Hajimete Blog Returns

平成25年5月3日再度グーに登録。70才(古希))元2トン・タンク・ローリー車の運ちゃんさんでした。

Good-Bye 2013

2013年12月31日 | 日記
 あーあー2013年もあとわずかですか。早いなぁ。特に2013年8月31日でいままで勤めていた会社をほぼ円満定年退職をし、翌月9月1日より職業無職になり、いまだにそれが続いていて。早いものです月日の経つのは・・・・!

 それでもぷー太郎もしくはニート生活もまんざら悪くありません。この4か月の間に悪かった歯の治療に専念し、あとわずかのところまできました。まずは亡き実母との約束を守れそうです。もうすぐ実母が死去して3年が経ち4年目に入ります。マザー・コンプレックス野郎の私としては、結構悲しい日々が続きましたが、ここ最近やっとそれにも慣れてきました。あとは再就職かな!一応職安には通っても再就職しようとする気力がわきません。結構精神がいたんでるのかなぁ!なんてね。



 この暮れになってこのバンドにはまってます。これは1978年20位まで上がったシングル盤です。「フォリナー」というバンドの1977年リリースのファースト・アルバムから3枚目のシングルです。このバンドのキモはリーダーのミックさんかもしれませんが、やはりリード・ボーするのルー・グラムさんではないのでしょうか?このルーさんのこんなのがありました。



 1987年リリースのファースト・アルバムからのメイン・シングルでした。それの・・・



 米国盤シングルもありました。そしてごく最近・・・・



 オフの250円棚でこれを発見しました。このルーさんはこのアルバム発表後1989年にはセカンド・アルバムをリリースされているみたいで、これもオフの250円棚マチとしています。いつ我が手元に来るのかは不明ですが、気長に待ちます。このルーさんのソロ・アルバムを聞いて、やはりフォリナーはルーさんのボーカルがメインだなぁと思った次第です。



 1991年にルーさん抜きのこんなアルバムをリリースしています。ミックさんの音満載ですが、やはりルーさんのいないこのアルバムはイマイチでした。



 1994年にミックさんはルーさんを呼びもし(これ以前に1992年リリースのベスト・アルバムで3曲の新曲でバンド復帰)アリスタよりミスター・ムーンライト・アルバムをリリースしたが、チャート・アクションは全米136位と散々でした。

 そのルーさんが1997年の日本公演を前に自身に脳疾患が発見され、外科手術。両性の腫瘍だったので命は取り留めたのですが、薬の副作用かはたまた手術での影響か、みるみる体が太りだしてしまったのでした。その太ったお体を昨日ゆーちゅうぶで見ました。なるほどねぇ、でも元気に歌っている姿は感動です。そんなルーさんは今ではクリスチャン・ロックとやらの分野でご活躍とのことです。太っても人生大丈夫だよぉ、をジでいっています。これまた感動です。きっとルーさんはわが身を助けてくれた神に感謝しているに違いありません。

 この私も20代のころはがりがりに痩せていたのですが、60才の今、高血圧症を患い運動不足もたたって80キロ近いからだに変身しちゃいました。それだからこそ体の健康面には気を使うほどになりました。ルーさんのようなほどではなくとも、ルーさんの気持ちがよくわかります。

とまぁここまではルーさんがらみでしたが・・・たった今一人っ子で長女がこれを知らせてくれました。

大滝詠一氏死去。65歳。私より五個上。あまりの突然の知らせになんとも言い難い気持ちです。まあねぇ、最近はメインに出てこなかった方ですからねぇ。心よりご冥福をお祈りします。そしてこの年最後に聞くCDはロング・バケーションにしました。


同じスチュワートでも・・・・!

2013年12月17日 | 日記
 本日のお題はミスター・スチュワートです。と言ってもロッドさんではありません。アルさんです。アルさんといってもミスター・クーパーではありません。なんのこっちゃ。

 まずはこの方のファンならご存知のバイオ。

 1945年英国スコットランド生まれ。現在68歳。私の8個上。66年デビューだそうですから、芸能生活47年、いまだに現役。すごいよね。1973年米国進出、いやゴジラ風に言うならば上陸ですか。1975年アラン・パーソンズさんのプロデュースが2枚目(1枚目は‘モダン・タイムス’)の名盤「イヤー・オブ・ザ・キャット」が全米5位の大ヒット。しかもシングル・カットした表題曲が全米8位のこれまたトップ10入り。それが・・・?



 うまくアップできたかな。ぐーさんブログはこれの確認が大変。いつか直してね。我が持参の「イヤー・オブ・ザ・キャット」の米国シングル盤。JANUSレコードよりリリース。ちなみにこのレコード会社はGRTの子会社だったみたいです。レコード番号はJ―266。なぜゆえ邦盤を持っていなかったのでしょうか。これも銀座ハンターにて購入した中古盤でした。ハンター・マークのホチキスで止めた後があります。この1973年って私が社会人1年生のころで、この楽曲を聞くとあの頃の個別訪問型セールスという名の研修期間で、結構苦労したことを思い出します。このサウンドと同じで、哀愁が漂います。この年はまさに‘猫の年’でした。でもこの歌詞のごとく子猫ちゃんは現れず、ただただ、いやだ・いやだ、やめてぇ・やめてぇの連続でした。その後・・・




 同じアランさんのプロデュースで「タイム・パッセージズ」(レーベルはアリスタ)を発表。全米10位。そしてこのシングル・カットも全米7位を。英国ではヒットしなかったとアルさんファンの方のブログにありました。そうかねぇ、なにか英国的なんだけどねぇ。歌詞のアー、時の通路(タイム・パッセージズ)よ、僕を故郷へ連れ戻しておくれ。今夜出る最終列車の切符を買っておくれ。なんて女々しいことを歌っています。故郷スコットランドに帰りたかったのでしょうか?その後・・・・





 このころは多分我が国での人気も落ち目の三度笠だったのでしょうか。このシングルおそらく全米チャート最後の楽曲だと思われますが?それでも全米24位まで行きましたねぇ。1980年リリースの「24キャロット」(レーベルはアリスタ)からです。このころはアランさんとの関係も終わってました。それにしても、このアランさんの存在ってすごかったのてすねぇ。ちなみにそのアルバムは(下記表題)それでも全米アルバム・チャートの24位まで行きました。



 その後こんなアルバムもリリースしました。レーベルはアリスタ。2枚組の大作、A面スタジオ、B面・C面・D面ライブという・・・。とうとう全米アルバム・チャートはトップ100ではなく、ちょっと惜しかった全米110位でした。




 その後、「ロシア人とアメリカ人」(レーベルは?なんと不親切な)?と「ラスト・ディズ・オブ・ザ・センチュリー」(レーベルはエニグマ)なんぞをほぼメジャー・レーベルよりりりすしましたが。ここまでが私の知る余地でした。その後も前述の如くいまだに現役という素晴らしことです。そして私はこの方はこのCDで楽しみました。昨日全曲聞いてみて、この寒い冬の日に聞くのにもってこいでした。




 ライノ・レーベルより2004年リリース。これ一枚でアルさんを知りましょう的内容です。最初の3~4曲もさることながら、あの頃(1960年末から1970年初)のジャパニーズ・ポップスに影響していました。サウンドがもろあの頃クリソツでした。このあたりのアーティストだとそのサウンドをパックて、いや失言、参考にしてもわからなかったのでしょうね。このCDが私にとっての一番新しいアルさんの音源です。今でも現役ですが、最近リリースの音源は聞いたことがありません。まあ私にとってのアルさんはあの苦しかった1977年なんでしょうね。オチマイ。





相性は大切!

2013年12月13日 | 日記
 ジャンルにあるように実に悲しいのです。なにがって我が富士通2世君と新規購入したブッファロー外付けコンパクト・ブルー・レイ・ディスクのであります。またこの昼にブルー・レイ・ダビング中に富士通2世君が突然青ざめてクラッシュしちゃいました。なんとまぁであります。これには神がかり的な怨念やらも多々関係?なんて、そんなことだって考えられますよ。えっほんとかって。ほんとうです。(カビラ・ブラザーズ風にきっぱりと言い切る)でもそれ以前に我が富士通2世君をオーバー・ワークさせ過ぎたのかもしれません。WOWOWとBS・NHKやらでやっているサッカーや映画、その他のBSで放送している旅番組や音楽番組を録画しては、価格の高いブルー・レイ・ディスクにダビングしまくっているわけですから。大体一週間に役7枚~10枚はダビングしているのかな?いずれにしても結構に枚数のダビングしたブルー・レイ・ディスクが手元にありますからね。よくぞこれだけのダビングをしたものだと感心しちゃいます。もちろんブルー・レイ・ソフトのコストもかなりですからね。これはもう病気?そんなことしている場合ではありません。近い将来に訪れる老後のためにも働いておかないといけない時期にですから。

 そして考えたのが、まずはテレビだけ見ておしまいということです。大体録画したものをDVDだのブルー・ディスクだのにダビングしたところで、それをまた見るかということです。まずは大半は見ないだろうね。次に外付けハード・ディスクを新規購入してそちらに録画したデーターをためておくということですか。これも見ないだろうなあ。でもこの私は好きなサッカーなり映画なりを録画しないとすまない性格なのですよ。だめだこりゃ、です。



 うまくアップしたかな。前回でもアップした我が富士通2世君です。もう親友以上で、これがないと生きていけません。富士通2世君依存症です。



 来日公演をやったこの方のアルバムもつい最近聞きました。新譜の一つ前のオリジナル・アルバムです。結構がんばってるなぁって感じでした。そして・・・



 以前も出ましたこのアルバムはとりあえず新譜ですが、CD1枚目もまともに聞いていません。

 このようにただ買うだけでよいとか、録画すればよいとか、図書館から借りてきたCDを富士通2世君に入っていればよい、といったようにすべてが手元にあれば良しとする性格なのですよ。つまりあればよし欲なんですね。まあこれってどうなんでしょうか、一つの病気なのでしょうか?精神科にいったほうがよいのでしょうか、なんてウソ・ウソ。

 この性格は幼きことからずっーーーと60才になっても同じです。ただ一つ違うのは、小学生のころと違って働かざる者食うべからずになったことですか。おーやだ。オチマイ。

追伸



 一昨年はこの方のおかげで精神病にならずに済みました。あの頃は解雇だ解雇だと以前いた会社にそうとういじめられてましたからね。この方の落語を聞いてそんなイヤなことを笑い飛ばしてやりました。そういえばあの解雇・解雇といったヤカラたちは今なにしてんだろうなぁ。まあああいう連中は怨念やらには無縁でしょうね。なにせそんなものを平気で吹き飛ばすパワーの持ち主だったからね。今度こそ本当にオチマイ。

とうとう壊れて当たり前・・・・!

2013年12月06日 | 日記
 このブログのお題ではありませんが、まさに悲しいのであります。でも60歳にもなってパソコンの外付けディスクに挑戦していることだけでもすごいんだと思います。さて今まで我がパソコンの歴史を見てみましょうか、なんてそんな大袈裟なものではありません。



 一番最初に購入したのがこのIBM社製のアプティバEのいくつだったかな?もともとウィンドウズ95搭載マシーンをウィンドウズ98に移行させたということは、1998年ごろの購入だったかな。このマシーンは定年退職した会社にもっていき、そこでタイム・カードの管理等で活用していましたが、2013年6月ごろに、この事務所が取り壊されるということで、あえなく廃棄処分しました。動作は不安定でしたが、15年は動いていたことになります。次に・・・、



 次はIBMからどういうわけか富士通製のパソコンを購入しました。外車から国産車に乗り換えました。購入は2002年5月12日。今でも我が家にあり、サブ機器として使用中ですが、かなり不安定な動きをしてます。よくラジコをこれで聞いてます。このマシン名はなんだったけなぁ?そうそうこのマシンも内蔵DVDディスクが壊れました。そして・・・、



 2011年7月12日購入の富士通マシンFMVF77DDBでありました。こいつの内蔵ブルー・ディスクが一昨日に壊れました。どうも富士通君は内蔵DVDが弱いのでしょうか。いやそんなことはありません。この内臓DVDを酷使しし過ぎなのだと思われます。なにせほぼ毎日のようにDVDやブルー・レイ・ディスクに取った番組やら音楽CD・ロムやらを作れ続けているからです。これらマシンがいい加減にしてくれよ、と言わんばかりに酷使しています。まあなんでもやり過ぎはよくないのでしょうか。そしてこんなりも・・・、



 友人からいまだに借りっぱなしのこの富士通ノート・パソコンです。いつのものやら?かなり古いものでしょうね。今は使っていません。かなり動作が不安定で、いつぶっ壊れるかわからないからです。

 それにしてもあのウィルス・ソフトの影響ってすごいのかねぇ。それが入っているとパソコンの動作もままならないと聞いたことがあります。パソコンを守ってくれるソフトが、パソコンの動作を不安定にさせているとはねぇ。

 とまぁ、こんな感じですが、一番最初に購入したIBM君は当時30万円ぐらいしたのかなぁ。それが3台目の富士通君は確か15万円ぐらいだったけ?さてさて、私が今後もこのパソコンとのお付き合いが必要ですので、ウィンドウズ八番を搭載したパソコンを購入するかどうかを迷っている私でありました。オチマイ。

とうとうこわれました・・・・!

2013年12月05日 | 日記
 ここのブログはタイトルが難しいね。この私のブログはただの駄文日記なのにね。それにしてもぐーさんブログって200万にも方々が登録しているのですから、すごいものです。

 さてさて我がパソコン、最初があいびーえむの95を98に無理やりヴァージョン・アップしたものが最初のパソコンでした。よくフリーズはしましたが、そこそこ使いましたし、最後は定年退職にいた会社にもっていき、その寿命をそこで終わらせました。10年ぐらい使ったかな。その次が富士通1世君。これはウィンドウズえっくすぴーでした。いまだに現役ですが、そろそろ寿命ですが、また・・・・・・・

 というところで我が富士通2世君がクラッシュ。この富士通2世君は我が実母が死去した2011年春に購入し、それこそ私が同じ2011年夏にクビ・クビ・クビと言われた時期をともにし、その後私が定年退職した8月31日をもともにしてきた戦友であります。その戦友のDVDドライブが昨日故障したため、本日地元のやまちゃんで外付けブルー・レイ装置を購入してきたわけです。その装置で昨日のリーガの試合をこの装置を使ってブルー・レイ・ディスクにダビングしているときに、突然クラッシュしたわけです。

 その後、バッファローのサポートに電話してこの原因と対策を聞きました。結果はこの装置への電気の供給不足だそうで、二つついているUSBを二つともパソコンにつなげないとダメみたいです。やれやれ、今回は2枚(2回クラッシュしました)のブルー・レイ・ソフトと2つのリーガの番組がダメになりました。これはだんだん人生のツキがなくなる前兆はたまたいやなことが起きるのろい?に近づいている証拠です。まあ8月31日の定年退職後、なーーんもせずにのほほんと生きてきたツケがここにきて悪い方向に向かっているということです。はははははは・・・、ここは笑ってごまかしましょう。いつもこんな感じで不幸が舞い降りてきます。いつもと同じです。



 これは今週の月曜日にある書類提出のため市川本八幡にある市川市役所に行ったあと、この葛飾天満宮に行った写真です。大きな銀杏の木が立派です。



 これもその時の写真です。そういえばここ最近鎌倉やら市川真間やら、そしてここ本八幡やらと、やたらお寺さんに行って今後のことに関しての祈りをささげています。まさに神頼みの他力本願です。このあたりも神様のお怒りがきた証拠ではありませんか。そして昨日突然富士通2世君のDVDプレイヤーがダメになり、本日購入した外付けブルー・ディスク・プレイヤーをつなげた時にも富士通2世君がクラッシュと。これはやばいぞぅ!さあ早いとこ本格的な再就職活動をはじめないと、今後何が我が身にのしかかるかが心配です。なんて皆さんもそんなことありませんか?まさに神ガカリな瞬間なのです。オチマイ。


ボーナス・トラック



以前住んでいた江東区にはこの方がいます。またこの方に呼ばれている感じです。