宮古上布にまつわる悲しい話は宮古島の
歴史の中に、閉ざされている。宮古織物
事業協同組合があり、何度かの経営危機を
乗り越えてなんとか持ちこたえているのが現状だ。
上布は琉球王朝への献上品で、亜熱帯地方の
気候にあった風通しの良い着物で王族、貴族の
普段着であったと言われている。着物好きな
方ならご存知だと思うが、今でも正式な場所に
着て行くことはできない。上級品だと一反、
値段の付けようのない代物もある。
数百万も出して買った着物が、パーティーや正式な
場所に着て行くことが出来ないなんて
私には理解できないけれど、家に誰かが訪ねて
きたときに、何気なく上布を着て
出迎えるのが「粋」なんだそうだ。
上布が出来るまでには制作行程があり、
原料となる芋麻(ちょま)その芋麻から
繊維を採る人(ブービキ)、糸にする人(ブーアミ)
図案を作成する人、染色する人、織る人、
洗濯(きぬた打ち)熟練の技を持つ人達が一つの
反物を完成させる。今も伝統工芸を残そうと
努力しておられる方もおられるが、
苦しい歴史の中だったからこそ出来た一級品
だったのだろう。
今では、究極の熟練の技を持つ人はひからびて
いき、残念ながらあの宝石のような反物は
もう出来ないと思う。おそらく最後に残った
宮古上布の一級品は、私が仲介したもので、
値切った金額も過去最高額だったように思う。
ベンツをカローラの値段で買ったようなものだ。
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