ネットメディアを中心に佐野氏への攻撃がかまびすしかったけど、
ここにきて擁護する検証記事もチラホラみかけるようになった。
要するに「ヨ」と「E」、「丼」と「#」はパクリか?
フィロソフィーがちがえば、似て非なるものだという論理。
デザインにとどまらず、学問にしろ、芸術にしろ、
まったくの無からオリジナルを創作できる天才は、
数千年に1人ぐらいしかいないんじゃないか?
たとえば、絵画。
牛の絵を描こうとしたとき、凡人はほとんどの場合、
牛そのものよりも、誰かの描いた牛の絵を想像して、
もっと言えば誰かの画法を模倣して描く。
天才画家といわれる人びと、ピカソやジョルジュ・ブラックでさえ、
セザンヌのキュビスム理論の影響なしに語ることはできない。
その存命中、オリジナリティが際立ちすぎてて、
画壇からも社会からも孤立していたゴッホでさえ、
日本の浮世絵に傾倒しその影響を受けた。
芸術は、先人へのオマージュや過去の秀逸作からの影響を重ねに重ね、
迷走しながらも(迷走こそ芸術だけど)前進していくものだと思う。
だからといって、僕は佐野氏を擁護する気にはなれないのである。
五輪エンブレムに関しては、百歩譲って、
なるほど専門家であるデザイナーの検証が当てはまるかもしれない。
けれど、佐野氏のキャリアが限りなく黒にちかいグレーだということを、
もしくは真っ黒だということを、僕らは知ってしまった。
どうしても釈然としないのである。
今回の一連の問題で、実は僕が憤慨しているのは佐野氏よりも組織委員会。
真実もない、ユーモアもない、謝罪もない、反省さえない、
あの上から会見には嘔気さえ覚えた。
このままの体制で運営を続けていけば、
第2、第3のエンブレム問題、競技場問題が起こりはしないだろうか?
五輪は誰の為に?そして何の為に?
(彼らが言うところの)僕ら一般国民やマスメディアはもちろんだけど、
あの組織委員会の人たちにこそ、もう一度この原点を見つめ直してほしい。
最新の画像もっと見る
最近の「アート・文化」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- 旅行記(32)
- 桐箱ブログ(21)
- インポート(1)
- ギャンブル(1)
- まちづくり(130)
- 写真(42)
- オランダ・コラム(4)
- 音楽(23)
- テレビ番組(148)
- アート・文化(74)
- 佐野元春(76)
- うんちく・小ネタ(272)
- アニメ・コミック・ゲーム(71)
- 本と雑誌(12)
- 社会・経済(9)
- ブログ(49)
- 日記(0)
- 学問(13)
- 映画(9)
- 食・レシピ(18)
- 健康・病気(60)
- 国際・政治(54)
- 青年会議所(22)
- まち歩き(260)
- 悩み(52)
- ニュース(156)
- スポーツ(152)
- 日記・エッセイ・コラム(184)
- コスメ・ファッション(34)
- デジタル・インターネット(101)
- 旅行(9)
- グルメ(5)
バックナンバー
人気記事