うんたま森のキジムナー

琉球見聞録

宮古島が歴史に登場するのは1477年が最初。
朝鮮の文献「琉球見聞録」に出てくる。

これを書いたのは、済州島の漂流民で嵐にあって、
板にすがって流されているところを
与那国島の島民に救助された。
彼らは手厚い看護を受けて、西表島、波照間島、
新城島、黒島、多良間島、
伊良部島、宮古島に護送される。

最後は那覇まで送られた。
彼らが体験したことが見聞録として残っている。
何回か現代版を読んだけれど面白い。

当時の言語、食、衣服、住居、風習、
家畜など生活文化全般にわたっている。

当時の与那国島の人は、耳たぶに穴を開け、
青い小さな珠を貫いたピアスをしていたそうだ。
首にも同じようなアクセをしていたとしるされている。

西表島では女性が鼻の両側に穴をあけて
小さな黒木をさしていた。
他にも島には盗賊はいないことや、相手を
罵倒したり、喧嘩することがない。
子供を大変かわいがり、泣いても叩いたりせず、
ほったらかしであること。
各島には長がおらず税もない。
漂流民から見たら、夢の楽園だったと書かれてある。
少々不便でも、その時代に生きたかった。


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コメント一覧

きじむな
紅葉・桜、見たいです。
忙しい時期なので、おそらくこの先も見ること
はないと思います。
12月下旬から、沖縄の桜が咲き始めます。
ダイバー
御意✴所謂、理想郷ですね👍明治時代、房総半島の中央部に理想郷を作ろうとした尽力した人々が居ました☺今は「養老渓谷」と言う名称で、関東で一番遅い紅葉の名所になっています🙆
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