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「青白い炎」ウラジーミル・ナボコフ
遊んどるな。こいつ…
誰も知らないジョン・フランシス・シェイドなる偉大な詩人の999行の詩。
詩人のファンである怪しげな文学教授がチョーこじつけ注釈をつけ。
一冊の本にまとめた、という設定の小説。
まず詩からして、首を傾げたくなる事しかり。
回顧詩とでも言うか、人生を物語った内容ではあるんだが…
真面目なのかーと思ってたら、おや?なんか…ん?何かがおかしい。
違う。あれ~?とほのかに漂う可笑しさ。
そして、やっぱ深刻なのか?と思いきや、不真面目さが見え隠れ。
非常~に、こそばゆい詩なのであった。。。
で、問題の注釈。
詩からして、すでに問題ありにも関わらず、
それをさ~ら~に上塗りする問題有り注釈。
注釈ではなしに、これ以上曲がれない超歪曲自己中解釈。
人の詩を、自分の物語にしとるがな!
自分、回顧し過ぎやろ~。
首に羽毛の輪のある美しい鳥、優美な雷鳥よ、
おまえはわが家の真後ろに中国を見つけた。
その仲間は『シャーロック・ホームズ』に登場するのではないか、
靴を逆向きに履いて後退する足跡をつけた男は?
注釈:二七行 シャーロック・ホームズ
わし鼻の、やせて骨ばった、かなり人好きのする私立探偵で、コナン・ドイルのさま
ざまな物語の主人公である。いまのところこれがどの物語への言及(「バスカヴィル家の犬」)
なのかを確かめる手だてはないが、われらの詩人がこの<後退する足跡の事件>をでっち上げ
たのではないかと、わたしは疑っている。
真面目に読んでたら、吹き出すわぃ。
そっちがそのつもりなら、こっちだってとことん楽しんだるぅ。
もう、自由~。フリーダ~ム!!
で、含み笑いでいやらしく読む。
が、バカに出来ないのが。
ちゃんと韻を踏んでる事実。
詩のページは右に日本語、左に英語の原文が掲載。
英語をチラ見しながら、確認出来る心遣い。
(え?英詩読んだ訳じゃなく、見ただけですけど、何か?)
行末が、見事に詩のお約束をクリア。
湖畔道路を通って学校へ行くとき
湖から学校の正面玄関の柱廊を認めることができる
だがいまは、一本の木も邪魔立てしていないのに、
いくら見てもその屋根さえ見えないのはなぜなのか、
わたしにはわからない。おそらく空間上の多少の歪みが
窪みやうねりを生じさせ その挙句貧弱な眺望を、
真四角な緑地に立つゴールズワスとワーズミスとのあいだの
木造家屋を追い出したからだろう。
わたしにもわからない。
あなたの言ってることが─。
空間上の多少の歪み…窪みやうねりを生じ…
謎めいてるどころじゃなく、意味不明。
それ、超常現象?
もしや砂漠でオアシス見えたりする、あれ!?
注釈:四七─四八行 ゴールズワスとワーズミスとのあいだの木造家屋
木造家屋とは、~からわたしが借りていた、ダリッジ通りの家を指している。
ってマジで?ホントかよ?
この感じでツラツラと自分の話に持ってくパターン多いなぁ。
ちなみに上記の注釈は、約16ページに渡って延々と続きます。
たとえば《心臓病》はいつも父に思いを馳せさせるし、
《膵臓癌》は母への思いを掻き立てる。
その名称で思いを馳せるのかぁぁああ。
そして、思いを掻き立てるのかぁぁああ。
ま、チグハグな言葉の遊びが冴えてますな。
わたしは時空のなかに散らばったような気がした。
片足は山頂に、片手は
絶えず波に打たれる浜辺の小石の下に、
片方の耳はイタリアに、片方の眼はスペインに、
洞窟にはわたしの血が、星々にはわたしの頭脳が。
散らばり過ぎやろ。
わが三畳紀には鈍い鼓動があった。更新世前期には
視覚上の緑のしみが、
わが石器時代にはぞっとする震えが、
そしてわが尺骨突起部にはすべての明日が。
生命誕生から、人類誕生へ─
もはや、収拾つかず。
中盤は詩人の娘の悲劇が主題に。
笑っちゃいかん展開にも関わらず、言葉の選び方が面白くて…
所々で、震える。
しかも、[ここで時間が分岐した。]という宣言のもと、
(宣言するのも、どーかと思うが。)
見てるテレビと娘の悲劇が同時進行。
やたらと詳細で詩的な番組の説明、画面の無理矢理な劇的描写が連なる。
テーマが現在に移り、死について語られだすと、
かなり本物らしい感じの詩になりだしますが。
その分、注釈が荒れ狂いだす…
注釈:五九六行 地下室の水溜りを指さすのだ
欠陥のある配管を表わす無味乾燥な用語のなかから、
何かしら冥府の川が滲み通り忘却の川が漏れ出てくるような、
そんな夢を見ることがあるのを、われわれは知っている。
注釈によって語られるゼンブラという国の物語。
これが、徐々に面白くなってきて先が知りたくなってくる。
過去と現在が繋がっていくスリルも楽しめる。
一風変わった形式では有るものの、
結局のところは、とても小説な本。
これから読もうと思った人、ここからネタばれ注意。
ウラジーミル・ナボコフ~ウラジーミル・ナボコフ~ウラジーミル・ナボコフ~
ウラジーミル・ナボコフ~ウラジーミル・ナボコフ~ウラジーミル・ナボコフ~
どうやら、注釈者が狂人だったというオチ。
どれぐらい狂人か?が問題らしいが。
自分自身を錯覚してるようだけど、
詩に関しては愉快犯ですな。
ゼンブラを謳いあげて欲しかったのに、
詩を読んで、愕然と絶望したという事実。
気を取り直して、詩に対してではなく、自分に魔法をかけて読む。
で、こじつけゼンブラ物語詩の出来上がり。
ここら辺の事が、本人にも分かってるようなので。
詩に関しては執念深い奇人どまり、と見た。
解釈は色々あるらしく、
この本に関する解説本、追求本もあるらしい。
こうなると、詩+注釈の小説の解釈本の解説本が必要になりそ。
そうなると、詩+注釈の小説を解説+解釈した上での解釈本に対する解説+追求が要るってこと?