キビ刈もそろそろ終盤を迎えている。
飛行機から宮古島を見下ろすと一面サトウキビ畑が広がっている。
宮古島に初めてサトウキビが植え付けられたのが1881年(明治14年)
そして宮古島でサトウキビから黒糖が製造されたのが
1883年と記されている。
サトウキビの歴史を見ると、1884年に、のちに人頭税廃止運動に心血を
注ぐことになる城間正安が製糖技師として宮古島に赴任してくるが、
当時宮古島では人頭税がいまだ続いており
納税の対象にならないサトウキビの生産は禁止されていた。
1888年、甘薯栽培制限令の解除によってようやくサトウキビの生産が
できるようになり正安らによる製糖指導も行われるようになったが、
農民たちは関心を示さなかった。
理由は人頭税の負担が大きいうえに、出荷したサトウキビの代金が
農民に支払われておらずサトウキビを作っても収入にならないために
反発していた。
それを知って西安は蔵元などと交渉して、砂糖で税を納められる
ようにすることと、製糖用の器具を無償で貸すことを認めさせて、
ようやく宮古島でもサトウキビの生産が本格的に始められた。
しかし、依然として人頭税が重くのしかかり、農民の生活は
いっこうに楽にはならない。
前年から続く飢饉も加わり、農民たちは負担軽減の嘆願をするが
成果には結びつかなかった。
1895年、人頭税の廃止が採択され、1903年、1637年から続いた
人頭税がようやく廃止されてサトウキビの生産が徐々に
増えていき現在に至る。
現在宮古島のサトウキビ生産量は年間30〜40万トンほどで、
沖縄県内の総生産量の40%を占め、県内最大のサトウキビ生産地域と
なっている。
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