は、
マラリアの史実を伝えるために建てられたそうだ。

この宮古島でも、疎開先から引き揚げてきた人から
マラリアが伝染して多くの人が亡くなったという。
現在、観光ビーチであるパイナガマビーチには、
火葬を待つ遺体が並べられていたとオバァは、当時の光景を
思い出すように話していた。

西表島で最後に感染者が確認されたのが1961年 
昭和36年でそれ以降は出ていない。
終戦が1945年だから撲滅まで16年以上かかったわけだ。
はやく終息してほしいものだ。


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コメント一覧

kijimuna
戦艦に乗っていた人や、戦闘機に乗っていた人の話をよく聞きました。さすがにもういないですね。いつまでも元気でいられないということですね。
ダイバー
戦争とは敵との戦い。敵の構成員を殲滅する為には手段を選ばない。マラリアなぞで同胞に多少の犠牲が出ても、「戦争に勝つという大義の為にはやむを得ない」と言うことだった。そんな理屈で、多くの人々の命が見捨てられたのですね😢「二度と戦争なぞしてはならない」と、あの時、心に深く刻んだ人たちが、段々少なくなってきて、戦争の悲惨さを知らない勇ましい人たちが増えて来ています。
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