今日のYahooニュースで思い出したことがあります
自民党の高市早苗氏が「昭恵夫人が病院に到着するまで
生命維持処置をお願いした」とあります
想い出すことがあります
平成4年ですから今から丁度30年前の事です
主人の父が敗血症でなくなりました
数日間、人工呼吸器をつけながらでした
私が最後の声を聞いたのはそのひと月前の
お昼の食事のお世話をしているときに
お味噌汁をストローで飲ませていた時に
「温かいな~~」というのが最後の声でした
その後人工呼吸器を着けたら声は出せません
此方が聞くと眼の動きで判断するという感じでした
いよいよあと数日と言う時にはドイツに居る弟にも
勿論知らせましたがすぐには向こうも来れません
弟が今日の夕方の飛行機で着くという時に
医者からあと数時間と言われました
私は「もうすぐ弟が来ます。それまで、何とか」と懇願すると
「わかりました」と言って高濃度の血液だと思うのですが
点滴が始まりました
(専門的な事は分からないので間違えていたら済みません)
主人が弟を飛行場まで迎えに行っている間も
いつ息を引き取るかと気が気ではありませんでしたが、
転がるようにして弟が病室に入ってきて
弟が「父さん、父さん」と呼ぶとかすかに目を開きました
確認できたと信じましたし、信じたかった
数分後に先生がいらして
「もういいですね、このままだと病人を苦しませるだけです」
と言って装置を外されました。
数分後に息を引き取りました
その時分は私は、義父も弟に会いたい一心で
最後の命を振り絞ったのだと
思っていましたし他のみんなもそう思いました。
でも、今日の冒頭の言葉を見て得心が行きました
そうだったんだ、 そういうことだったんだと、、
書いていて辛くなりました
家族には厳しい義父でしたが、私には優しくしてくれました
今更ですが有難うございました