それら本の中に、ヘルマン・ヘッセの長編小説『荒野のおおかみ』をみつけた。
目から鱗が落ちるとはまさにこのことで、
その刹那、僕は佐野元春の最新アルバム『COYOTE』の謎がイッキに解けた。
荒野のおおかみ (新潮文庫) ヘルマン・ヘッセ (Hermann Hesse) 価格:¥ 540(税込) 発売日:1971-02 |
ヘルマン・ヘッセは、20世紀前半のドイツを代表する作家(詩人・小説家)の一人である。
父親がかつて牧師だったこともあって神学校に入学したが、やがて、
「詩人になるか、でなければ、何にもなりたくない」
と、逃げだすように退学した。
その後、もっぱら読書をとおして独学し、
さまざまな職業(本屋の店員など)を転々としながらつぎつぎと作品を発表した。
その作風は、第1次世界大戦を境に大いに変化した。
当初は、ロマンティシズムに溢れた牧歌的な作品が多かった。
やがて第1次大戦を体験し、ヘッセは深くその精神を病んだ。
このころから、ヘッセの作風は一変する。
現代文明への強烈な批判と洞察および精神的な問題点が多く描かれるようになった。
さらに第2次大戦後は、自我をもとめてくるしむ若者、
とくに芸術家の姿を描いた多くの作品が、若い世代の共感をよんだ。
戦争は、ヘッセのような過敏すぎる神経と多すぎる感情の量をもった
作家には如何にしても耐えがたく、
その精神を蝕んでいったにちがいない。
そのヘッセの作品に、第1次大戦直後に発表された小説
『荒野のおおかみ』 (Der Steppenwolf)
というのがある。
ここで僕は、論証なしに、ある仮説を述べたい。
アルバム『COYOTE』の下敷きになっている架空のロードムービーは、
ヘッセの『荒野のおおかみ』にインスパイアされて構成されたのではないか。
『荒野のおおかみ』は、ヘッセの小説のうちで、もっとも革新的な作品であるといえる。
主人公の放浪する芸術家ハリー・ハラーは生まれついてのアウトサイダー(ボヘミアン)で、
二面的な本性(人間的なものと狼的なもの)をもつがゆえに、
悪夢のような迷宮にまよいこんでしまう。
ハリーは自殺をひとつの(あるいは唯一の)逃げ道としてかろうじて精神の均衡を保ち、
自分のことを“荒野のおおかみ”だと規定して絶望のうちに暮らしていたが、
ある少女との出会いをキッカケに生きる希望を取り戻そうとする。
…というストーリーだ。
つまり、この作品は、反逆しようとする個人と、
ブルジョワ的伝統との間に横たわる亀裂を、
象徴的に描こうとする試みであった。
佐野元春がはじめて作曲したのは11歳のとき、
ヘルマン・ヘッセの『赤いブナの木』という詩に自作の曲をつけた
という逸話は、ファンのあいだでは有名な話だ。
それから40年ちかい月日が流れたが、
新アルバム制作にあたり、佐野さんのなかで"Younger"というキーワードが浮かび、
必然的にヘッセ的マインドに本卦還りしたんだと思う。
この仮説が正しければ、『COYOTE』は『荒野のおおかみ』同様、
相も変わらず戦争に向かおうとする社会状況や、
性急に発達する文明に翻弄され自分自身や社会に対して
無反省に日々の生活を送っている同時代の人びとを、
アウトサイダーの視点から痛烈に批判した作品ということになる。
ヘッセの『荒野のおおかみ』は、佐野元春によって『荒地を往くCOYOTE』となって、
今まさに現代に蘇ったのだ。