似ていて改名をさせられた姓もある。沖縄の姓は、ほとんどが地名
からきていて、昔は、そうした地名もニンベンのない「中」を
使っていた。琉球王朝からお触れが発布され「中」と言う字が
使えなくなった。琉球王朝の世子で尚貞という人が、
「中城王子」と名乗ることになった。
王家が使う字であるから王家意外は使用禁止になり「仲」と改名された。
それ以前にも、薩摩藩が琉球に対して同様の改名政策を実施している。
1609年 薩摩藩は琉球を侵略して、実質的に支配下に置く。
「異国」を従えていることを内外に誇示する為に、
琉球人の言葉や服装を異国風に装わせる政策に取りかかる。
1624年に、「大和(日本)めきたる名字の禁止」
これを機に、「東」は「比嘉」に改姓させられ「福山」は
「譜久山」に、「船越」は「冨名腰」、「前田」は「真栄田」に
させられてしまう。
沖縄にも元々は本土と似た姓があったわけだ。
ただし、これは、士族階級に限っての話で、平民が姓を持つのは
明治以降のことだが、このときも平民の多くは、土地名や
領主の姓をつけたので、さらに異国風の姓や
三文字姓がひろまったそうだ。
しかし、お上の勝手な政策はまだまだ続く。
沖縄は日本国に組み込まれたのに、この土地の姓だけが
異国風なのは「奇異」であるから
日本風の姓にするようにと同化政策が推奨されるようになる。
だが、当時の法律では、姓を変えることは容易ではなかった。
改姓出来ない人が続出し混乱したそうだ。
今も昔も色々なことで、沖縄というところは本土の影響を
受けて翻弄されている。
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