たつのに、今でも多くの人が平良市と呼ぶ。
平良と言う言葉に愛着があるのだろう。
平良と言う地名の始まりは、沖縄から来た
人が「ここは何と言う地名か?」と
尋ねたとき、地元の人が「ピサラ(方言)」と
言った言葉に字をあてたと言われている。
ピサは「平たい」ラは「土地」を意味する。
しかしこの言い伝えも確かな確証はない。
もしかして平良と言う苗字が多いのは、昔、平家の落人が
流れ着いたからという説もある。沖縄にはこのような
伝説が多い。有名な話では源為朝(タメトモ)伝説が
ある。為朝は1156年保元の乱で敗れ伊豆大島に流され、
そこで切腹したことになっているが実は大島や近隣の
島を征服し、途中嵐に遭い、運を天にまかせて流れ
着いたのが沖縄の運天港で沖縄の王様になったという
説がある。その後彼女が出来て子供まで作ってしまったが、
望郷の念にかられ彼女を残して本土へと帰ってしまった。
その彼女が為朝の帰りを待ち続けたのが
「待ち港(マチミナト)」で今の牧港だと伝えられている。
本当は悲しくもはかない物語なのだが、すべて書けば
長くなるのでお許しください。
源氏が流れ着いたのなら、平家が流れ着いていても
不思議はない。東平安名崎の字も「平安」と書く。
それに宮古島の人の中には高貴な顔立ちをした方も
おられる。私の思い過ごしだろうか?地名にはそこに
伝わる由来があり謎も多い。
因みに那覇の由来は「魚場(サカナバ)」がナハに
なったそうだ。15世紀、琉球を統治した最初の王
「尚巴志」の史実に出てくる。
それまでは「浮島」と呼んでいたらしい。
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↑下里通り。市場側から撮影。