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「夜の森」D・バーンズ
修飾語やら形容詞でギュウギュウな文章。
ギチギチのページ。
コンマで繋げられ、延々と続く一文に、
あれ?何について言ってるんだっけ?
誰のことを喋ってるんだっけか?
迷子になること、しばしば…
迷子にも慣れ、(有り難い事に戻り道が分かってる為、頻繁に文頭に戻りつつ。)
(限りなく諦め半分に)ある程度免疫もつき、
無駄な抵抗、悪あがきは封印した上で、やっとこさ読了。
文に慣れるのに時間を要するも、当時の雰囲気は大いに楽しむ。
自分が何者なのか分からず、何に属するかをを捜し求めた女。
不安を埋める為に喋り続ける男。
色濃い民族の記憶から逃れるように憧れる、自分では決して届かない階級を欲する男。
愛と独占欲にかられつつ、愛し方も愛され方も分からない女。
自己愛に溺れ、美化する事でしか満足出来ない女。
自分を持て余す者、偽る者、違う何者かになろうとする者。
足りないものを埋めようとする者、己を隠そうとする者。
そもそも本当の姿で生きている人って居るんだろうか?
必然と偶然。
本能と純粋さ。
運命と後悔。
愛と理由。
存在と人生。
ありとあらゆる事が延々ツラツラと語られる。
どんな話だろうと、結局テーマは‘人生と愛’に行き着くとは思うが。
この小説の場合は、何よりも‘存在理由’を描いてる気がしますな。
具が多いシチューだと思え。
あれ?汁気が無い?
むしろ、具だくさん!具だけシチューだと思え。
読む年齢や読んだ時の自分の生活環境によって感想も変わるであろう本。
自分の積み重ねた経験と、続く人生に思いをめぐらせ味わうべきか?
まったく接点のない未知の人物として、観察し楽しむべきか?
‘死に至る病’ではなく‘野生に至る病’なり?にけり?ぞなもし。をかし。なかりけり。
何回か読まないと、読んだことになりそうにない本。