下地真栄という人が沖縄本島からの帰途
逆風に流されて中国に漂着。
そこへ琉球進貢船が回航してきたので、それに
便乗して島に戻った。
しかしその途中、暴風に巻き込まれて、
船の舵にロープが巻きつき転覆のおそれがあった。
それを泳ぎが達者だった下地真栄が荒海に飛び込み
舵に巻きついたロープを取り除いたという。
その船に同乗していた進貢使は、
時の王(尚永王)にその勇気を伝えたところ
王は、その功績を讃え真栄を宮古島の
間切頭役に取り立てた。
その真栄の妻、稲石((いないし)は
いたく感激し、その恩に報いるため工夫を
こらして織物を織り上げた。
これが宮古上布の始まりだと伝えられている。
王朝時代に織られたものを買った人がいた。
その場に立ち会って現物を見たとき、
光沢とその織物がもつ美しさに驚いた。
おそらく国宝級にあたいするものだった。
宮古上布は今でも織られているが本当の
宮古上布は絶滅している。
宮古上布には7つの作業工程があり、
それぞれ極めた人たちの技がないと
出来ない。
また、当時の過酷な時代背景があってできたものだ。
王朝時代の織物をあの時は一反600万で
3反〜4反買われたが、本来の価値は
とても値段がつけられるようなものではなかった。
今でもその時に取り引きされたものを探しているそうだ。
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キジムナ
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