うんたま森のキジムナー

本土復帰

1970年、大阪で万国博覧会が開催された。
万国博覧会は北大阪の千里(せんり)という
竹やぶが多い茂る山を開拓して行なわれ、
現在も跡地は万国博記念公園、大阪大学の一部に
なっている。時期を同じくしてニュータウンが
開発され、たくさんの友達が移り住んでいった。

その2年後のある日、学校から帰ってくると、
ニュータウンに引っ越していった友達が家族と
一緒に家に遊びにきていた。私達は子供同士、
久しぶりに遊んでいたがその子のお父さんと
お母さんは、ウチの家のテレビの前で泣いていた。
ウチの祖母ももらい泣きしていたのを覚えている。

「よかったねぇ、よかったねぇ」肩を抱くように
して、テレビの前で・・・・
子供だったので、まったく意味がわからなかった。
友達の名前は今でもはっきりと覚えている。
友達のお父さんは飲み出すととまらない人で
よくウチの祖母に追い返されていたことも。
名前は嘉数(カカズ)さん。引っ越していった友達
家族がウチに来た日にちなんて覚えて
いるはずなどないが、沖縄に移り住んできて、
その日がわかった。
1972年5月15日、沖縄本土復帰の日だ。

今から36年も前の出来事。仲の良かった友達
だったけれど、顔も忘れてしまった。
きっと道ですれ違っても、声をかけられても
わからないだろう。


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