我が家は社宅ではあったが、大きな一軒家に
大家族で暮らしていた。
人の出入りも多く、野球中継やプロレス中継が
ある日は、玄関の外まで履き物が散らかっていて
テレビの部屋は人でごった返していた。
祖母は近所でも世話役と言われるような人だった。
他人であれ面倒見がよかったのだろう。
こどものころのかすかな記憶の中で
忘れられないシーンがおぼろげに焼きついている。
野球でもプロレスでもないのに、
たくさんの人がテレビに釘付けになっていた。
祖母の横には他の人とチョット雰囲気の違う
二人がいた。
名前はカカズさんとイトカズさん
今でもそのなまえを覚えている。
今だからわかる、時は1972年昭和47年
沖縄本土返還の日。
カカズさんもイトカズさんも大人なのに
涙を流してテレビを見ていた。
祖母は二人の方を後ろから抱いて
「あんたらも今日からニッポンジンやさかいに
きばりや(頑張りや)」
といっていた。
今なら問題発言だ。
あの時代の沖縄の人たちは本土復帰を
心の底から喜んでいた。
これが今の時代ならどうだろう。
アメリカ統治の琉球の方がいいという人の
方が多いかもしれない。
5月15日はおきなわの本土復帰記念日。
返還が決まって両政府で返還の日をいつに
するのか話し合ったそうだ。
アメリカは7月1日を主張し日本は4月1日を主張した。
お互い譲らず、苦肉の策として
その真ん中の5月15日と決まった。
これホントの話し。
