「サティパロウ」が行われた。
「サティパロウ」は上野村の「パーントゥ」
と呼ばれ、村民らが、夕暮れ時のウプ御嶽(ウタキ)
に向かって合掌し、集落の幸せと豊穣を祈願した
あと、女性たちはセンニングサとクロツグ(草の葉)
を頭と腰にまき、ヤブニッケイの枝を持って歩く
のが慣わし。先頭を歩く子供の一人がパーントゥの
仮面をかぶって、他の子供たちはホラ貝と
太鼓を鳴り響かせながら歩く。厄払いの伝統行事。
泥を塗るパーントゥはよく知られていて観光客も
訪れるが、サティパロウはあまり知られていない
ようで、訪れる人も少ないけれど、国指定重要
無形民俗文化財である。体中に草を巻きつけた衣装?
は、どこか南方系住民を思わせる姿で、十四世紀
以前はこのようなかっこうでいたのかも知れない。
1477年に朝鮮の船が与那国島に漂着した。その見聞記
に「男女とも耳たぶに穴を開けて青珠をさげている。
西表祖納の婦人は鼻に穴を開けて小木を貫いている」
とあるが、おそらく宮古島でもそのようなかっこうの
住民が住んでいたのだと思う。鼻に穴をあけて
アクセサリーをつけている若い子をよく見かけるが、
先祖の血を受け継いでいるのだろう。
