朝鮮の文献「琉球見聞録」に出てくる。
これを書いたのは、済州島の漂流民で嵐にあって、
板にすがって流されているところを
与那国島の島民に救助された。
彼らは手厚い看護を受けて、西表島、波照間島、
新城島、黒島、多良間島、
伊良部島、宮古島に護送される。
最後は那覇まで送られた。
彼らが体験したことが見聞録として残っている。
何回か現代版を読んだけれど面白い。
当時の言語、食、衣服、住居、風習、
家畜など生活文化全般にわたっている。
当時の与那国島の人は、耳たぶに穴を開け、
青い小さな珠を貫いたピアスをしていたそうだ。
首にも同じようなアクセをしていたとしるされている。
西表島では女性が鼻の両側に穴をあけて
小さな黒木をさしていた。
他にも島には盗賊はいないことや、相手を
罵倒したり、喧嘩することがない。
子供を大変かわいがり、泣いても叩いたりせず、
ほったらかしであること。
各島には長がおらず税もない。
漂流民から見たら、夢の楽園だったと書かれてある。
少々不便でも、その時代に生きたかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/b0/6a7b827b647fc2a3be49001a8c15d1b0.jpg)